その鏡は世界で唯一のものだ。
私たちの夜の会話と、彼女の爽やかな決意を映した鏡。
“女には愛と情熱の両方が必要ってことかな?”
“そう、その通り!”
そのやり取りから、私たちの夜はぐんと加速した。
“なんというか、お互いに対する情熱を失ってしまった。
ねえ、自由に恋愛して、好きになった人それぞれとこどもを作ったら駄目なの?”
彼女にはこどもがいた。ちょうど離婚したところだった。
“自分がいて、愛する人がいて,でも埋まらない寂しさってない?“
“ひとは、ひとりのひとに全部埋めてもらうことなんて、できないんだよ。
私はあれから結婚した。こどもはいない。
愛って一体なに? 情熱は?
というところで、まだ私の問いは止まっているような気がする。
◎
愛は「あ、これかも」と思う瞬間が増えてきた。
パートナーや親友を抱きしめたときに、体がじわじわと温かくなって
自分という世界が相手の世界と解け合うような、あの感覚。
親友の赤ちゃんを抱いているときに、守ってあげたいと思うこと。
ぶつかりあう仲間を、別れ際に抱きしめたいなと思うこと。
両親や祖父母のことだって本当は抱きしめたいけれどできなくて
実家を訪ねた帰り道に心がひりひりすること。
遠く離れた友人がもし命を断ってしまったとしても、
やっぱり愛しているだろうなと思うこと。
細胞が広がりをもって反応して、相手と自分の重なる範囲広がること。
少々こっちに傷がついたとしても、相手に傷をつけてしまうことがあっても、
その度にお互いを理解したり受け止めたりできる範囲は広がっていく。
あのとき、彼女は別れた相手のことをまだ愛していると言った。
◎
じゃあ、情熱ってなに? 謎はより一層深まっている。
辞書で引くと、感情が熱を持っている心理状態。燃え上がるような激しい感情と出てくる。
私のイメージでいくと、相手のど真ん中に入りたくて火の玉を放つような行為。
愛と情熱はせめぎあうものだという人がいる。
愛は安定で、情熱は変化を求める気持ちなんだって。
愛を育むと情熱が消えるよという人は周りにもいて、それも分かる。
私たち情熱あるかな?という疑問を投げたら、パートナーは
「毎日ドストレート160kmを投げてこいって、それ肩壊れるでしょう」と、苦笑した。
年の半分は遠距離という関係から、旅先で24時間一緒にいる関係に変わったいま
たしかに火の玉をぶつけ合っていたら、
うっかり燃え尽きて灰になってしまうかもしれない。
長く一緒に旅をするには、消えない程度に熾火を保っているぐらいが
ちょうどいいのかもしれない。
でもそれじゃあちょっと、さみしいじゃない。
たぶん彼女はあの朝、どっちも諦めないでいようね!と、
鏡に口紅を踊らせて、出勤していったのだ。
◎
定義にはあんまり意味がないな。
だとしたら一体この連載に何を書こうかと、
ぐるぐると考えていた時間の中で
思い出したように別の友人から一枚の写真が届いた。
そこにあった私の顔に、情熱がはっきりと映っていた。
自分でもちょっとびっくりするくらい、いい表情で。
愛と情熱は、顔に出るのだ。
きっと鏡はそれを映すのだ。
ときに写真が、そうするように。
あの鏡は、世界で唯一の鏡なんかじゃない。
毎日、世界中で私たち女はそれを覗き込んでいる。
愛も情熱も、自分の目に宿る自分を確かめればいいだけで
定義する必要なんて、ないのかもね。
ルージュの伝言、5年後の解釈。
口紅を持つ手がうずうずする。
ここ宿の洗面所だもんなあ。やっぱり怒られるよね。
でも・・・・・・えい。
このいたずらが広がっていったらいいと思う。