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2F/当番ノート

あの言葉の続き:あとひとつ、欠けているもの

当番ノート 第25期

“私、考えるんだよね。欲しいものは手に入ったなって。好きな仕事でしょ。ボーイフレンドでしょ。この町もしっくりくる。
“……でも何かひとつ、たぶんあとひとつなんだけど、足りない気がする“

その言葉たちを聞いたとき、パズルのピースを集めているみたいだなと思った。

今をずっと続けられれば、それで幸せだと思うんだ。それじゃいけないのかもしれないけど……”

one more piece

これが大切だと思うものを、ひとつずつ集めて並べてみる。

時間とともに増えていくようで、
手の平からこぼれてしまうものもあるから、
もちろん全部とはいかないのだけれど、
「からだひとつ」という枠のなかに収まる組み合せ。

その言葉に会った旅の後から、ついこの前まで続いていた暮らしの中の、
組み合せが好きだった。

書く仕事を中心に、軌道に乗りはじめたフリーランス業。
東京の自分の家にいる時間と、仕事で旅に出ている時間が半分ずつの暮らし。
仕事場や実家からの程よい距離に、パートナーと借りた家があって
時折、気心の知れた仕事仲間や、友人たちが集まってくれる。

隣には毎日元気いっぱいのちびっこたちが住んでいる。
緩やかな坂を下ると、日々景色が変わる公園に入る。
そこには毎日一杯のコーヒーを飲みに行くコーヒー屋さんがある。

暮らしの中に好きを見つけて、好きを作っていく。
ぴた、ぴた、とピースがはまっていく感覚があった。

“今をずっと続けられれば、それで幸せだと思うんだ” そう何度も思った。

“それじゃいけないのかもしれないけれど” 

季節が変わるたびに、周りの景色は変わっていった。

紅葉、雪、梅、花粉、桜、雨、深緑、線香花火

向かいに新しい家族が引っ越してきた。
仲良しの友人夫婦には、はじめてのこどもができた。
喫茶店のメニューには、新しくひとくちサイズのクッキーが加わった。

松ぼっくり、椿、梅、花見、あじさい

四度目の梅雨が明けようとするころ
パートナーが「旅に出よう」と言った。今度は一緒に。

inokashilife

変化が足下で起ころうとするとき
欠けているピースが、こっちにおいでよと
誘ってくれることがあるみたいだ。

色々とアイディアを出し合った末
私たちは暮らしながら旅をすることにした。
私はその都度どこかにアパートを借りて暮らす。
そこを拠点に彼は旅をする。ときには一緒に。

最初に行く先をメキシコに決めて、
オアハカという町に暮らすことを選んだ。
そこには、できることなら人生を
ずっと側で暮らしたかった親友が住んでいた。

自分の仕事や家族、恋人の都合で
住む町を選ぶ人はたくさんいるだろうけれど、
親友の近くに住むために引っ越しをするというのは、上手く説明できなかった。

でも時間をかけて「好き」を集めた東京の生活で、
あとひとつ、たぶんひとつだけ足りないものがあるとしたなら、その人の存在だった。
その人と一緒にいることでしか引き出されない、私の側面でもあった。

“何かひとつ、たぶんあとひとつ、足りない気がするの“

5年前に聞いた話に、私は当時こんな文章を添えている。

その足りないピースを見つけたとき、彼女のパズルは完成するのだろうか。
……あるいはパズルの完成なんてそもそもあり得なくて、
その足りないピースをつかもうとした手が、
また新しくいろんなものをつかんだり、手放したりするんだろうか。

パズルの完成なんてないんだなと、今は思う。

あとひとつ欠けているものに手を伸ばすために、バズルを持ち上げたら、
いくつかのピースがバラバラと外れていった。

東京で作った暮らしの光景だけじゃなくて、
きっと人も仕事も少しは外れてしまった。

「友の近くで暮らしたい」
そう伸ばした手が触れた新しい生活は、
それ以上のところに、ぎゅんと私を引っ張っていく。

新しく出会う「好きなもの」「書きたいこと」。
違う国の言葉を話すときに、自分の中から飛び出す表現。

何年も前に日本で暮らすことを決めたときに
「からだひとつ」の枠から欠け落ちたいくつかのピースたち。

親友の作った新しい家族
0歳の息子くんのくるくると変わる泣き顔と笑顔
4歳の娘ちゃんの妄想ごっこ
彼らが私に問いかける、家族をつくるということ

新しい町に、新しい景色の中に、
いままでそこになかったピースを見つけては、
どこにはまるかを考える。

オレンジの家、ブルーの寝室
インコ好きの大家さん、道売りのお姉さん
子どもと店番する果物屋のおじさん
死者と踊るお祭り、図書館の隅の机

遠くなってしまった東京の家族、
メールとスカイプでしか話せない仕事仲間たち…

からだひとつ、こころひとつの中に、収まるように…

これは旅だから、やがては日本に帰る。
一回手放したピースはもう手に入れることはできないし、
ここで見つけたものたちを、
全部新しい暮らしにはめることもきっとできない。

でも、自分の枠は広げることができるかもしれないな、と最近思う。
あたらしいデコ、にボコがはまって、そのボコに、またデコがはまるように。

3歳のときには12ピースのパズルが精一杯だった私たちが、
今なら1000ピースのパズルに挑戦できるように。

だから新しい景色を前に、私は柔軟体操をする。
からだひとつ、こころひとつが、少しは広がるように。

寺井 暁子

寺井 暁子

作家。出会った人たちの物語を文章にしています

Reviewed by
travellrei

穏やかな日々を過ごし、ああ、
この小さな喜びを感じることができることこそが幸せだ、
と春、野花を見ながら散歩しながら思う時がある。
それで十分じゃないか、と。ああ、本当に幸せだ、と
眼を細める。

しかし人は欲張りなもので、少しすると、ああ、
でもこのままでいいのだろうか、とか、
まだ見ぬなにかがあるかもしれない、など
と思ったりもする。

そして再度現状を確認する。
具体的になればなるほど、
現状の足りないところが露になる。
足りないことを憂うこともできるが
それをきっかけとして見ることもできる。
そして再度、ひとつひとつ、スペースに
はまるピースを確認する。
そしてなにかしたくなる。
たとえば、足りないもの、あの友、がいる場所へ
引越しをする。ミッシングピースを埋めてみる。
自分を確認してみる。
一つの身体にある沢山のピースを見ながら、
自分自身と対峙する。
あとひとつ、をひとつずつ、丁寧に。