地元を舞台にした5時間を超える長編映画を地元の小さな映画館で見た。
4人の女性がそれぞれの生き方を選んでいくその映画には、多くの印象的なシーンがあった。
その中でも、主人公の1人が「子どもは思っているよりも大人で、大人は思っているよりも子どもだ」と中学生の息子に語りかけるシーンが特に脳裏に焼きついた。
いつの時代も子どもは大人に学び、また大人は子どもから学び取っている。
3年前。東北で半年間、子どもたちと過ごした。
一緒に過ごした子どもたちの多くは小学生で、たまに幼稚園児や中学生も同じ場所に遊びに来ていた。
仮設住宅の談話室や駐車場の一角を借りて、放課後の子どもたちの遊び場を確保していた。
こうした限られた空間の中で発揮される子どもたちの発想力にはただ驚かされるばかりだった。
子どもたちの手にかかれば、何でもない物が突如として主役に変化する。
ダンボールを持っていけば、瞬く間にそれは電車になり、お店になり、布団になり、プラネタリウムになり、食卓になり、服になる!
そして用途が変わる度に、子どもたちはそれぞれの物語を生み出していく。
うーんと考え込むこともなく、また何の合図もなく、いつの間にか場所が変わり、時空を超え、場面が変化していく。
一人どこでもドア状態。
物語の変化に大人たちもついて来てよと言わんばかりに。
大人が腰を下ろして準備をしている隙に、子どもはもうその先を行ってる。
一見堅苦しく思われるルールというものだって、遊びを最大限に楽しむため子どもたちは積極的に使う。
仮設住宅の駐車場という限られたスペースでボール遊びをするとき。
そんなときは高学年の子どもたちが率先してルールを作ってくれる。
低学年の子の中にはすぐにルールを理解できない子もいるが、遊びながらルール違反を高学年の子に注意されて、徐々に覚えていく。そして、次に遊ぶ時はルールを教える側に回っている。
ルールを自分たちで作っては状況によって変化させていく。
与えられた環境の中で、遊びを自ら設計して楽しんでいる。
自分たちの遊びに没頭する一方で、子どもたちは大人のことをしっかりと見ている。
遊びの中で大人が手を抜いたり、わざと負けたりすると子どもたちはすぐ気付く。たとえ低学年の子でも見抜く。
それだけでなく、「今日なんか嫌なことあったでしょ」と大人の微妙な表情の変化に気付き、大人よりも細やかに大人を見ていたりする。
その瞬間の大人と子どもは、もはや上下関係でなく、斜めの関係でもなく、ひとりとひとりの人間同士、真横の関係になっている。
子どもたちといると学び取るものがあまりに多く、失いかけていたものを取り戻しているような感覚を覚える。
子どもたちに素直に感謝を伝えたい。