書くのが嫌になってしまった。これまでに書いた三回分の記事を読み返しても、言葉が散らばって並んでいるだけで、書いた人の姿が遠い。自分から出てきた言葉なのに。
征三さんのことを書こうと読み返した三年前の日記には、その日、誰に会って何を話したか、それだけのことを書き連ねていた。嬉しいことを忘れないように、ただそれだけのために書いていた日記は、素直に面白いと思えた。
本棚に並ぶタイトルを一冊ずつたどりながら、その中に、何が書かれていたのだろうかと思い起こしてみる。
わたしはいわゆる「本の虫」ではない。書店で働いている(アルバイトだけれど)上に、小豆島で「迷路のまちの本屋さん」という小さな本屋の店長を名乗っている(店頭に立たない店長だけれど)から、よほどの本好きだと思われることもあるが、自分には本好きを名乗る資格はないと思っている。加えて、映画好きを名乗る資格もないと思うし、店頭に立たないくせに店長を名乗る資格もない、と思う。
わたしは、読書や映画鑑賞という行為よりも、「本」や「映画」の存在そのものが好きだ。物語をなぞりながら、その物語を作り上げた人の姿を想像する。そうすることで、実際にその人自身に会うよりも、その人の存在を確かに感じられる。安心するのだ。
だから、書いた人の日々が、思考が、におい立ってくるような文章が好きだ。
そんな文章が書きたいと思いながら、『かなわない』の適当なページを開き、また読み返す。
写真家・植本一子さんの日々のブログをまとめたこの本には、夫のこと、娘のこと、母のこと、そして一子さんの好きな人のことが書かれている。今年、書籍化されて出版されたばかりだが、2014年に自費出版された同タイトルの冊子を人からもらって、すでに読んだことがあった。
のめりこむように、あっという間に読んでしまった記憶はあるが、内容のことをあまり細かく覚えていないのは、本をくれたのが、わたしの好きな人だったからだ。そのとき、文字を追いながら、わたしが知ろうとしていたのは「どうして彼が自分にこの本をくれたのか」ということだった。
好きな人は本をよく送ってくれたが、一方でわたしは、好きな人がくれた本をその人からの手紙のような気持で読み、期待したりそれを打ち消したり、ひとりで随分盛り上がっていた。(なんて都合のいい妄想)
そんな、ヨコシマな気持ちで頭をいっぱいにしながら読んだ『かなわない』は、それでも、自分の中に確かな引っかかりを残し、以来、植本一子さんのことがずっと気になっていた。
香川で彼女に会うことができるなんて考えてもみなかったから、一子さんの写真展と同時にトークイベントがあると知ったときは、ものすごく嬉しかった。企画したのは、会場となる本屋でスタッフをしているゆりさんだ。
会場に現れた一子さんは、落ち着いた文章から想像していたよりずっと軽やかに笑う人で、ちょっと驚いた。まっすぐに響く彼女の声を聞きながら、彼女の文章と、好きな人が住んでいた部屋の平たい本棚を思い出していた。
トークの聞き手だったサウダージ・ブックスの淺野さんにそそのかされて(?)書籍版の『かなわない』も買ってしまった。書籍用に書き下ろされたあとがきが文学史上に残る名作なのだと、その日、淺野さんは何度も口にしていた。
その夜、日付が変わる頃までみんなで話し、それぞれが眠る場所へ帰っていったあとで、なんだか話し足りなくて、ゆりさんと二人で公園に向かった。低いブランコに並んで座り、お互いの話を交換し合った。ゆりさんと知り合って一年ほど経つけれど、こうしてゆっくり話すのは初めてのことだった。一子さんを好きだということを知らなかったし、そもそも、彼女が好きなものを何一つ知らなかったことに、その日初めて気がついた。
途中で雨が降ってきても、わたしたちは、木の下に移動して話を続けた。しかし、すぐそばで聞こえてくる中国語の大喧嘩が雨足と共にヒートアップしてきたので、宿に帰り、明かりもつけずにまたしばらく話した。
ゆっくり会おうと言いながら一度も実現したことがなかったのに、その日、ゆりさんと話すのはとても自然で、居心地がよかった。わたしたちには、話したいことがたくさんあった。多分、それをするすると引っ張り出してくれたのが、一子さんなのだと思う。
一子さんの書く文章は、淡々と正直な、「極私的」な文章だ。
今年の初めに東京都現代美術館で観た展示「〝TOKYO”-見えない都市を見せる」で、松江哲明監督が「東京と私をつなぐ、極私的な風景」というキーワードで自身のドキュメンタリー作品を出品していた。
以下、松江監督の寄せた言葉を引用します。
「僕は自分で撮った映像に「我々」というような言葉は付けない。ドキュメンタリーは客観的であるべきという信仰が今も残っているから、そのような主語が自然なこととして受け入れられているが、主観で撮った映像は「僕」や「私」であるべきだと思う。」
「ドイツ人の妻から生まれる息子のことを思うと、韓国から渡ってきた祖父母のことを考えずにいられない。きっと彼もアイデンティティについて悩むことがあるはずだ。しかし僕の家族は東京で生きることを大きな決意を持って選んだ。そのことを今、私的な視点で振り返りたいと思う。「僕」という言葉を使って。」
松江監督自身の写真と動画に短い言葉が添えられながら映像は続き、ふいに、前野健太さんの歌が始まる。
「街なんてどうだっていいよ/仕事があって好きな人できたら」
人間と人間がそれぞれの場所で生まれ、出会い、二人の間に生まれた小さな人間を抱きしめるまでの短い映像。
わたしは、わんわん泣いた。美術館の小さな暗い部屋の中で、見知らぬおじさんの隣で、声をしゃくりあげてわんわん泣いた。
生まれたばかりの赤ちゃんと、その子を抱く奥様に差し込むあたたかな光を、わたしは時折思いだす。
その光を見たとき、大切なことが全てわかったかのような気持ちになった。
わたしはわたしでいることを、許されているような気持だった。
好きな人に会いたくなった。
好きな人と、今は連絡をとっていない。
知り合ってからの三年間で、何度かこうやって、連絡をとらないことを選んできた。
関係を終わらせることにたどり着くたびに彼は自分が悪いと言うけれど、本当にそう思っているのだろうか。
悪いのは、彼に、自分が悪いと思わせているわたしの方だ。
好きな人のこと、好きな人といる自分のことを、考えてばかりいた。
考えれば考えるほど、いつも違う答えに行きついた。
彼を好きな気持ちだけがはっきりとわかっていて、その先の「こうしたい」「こうなりたい」という望みを伝えようとすると、迷って言葉が出てこない。自信が持てない。
自分が不確定だから、彼の言葉を求めた。
「幸乃さんは言葉ばかりだ」と何度言われても、言葉でしか返すことができなかった。
結局、また終わってしまった。
好きな人とのことを含め、『かなわない』を改めて読んで感じたことを、Facebookのメッセンジャーで一子さんに送った。
「変わることもあるし変わらないこともある」と一子さんの返信。
相手のことを独占したいと感じたり、あるいは言葉で定義された関係を縛りのように感じたり、人と付き合っていく中で、何かひとつの答えを出そうとするのは難しい。でも、「そのわからなさをずっと生きていこうと思う」と一子さんは言う。
「きっとまたわかることがあるし、自分も変わっていけるから」と。
一子さんは、自分の日常を書いたその本を「飛行機から見下ろす、新幹線の車窓から眺める、家から溢れる光の中にある、ただそこにあった私の物語にすぎない」という言葉で締めくくる。
一子さんの撮る家族の写真が好きだ。愛おしさより、目の前の”生き物”の行動や表情への興味の視線を感じる写真。その、ざらっとした正直さが、一子さんと、夫と、娘さんが暮らす家がどこかにあることを確かにする。その家に流れている日常を想像して、なんだか嬉しくなってくる。安心する。
家族であろうと、好きな人であろうと、むしろ、近しい人であればあるほど、わからないことだらけなのだ。大切なことがすべて分かったような瞬間があったことも、そのあとで、その瞬間を忘れてしまったことも、どちらも本当のことだ。わかったり、わからなかったりを繰り返すのは、誠意がないからでも、真剣に向き合っていないからでもない。
ここにいるわたしは、間違いじゃない。
そうやって、あちらこちらで、物語は続いている。
好きな人に手紙を書こう。
一子さんに会ったことを自慢するのだ。
一緒に、くつわ堂でモーニングを食べて、電車に乗って丸亀に行ったんだ。(えっへん)