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2F/当番ノート

1週間前:アパートからアパートへ

当番ノート 第29期

ダンボールにはようやく本などが詰まり始めた。まずは壁に飾ってある写真や、家中のドライフラワーといったいわゆる装飾品から処分しようとする夫と、そういうものは最後まで残しておきたい私の間で、ちょっとした緊張関係が続いている。私が「先に押し入れの服を詰めちゃおうよ」と言えば「それ、最後の日に頭が回ってなくてもできるじゃん」と夫が言い、「飾りこそ、ぱっと外せるから最後にしたい」と私が返す。

部屋を最後までできるだけ殺風景にしたくない私と、殺風景になっていく方が作業がはかどっている感が出てやる気が増すという彼の間の感覚の違いは、一度決めたら前だけを見る彼と、決めてから納得に辿り着くまでの距離が長い私との違いでもある。ダンボールは遅ればせながら少しずつ引っ越しのペースに追いついてきたのに、私の心の中はなかなか現実に追いつかない。

そんなわけで壁や棚には細々としたものが残しているけれど、大きなものは少しずつなくなってきた。朝、目覚めてリビングの扉を開けるとき、昨日までそこにあったものの面影を探すようになった。

「出る前に会いましょう」と言ってくれる人が何人かはいたけれど、殆どを断ってしまった。何年か前に結婚式で沢山の友人たちが集まってくれた後に「次にみんなに集まってもらえるイベントがあるとしたら、私たちが長い旅に出る時かしらん」と思ったことがあったけれど、今回はそうなってみても、企画しようという気になれなかった。

朝起きてコーヒーを飲むのが楽しい。キッチンで夕飯を作れるのが嬉しい。窓辺に置いた机で文章を書けることが愛おしい。それができるのもあと何回と分かっていると、あえて誰かに会う為にこの町の外に行きたくない。できるだけ家にいて、できるだけ今までの暮らしがしたい。

家具を取りにきてくれる友人たちとお茶を飲んだり、家に残っていたお酒を全部飲みきるべく開いた夕食会に来てくれた数人の友人たちと食卓を囲んだりできたことで十分だった。不思議なもので、夫の高校時代の同級生が2人も家具を引き取ってくれることになって、私にとっての「はじめまして」もいくつかあった。近くに越してきたというアメリカ人の女の子が、結構な数の家具を欲しがってくれて、そのついでにこれまでの自身の人生について一通り語っていくということもあった。

閉じようとしている生活の中にも新しい出会いがある。ドラマチックなクライマックスに向かうのではなく、小さな終わりと始まりを繰り返しながら、ある日すっと次に行けたら良いのにと、心のなかで願った。

友人から譲りうけたソファーは別の友人の元へと旅立った。友人は借りてきたというワゴンにソファーを積み込みながら「次にこのソファーが誰かの手に渡ることがあったら、今までこのソファーを所有した人たちを集めてパーティーをしましょう」と言った。サーフィン好きのその子は「これはサーフィンするカウチですね」と言った。そう。私たちも旅をするけれど、家具だってこうして旅をしていく。そのパーティーが開かれるとき私たちはどこの町に住んでいるだろう。

夜は随分と涼しくなってきた。私たちは毎晩散歩に出た。夏の終わりの公園には人と音楽が戻っている。今日は橋の上でエレキギターとベースのデュオが演奏している。アンプに繋がれて奏でられるそれは、夜をそのまま包むようなメロウな曲だった。

その音に包まれた森の中を歩くと、どこか映画の世界の中にいるみたいな気持ちになる。現実と夢の境にぽっかりと浮いたような時間。そこにとどまりたくて、水面の近くにあるベンチに腰を降ろした。

少し離れたところの橋がオレンジ色に照らされて水面に映っていた。人や、車輪や、犬の影が橋の上を通り過ぎていく。「だれが設計したのか知らないけれど、あの橋と水の近さが好きなんだよね」と夫が言った。半分くらいの部屋が明かりを灯している古いマンションが水面に映り込んで生き物みたいに揺らぐ。フンデルトバッサーの建築みたいだ。

ゆっくりと水面を横切る黒いカモの向こうを、ぽつぽつと、いろんな速度の自転車が横切っていく。そのひとつ、ひとつの光の行方を思う。家に帰る人、これからどこかに向かう人。光の向きと意味がバラバラの町。

音は前に進む。それが音楽。それに乗って私たちも進む。帰ることも、どこかに向かうことも、どちらも前に進むことだ。

演奏が途切れて蝉の声が戻ってきた。それは少し弱くなっていて、夏は終わるのだと思った。

「すごく良かったです!」
橋の上の演奏者男性2人組が、通りかかった女性たちに声をかけられているのが聞こえてきた。暫く待ってみたけれど、今夜はこれでお開きのようだ。楽器をしまった彼らの夜は、これからどこに向かうのだろう。

「ちょっと冷えてこない?」と夫が言った。

家に帰って荷造りの続きをすることにした。

2015-08-30 23.31.05

寺井 暁子

寺井 暁子

作家。出会った人たちの物語を文章にしています

Reviewed by
Maysa Tomikawa

荷物を片付け始めると、実感が少しずつ湧いてくるって思いがちだけれど、意外とそうでもない。

ごちゃごちゃした部屋の中と同じように頭の中もすごくごちゃごちゃしているし、さてどうしようかっていう焦りもある。なにを、どこに片付けようか。なにを手放そうか。なにを手元においておこうか。取捨選択を迫られる。

でも、段ボールの中に荷物が収まっていくと、妙に冷静な気持ちになるものだ。頭も少しずつ整理される。わたしにとって大切なもの、あなたにとって大切なもの、わたしたちにとって大切なもの、それぞれ違うタイミングで、彼らは気持ちを整理していく。結局、装飾たちはどのタイミングで段ボールに片付いたのだろう。


ものがない部屋はとても静かで、音もよく響く。思い出したのは、そんな部屋の静けさ。気持ちの静けさ。あとね、その場所を離れる実感は、いつだって遅れてやってくるんだってこと。

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