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2F/当番ノート

2ヶ月前:アパートからアパートへ

当番ノート 第29期

彼は連日、酔っぱらって帰ってきてはバタンと寝てしまう。昨日は取引先の人が開いてくれた送別会、一昨日は部署の送別会、先週が会社全体の送別会。そして今日がついに最終出勤日だ。
「この人、本当に仕事やめちゃうんだな…」
彼が仕事を辞める理由の半分は、確実に私の側にある。この先どうやって一緒に生きていこうかを何度も話し合った結果、しばらくふたりで旅にでることになったのだ。

その計画自体に不満はない。その人は長いこと、たくさん働いていたし、そもそも2年前、結婚に際して「いつか一緒に旅にでること」により拘っていたのは私の方だったと思う。

私は旅作家をしている。年の半分は日本の外にいて、残りの半年は夫とふたり、東京の西側にある公園の側で暮らしている。夫は東京に拠点を置く会社で自然エネルギーの仕事をしていて、週の半分は地方出張が入っている。羽田空港発の始発便に間に合うように朝の5時にはバスに乗って東京の西側の町から出ていくし、帰りは最終便のことも多い。やりたいことに辿り着くまでに随分と寄り道した私とは対照的に、彼がずっとこれだと思った仕事を続けてきている。でもあまりの多忙ぶりに、このひと大丈夫かなと心配になることも多い。

結婚して一緒に暮らしはじめた頃は、彼が一緒に旅に来てくれたらいいのにと何度も思ったし、そうした類いのことを、度々相手に伝えたりもしていた。私はその頃、書くことを始めたばかりで、果たして世に出るかもわからない文章のために旅をすることの心細さもあったし、彼を日本に何ヶ月も残して行くことへの罪悪感もあった。そして単純に旅先で綺麗な景色や、自分の心に刺さる人や出来事に会う度に、それを一番近しいこの人と共有できたらいいのに、と思っていた。

だから半年程前に彼が「仕事に一区切りつけるから暫く旅に出よう」と言いはじめた時、行きがかり上、私には「考え直して」という選択肢はなかった。けれど同時に「困ったことになったな」とも思った。

私の仕事は回りはじめていた。雑誌やメディアとの繋がりができ、仲間ができた。滑走路を探してウロウロしていた飛行機が、走り方を学んでふわりと離陸した感覚。彼と一緒に旅をしたい想いは依然としてあったけれど、それよりも仕事仲間と思える人たちが増えていくことや、取材を終えて帰ってくる場所があることへの心地よさを満喫していた。

タイミングというのはなかなか合わない。

「あなたと旅をしたかった私の理由はこの際全部手放すので、あなたの旅したい気持ちも考え直しませんか?」と、喉まででかかった言葉を飲み込む毎日が続いていた。もう彼の退職手続きは進んでいて、今更何を言っても変わらないのに。

職場の片付けをして帰ってくる彼を労おうと好物の煮込みハンバーグの材料を買ってきた帰り道、心の中に今にも降り出しそうな雨雲が立ち込めて、公園の池の前で立ち止まってしまう。
「これでいいんだよ」と私は確認する。
「何年もそうしたいと思ってきたじゃないか」

池の水面はいつもの静けさで私を見つめ返してくる。なにも言わないけれど、その水面は私が「今のままがいい、変化したくない」と思っていることを、はっきりと映してしまっていた。水面は正直で困る。その正直さに助けられた瞬間も幾度となくあるのだけれど。

とても近い距離にある人と心地よい日々を重ねるためには、できるだけ正直でありたいと思うけれど、24時間ずっと心の内側をひっくり返した状態で相手の目の前に晒していることが、ふたりを幸せにするわけじゃない。なんにせよ今日は働き続けてきた彼の長い休みが始まる日、お疲れさまの日なのだ。帰ってきた時には笑顔で迎えなければならない。思いやりって大事でしょう? そう思っているうちに、いつのまにか家に着いてしまった。

なだらかな坂道の上にあるそのアパートを私は随分と気に入っている。1階にリビングとキッチン。2階に寝室と小さな書斎。それからもうひとつ部屋があってそこには友人たちが時折泊まりにきてくれる。一人暮らしの部屋から、ちょっと背伸びをして大きめの住まいに引っ越したのは、旅先で誰かの持つ「もうひとつの部屋」の多大なるお世話になってきたことが大きい。私が旅でいなくても誰かしらが泊まりにきていて、彼が出張でいなくても、誰かしらが「おかえり」と迎えてくれる、その暮らしは私にとって心地よいを通り越して愛おしいものになっていた。

引っ越しの2ヶ月前、私はとても憂鬱だった。

◎◎◎
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家を買う予定のない私たちにとって、住む場所を移ることは何年かに1回の頻度で繰り返されてきたし、これからも続いていく。移行期は日常よりもずっと多くのことを感じるのだけれど、それはいつも慌ただしくて、引っ越しという一大儀式が迫る中、閉まりきらないダンボールを朦朧と眺めているうちに過ぎていってしまう。

ちょうど最近、引っ越しが続いた。というよりも、何ヶ月かに一度、住む国を替え、住む部屋を変える生活が始まった。そのひとつひとつの部屋と暮らしに愛着があって、私は誰にあてるともなく湧いてくる言葉をノートに書きとめていた。

それは普段仕事で書いている文章とも、SNSにアップするような種類のものとも違っていた。些細な瞬間の中で、感情だけが大きく膨らんだり、しぼんだり、波打ったりしていた。

そんな日々頭の中を待っていた言葉たちを編んでみたいなと思ったとき、アパートメントのお部屋をまたお借りできたらと思いました。こちらの机をお借りしながら、いわゆるアパートとアパートの間、暮らしと暮らしの間にある移行の時間のことを書けたらと思っています。

また2ヶ月間、どうぞよろしくお願いします。

寺井 暁子

寺井 暁子

作家。出会った人たちの物語を文章にしています

Reviewed by
Maysa Tomikawa

Get out from your comfort zoneという表現があるけれど、自分の居心地のいい状態から抜け出して、新しいことを始めるタイミングというのは誰にしもあると思う。ふたりで生活していたら、どっちかのタイミングに合わせることもあるだろうし、もはやふたりでひとつの人生だから、どちらからの再スタートは、ふたりにとっての再スタートだ。

タイミングというのはなかなか合わない、と言っていたけれど、人生のなかでふたりのタイミングがばちっと合うことの方が少ないと思うんです。どちらかのタイミングに合わたり、そのタイミングを受け入れてもらったりしながら、ふたりの人生はつくられていく。

でも、葛藤があるのは当たり前で、実際のところなくてはならないものだ。相手の決断を葛藤なしに受け入れるのは、逆にとても無責任で、下手したら相手のことを責めてしまうようなことになりかねない。だから、葛藤しながら、自分の身に起きていることを少しずつ理解して、受け入れていて、相手と対話して、覚悟を決めていったらいい。準備運動はすでに始まっていて、この旅立ちがいつかはふたりにとって必然になっていくのだと思います。

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