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2F/当番ノート

2週間前:アパートからアパートへ

当番ノート 第29期

窓の外からは、くすんだオレンジと赤の屋根が見えた。4階から広がる景色は開けているから、曇り空の白さが際立つ。打ちっぱなしコンクリートの壁の向こうに、大型スーパーの冴えない看板が見える。
「相変わらず暑いですね」私が声をかけると、「でも今日はだいぶマシじゃない? 今朝起きて『やったー涼しい!』って言っちゃったわ」とふみこさんが言った。

私はハッシュドポークをスプーンに乗せたまま、外をぼんやりと眺めていた。窓からはなま温かい風が吹きこんでくる。向かいの部屋のドアが開く音がして、まきこさんがひょいと顔を出した。
「うわーいいな。ハッシュドビーフ」
「牛肉がなかったからハッシュドポーク。良かったら食べていかない?夏休みじゃないの?」ふみこさんが声をかける
「残念。これから打ち合わせなんです。休みは9月に取ることにしたんです。夏休みじゃなくて、秋休みになっちゃいます」まきこさんが応える。
「そう。じゃあそれまで頑張らないとね」
「はーい。行ってきます」
「行ってらっしゃーい」

こんな時にこの場所があってよかったと思う。

ここは5階建てのビルにある談話室。コレクティブハウスという形態で何組かの家族が住んでいて1階にはカフェがある。そのカフェは出版事業も手がけていて、私はそこにお世話になりながら本を書いている。週に1回、住人のひとりであるふみこさんが、ここの住人さんや、カフェのスタッフさん、ご近所さん達などに、この共有スペースで昼食を振る舞っていて、それはとても幸運なことに私が打合せに来る日と重なっている。フリーランスとして仕事をするようになってからは、毎日決まった誰かに会うということがなくなったけれど、週に1度ここに来てお昼を食べながら、カフェの話を聞いたり、進行中の本の話をしたり、たわいもない話で笑いあったりできる時間が、私はとても好きだ。

携帯電話がなる。冷蔵庫が欲しいと相手は言った。これで4人目だ。
「荷物はどうするの?」ふみこさんが聞いた。
「ほとんど人にあげる予定です」
「そしたら帰ってきたらどうするの?また一から集めるの?」
「まだ決めてないんですけど、夫婦でシェアハウスに入ろうかと思って。とすると、あまり家具もいらないじゃないですか。欲しい人いるならあげちゃおうかなって。インターネットサイトに「タダで譲ります」って載せたらすごい問い合わせがあって。靴箱の問い合わせが3件。冷蔵庫なんて4件ですよ」

もうすぐ私たちはいなくなる。

「で、メキシコだっけ? 結局なにしにいくの?」
「うーん。何しにいくんだろう」
「何しにいくんだろうって、あなた」ふみこさんが笑う。
「うまく説明できたらいいんですけどね、夫とはお互いに「相手の事情」ってことになっています。私のきっかけは『相手が旅に出るから』だし、あっちは『妻の仕事の関係で」って言ってますよ』

ふみこさんはまた笑った。私に『仕事の都合』なんてないことは、ここの人たちはみんな知っている。
「ハッシュドポークのおかわりしない?そうだ、麦茶も作って冷やしてたのに忘れていた。ちょっと取ってくるからその間に誰か来たらお願いね」

ぱたぱたと階段を降りて行く音を聞きながら、私は器にハッシュドポークを足して、またぼんやりと窓の外を眺める。私は何をしようとしているんだろう。

彼に言わせれば、最初のきっかけは数年前、私が彼の家で泣いてしまったことにある。

当時友人と家をシェアしていた彼のところには、彼の学生時代の仲間たちが頻繁に泊まりに来ていて、夜の深い時間まで語り合うということがよくあった。その夜、自分の家に帰るのが面倒になった私は、先に彼の部屋に引っ込んで眠ろうとした。居間から漏れ聞こえてくる穏やかで安心しきった声たちは、心地よいBGMになるはずだったのに、思いもかけずに自分の深いところに入りこんできてしまった。数時間後に彼が部屋に入ってきた時、すっかり眠ってしまっているはずの私はiPadを握りしめてイヤホンで耳を塞ぎ、布団を頭から被ったまま涙を流していた。

文字通り目を丸くしている彼に対して、私も上手い言い訳が思いつかず、自分でも「何で泣いてるんだっけ」と考えながら、浮かんでくることをとつとつと同時並行で話すことになった。あなたの友達に会えるのはとても嬉しい。あなたが彼らといて幸せそうなのも、彼らが私を仲間にいてくれるのも心から嬉しい。でも、その時間が私に本当は一緒にいたかった人のことを思い出させてしまう。自分が日本に連れて来れなかった自分の一部があることを自覚してしまう。私にだって本当はあなたに会ってほしい友人達がいるのだ….。

私は10代の半ばから20代の前半まで、アメリカ大陸を転々としながら暮らしていた。多感な時間を共有した友人たちは、地球の裏側で暮らしていて滅多に会うことができない。帰国して何年もの間「こういう生き方を選んだ以上、この寂しさはセットでしょう」と言い聞かせてきたのに、なんだかその夜はたかが外れてしまった。彼は私と同様に日々会社というある程度建前が必要な場所で生きているけれど、そういうのを全部取っ払ったところで語り合える友人らが近くにいて、お互いがお互いの人生、もっと言えば日常に「含まれている」。それが無性に羨ましかった。

その話の流れで、どうも私は「つまり、あなたといるだけでは絶対に満たされない寂しさがあるのだ」的なことを言ってしまったらしく、それは後に夫となったその人のこれまた深いところに刺さってしまったらしい。暮らした先々に自分の一部を置いてきてしまうような感覚を持っている私は、たとえ相手が彼じゃなかったとしても同じことを思い、そして彼だからこそ、するりと本音を言えたのだと思っている。しかし彼にとっては「この問題を解決しないことにはいつかは夫婦関係にヒビが入る」という脅迫になった。それから何年も熟し発酵した懸念はある日「俺仕事やめるし、旅に出て、暫くメキシコに暮らせばいいんじゃない?」という突拍子もない提案に繋がった。

「信じられない。夢みたい。あなたはオアハカを気に入ると思うわ。必要なことがあればいつでも連絡して」
友人からの返事は比較的すぐにきた。心に何重もの層があるとして、中間ぐらいのところからじわりと喜びがにじみ出る感じがあった。こんなことになるなんて、私だって信じられない。

彼女からの返事は私をほっとさせ、そして少し落ち着かなくもさせた。

東京に帰ってきて10年という年月を過ごす中で、私にも世界観が重なる友達や、建前を必要としない仲間ができた。あの頃の寂しさを、もう私は殆ど感じていない。ちょっと欠けているなと思うことはあるけれど、わざわざ何年も前に感じていた「あの子に会えなくて寂しい」をひっぱり出す必要ってあるんだろうか。

例えばこのビルにいる人たちとはここ数年に渡って随分と濃い時間を共に過ごしてきた。間違いなく私にとって「大切」であり、「かけがえのない」人たちである。他にも友人たちと立ち上げて数年育ててきた仕事がある。その人たちに「どうしても寂しいのでメキシコに行きます」と自分は言うだろうか? メキシコに行ったら行ったで、結局この人たちに会えないことを寂しいと思うのは目に見えている。なんだか全部が欲しくて、選べなくて、右往左往している駄々っ子みたいだ。

「一生のうち一度くらいは親友と同じ町で暮らしてみたいと思ったんです」という理由には、もしかすると私自身が納得していないのかもしれない。

夫は私の一番会いたかった人がメキシコにいるという事実に、いつのまにか自分の夢を足していた。こうなるまで知らなかったけれど、彼はマヤ文明に大変興味を持っていて、退職届けを出すや否や、遺跡について書いてある本を何冊も買い込んできて「見たい遺跡が多すぎるよ」とニコニコしている。

「メキシコにも見たいものが沢山あるけど、せっかくだからペルーの遺跡まで行きたいな、ナスカの地上絵、夢だったんだ。それと、イースター島。小学校の頃、世界ふしぎ発見で見て以来、いつかモアイと対面したいって思っていた。ああ、本当にこんな日が来るなんてね」
「うーん。私はむしろパタゴニアにハイキングに行きたい。それに会ってほしいひとはメキシコ以外にもいるのよ」
私も彼の夢に、自分の夢を足す。
「よし、じゃあ、行き先はメキシコ、ペルー、チリね」
「あ、それにキューバーも足していいかな…?」
「えー。興味あったっけ?」
「だって今見ておかなきゃと思うし」

元々お互い旅好きなので、夢を語り出すときりがない。でも「遊びに行くんです」と開き直れるほど、大胆でもない。私は夫にあわよくば現地で自然エネルギーの仕事が見つかっちゃったりしないだろうかと期待し、彼は彼で暫く日本を離れたら妻も今までとは別のものが書けるんじゃないかと期待している。

そうこうして、もはや整理して説明することが難しくなった私たちの中南米行き。説明する相手によって、理由の組み合せを変えたり、さじ加減を変えたりしているのだけれど、たまに調合の仕方が分からなくなって、答えられなくなってしまう。さっきみたいに。

「うわー美味しい匂いがしますね」
「お腹すいたー」

休憩に入ったカフェのスタッフさん達が入ってきた。ふみこさんはまだ戻ってきていない。
「ハッシュドポークだそうですよ」
私は席を立って、コンロに火をかける。
説明する為に生きてるわけじゃないしねと、結局うやむやなまま気持ちを切り替える。

たぶん、お互いの色々な理由や思いが数年単位で絡み合って、まりもみたいに球体になったタイミングでぽーんと飛び出すのが、いまなんだ。

説明できないけれど、感覚でこれだと分かっている動きのほうが、あとあとになって「この為の一歩だった」と言えることは、30年ちょっと生きてきたなかで起きたいくつかの出来事が既に教えてくれている。だから説明できなくてもいいのかもしれない。

いまはいま。私を含んでくれる人たちの中で、残りの時間を大事にすればいいのかもしれない。

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寺井 暁子

寺井 暁子

作家。出会った人たちの物語を文章にしています

Reviewed by
Maysa Tomikawa

わたしはあなたを移民にしてしまうかもしれない。そういう風に、自分の大切な人に話したことがある。

移民になるというのは、いつもどこかに自分の一部を置いていくことだとわたしは思う。ブラジルにいたら、日本に置いてきたもののことを考え、日本にいたらブラジルに置いてきたもののことを考え、離れ離れの家族のことを考え、親戚や友人たちのことを考え、常にここじゃないどこかに思いを馳せるような生き方になる。

わたしはあなたに、そんな思いをさせてしまうかもしれない。そのことがたまらなく苦しいのに、この場所では死にたくないとまで思ってしまう。でも、ここを出たら次はどうする?先のことなんてまったくわからないし、老後のことなんて、まるで自分たちには存在しないようなものだ。


そんなことを話した矢先に、暁子さんに会った。彼女もいろんなところに、忘れ物やら、落し物やら、もしかしたら故意に置いてきたようなものがあるらしい。そのいろんなものに感じる寂しさは、簡単に埋められるものではないし、もしかしたら埋まることはないかもしれない。だけど、自分の大事なひととそれを分かち合うことで、また別の何かが見えてくるかもしれない、とぼんやり思う。

相手の孤独に実際に触れるのは簡単ではないし、覚悟がいる。一緒に旅に出るのは、相手の目に映る景色とどう向き合うのかを考えることでもあるのだろうな。この先、ふたりの旅はどうなっていくんだろう。わたしは、これから離陸する飛行機の中にいるような気持ちになっている。

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