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2F/当番ノート

偏愛総進撃第五回 青空に「なる」

当番ノート 第29期

青空になる、ということ

青空を見あげる、ではない。
青空を翔ける、でもない。
青空になる。とは、いったいどういうことなのだろうか。

仮面ライダークウガ(2000)についての話をしたい。平成仮面ライダーシリーズの第一作目にして超人気作。シリーズ最高傑作にあげる人も多い作品である。ステロタイプな悪の組織が存在せず、男らしさを称揚する描写が少なく、必殺技も叫ばない、それまでのいわゆる「仮面ライダー」像をくつがえす作品群は、ここからうまれた。一般的にはオダギリジョーの出世作としても有名である。警察と連携しつつ、緻密に犯人を追う作劇が高く評価されてもいる。そこまで有名な作品を、なぜここで取り上げる必要があるのか。

クウガの主人公、五代雄介は悪を憎まない。力強いわけでもない。人を殴る感触が嫌で、戦いも好きではない。軍隊や特殊な組織で訓練を受けたこともない。それでも彼はただ、目の前にいる人の笑顔を守ろうとする。正義のためでも自由のためでもなく、目の前の笑顔のためだけに戦う。相棒である刑事、一条とは不器用な深い友情で結ばれている。

クウガという作品に対し、私個人の評価は揺れている。
主人公造形はあまりにも聖人過ぎる。敵組織は言葉すらわからない絶対恐怖として描かれ、対話や投降の呼びかけもみられない。厳しい倫理道徳で貫かれていく世界は、見ようによっては、息苦しい。
しかし、この作品の最終話に至る過程は、あまりにも悲しすぎるのである。
以下、ネタバレになるかもしれないが、あらすじを述べる。

敵組織グロンギ族は、快楽のために殺人を行うという文化をもった異民族であった。巻き込まれた主人公五代雄介は、「みんなの笑顔」を守るために、警察と連携し殺人を止めていく。怪人を殴り殺し、蹴り殺しながら。いつも笑顔だった五代から、番組の進行に従って徐々に笑顔が消えていく。たとえ敵が快楽殺人者たちであっても、五代は彼らを殴りたくない。人を殴る感触が、骨の折れる音が、五代の笑顔を奪う。暴力をふるう気持ち悪さと、自分が自分でなくなっていくような恐怖に耐えながら、五代は笑顔を作り続ける。自分が笑顔でないと、警察官たちも、友人たちも笑顔でいられないから。
番組後半、敵の王、究極の闇が復活する。同族すら呼吸するように殺す究極のサイコパスであった王は、楽しむために五代との戦いを希望する。五代は、泣きながら王と殴り合う。王が幸せそうな表情で死んだのを見届けて、五代の戦いは終わる。
以後、五代の顔は映らない。画面には、他国を放浪する背中や、足だけが映し出される。

グロンギを楽しませるためには、五代は戦士クウガでなければいけなかった。
究極の闇を笑顔にするために、五代は永遠に笑顔を失った。
誰よりも笑うことが好きだった青年は、だから相棒や恋人のもとを去らねばならなかった。
なぜ、そこまでしてすべての笑顔を守らねばならなかったのか。
お前の笑顔はそこに含まれないのか、五代雄介よ。
お前は本当に、みんなの笑顔を守れたのか。
笑えなくなったお前は、泣けるのか。

月光仮面は正義のためには戦わなかった、らしい。正義は神や仏の領域だ、というのがその理由だと聞く。だから彼は正義の「味方」なのだと。あくまで人間にできるのは正義の味方でしかない。

時代は流れ、平成ライダー第一号のヒーローは正義の味方すら名乗らなかった。大上段から正義を語れない時代、もっとも身近な「笑顔」のためならば暴力は肯定されるのか。

・・・五代雄介は一年間戦い、身をもってこの問いに答えた。ここまで暴力を嫌った特撮主人公を、私はほとんど知らない。

この最終回ゆえに、仮面ライダークウガは私の心に深く刻みつけられている。

深呼吸。青空になる。とエンディングテーマが流れる。
青空に「なる」。
彼は青空になった。
青空とは、なんなのか。
何が彼を、青空にしたのか。
彼のくれた笑顔だけをポケットにしまって、僕たちは、日々を生きる。

Masakuni Hashimoto

Masakuni Hashimoto

特撮についての簡単な断章・偏愛備忘録。

Reviewed by
田嶌 春

「月光仮面は正義のためには戦わなかった、らしい。正義は神や仏の領域だ、というのがその理由だと聞く。だから彼は正義の「味方」なのだと。あくまで人間にできるのは正義の味方でしかない。」

偏愛総進撃、第5回は「仮面ライダークウガ」について。
主人公の五代雄介は、「悪」を憎みきることのできないヒーローです。

戦国武将の誰かにスポットを当てれば彼の殺人は美談となること。擬人化した黴菌とはいえバイキンマンをアンパンマンが倒す手段もまたアンパンチあること。
暴力が嫌というのではなくても、特定の暴力ならば正義を名乗れるということに、矛盾を感じることはありませんか?

そう、ヒーローは私たちの味方に違いない。
でも、正義そのものではなかったのです。

「仮面ライダークウガ」においては、サイコパスならばこそ「悪」とされたようです。それでも五代雄介は彼らにたいする暴力を喜ぶことができなかった。その結末には泣けてきます。

私たちのヒーローの姿を見て、これからの正義の話をしませんか?

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