隣の家に住むちびっ子は今日も朝から元気だ。
「お姉ちゃんたち、メキシコに行くの? しんちゃんに会うの?僕も行く!」
一瞬、なんのことか分からず答えに詰まると、後ろからお母さんが出てきた。
「もう、この子たちクレヨンしんちゃんの映画が大好きで…。
この夏、映画の中でしんちゃんの家族がメキシコに転勤になったんですよ」
「クレヨンしんちゃんがメキシコに転勤する時代なんですか」と驚くと、
「ねー、びっくりしますよね」と彼女は笑った。
今日が仕事休みという彼女は2人のこどもを自転車に乗せて、近くの公園に向かっていった。私は気を取り直して駅への道を走る。歳を聞いたことがなかったけれど、恐らく同年代の私たちの日々が、今日も隣合わせに始まる。
あまり遠くに出かけないと決めていたのだけれど、引っ越しを3日前にして人に会うことになった。家から西に電車で30分の出版社へ。そこで言葉を仕事にしている大先輩が待っていた。
「メキシコとチリですって?驚いたわ。それであなたは何をしに行くの?」
「……何をしにいくんでしょう。今の暮らしに何ひとつ不満はないのに」
しんちゃんに会いに行く!と息巻くちびっ子が脳裏をかすめる。
日々壁越しに聞こえてくる階段を駆け下りる音、たまに泣き声、「お姉ちゃん遊んで!」の真剣な眼差し。
彼の存在も私の日常を作ってくれている、手放したくないもののひとつなのに。
「私は……とくにこの1・2年は、かなりいいバランスの中で生きてきました。東京に戻ってきた頃は、この町が息苦しかった。でも今は海外の取材と東京にいることが年の半々くらいになって、その両方を愛おしく感じています。海の向こうの親友たちに会えないことも寂しかった。でも日本にも大切な人たちができました。物理的には都心から電車で30分、反対向きにあるこの出版社からも30分の距離に住んでいます。ここを中心とした物書きや本を届ける仕事からも、都心を中心としたそれ以外の仕事からもちょうど良い距離にいる。全てが調和していて、完璧なバランスの中に気持ちよく浮かんでいる感じです」
先輩はじっと私の言葉を待っている。私は窓の外を見る。
逃げてはいけない瞬間というのがあるのかもしれない。
「でも……その浮かんでいるままではいけないのかもしれません。この2年間、ライターとしては走り出せた感じがあります。でも作家として前に進めたのかというと、そんなことはないみたいです。3年間前に本を出したきり、胸の中にしまい込んだ物語や頭の中で踊っている物語を形にすることをせずにここまできてしまいました」
それを一番近しい人に指摘された。旅に出る出ないの長いやり取りの中で、夫は「俺は旅に出るけど、君もここを離れた方がいい」と言った。「幸せなのは分かるよ。でも、本当にやりたかったことをできているの?」
刻まれる日々のリズム。愛おしい登場人物たち。たまにメロディーや色が変わる飽きない日々。でもその心地良いリズムの中で、本当にやるべきことだけがこぼれ落ちている。
「ねえ、あなたの原点はどこにあるのかしら?」先輩が聞いた。
「ずっとどこにあるか分からなかったけれど、今は東京にあるのだと思えます」と私は答えた。
16歳から海外に暮らしてきたけれど、私はまぎれものなく、この町の出身だ。
「東京生まれ、東京育ち」と言うことに、長いこと自分に似合わない服を着ているような心地悪さを感じていた。でも最近、私は自分に東京という場所があって良かったと思うようになった。それは私なりのこの街への収まり方というのが少し分かったからなのかもしれない。ライターという仕事が人を繋ぎ、作った本を届ける段階でも多くの人に出会った。この町だからこそ好きな仕事をして、好きな人たちと生きていける。重心が定まって、ここを起点に広がっていく世界が面白くなった。この町に戻ってきて、好きになって、はじめて自分がこの町から始まったことを良かったと思える。それは原点回帰と言ってもいいような感覚だった。
「それはあくまであなたの人生の原点。最初に『表現をしたい』と思った場所はどこなの?」
思わぬ変化球が来て、私は暫く考えた。
「例えば、私にとっては大学に通ったイギリスだったの。
あの時間に自分を見つけた感覚があって、それは私がいま英文学に関わる仕事をしていることに繋がっている。
あなたはアメリカに長く暮らした人だから、あちらに何かしらのきっかけを持っているのかと思った」
先輩は助け舟を出すように言った。
「…私にとってそういう場所があるとすれば、ラテンアメリカです。
それからスペイン語です。私は意味も分からなかった頃からあの言語に惹かれています」
はじめてスペイン語を話す人たちに出会ったのは16の時だった。
渡米した高校で一緒だったラテンアメリカ出身の同級生たちが、
彼らだけで集まって詩を朗読しあったり、歌を歌い合ったりしている場に偶然居合わせた。
繰り返される韻。くるくると滑らかに回っているのに、
ここ、あそこで、ひっかかりを残す、オルゴールみたいな音のつながり。
この人たちは、なんて綺麗な言葉を話すんだろうと思った。
何が読まれていたのかも、語られていたのかもわからないのに。
そして私はその意味を知りたいと思った。
「言葉に惹かれて彼らの国に行きました。大学時代の親友がメキシコ人だったので、メキシコには何度か行きましたし、結局言葉は住まないと身に付かないと思ってチリに住んだこともあります」
現地に住んだことで私は少しだけその言葉を話すようになった。
それは拙い分、私にとって日本語よりも、英語よりも、自分を素直に出せる言葉になった。
「その言葉を話せるようになったことで、いくつかの忘れがたい経験をしました。心底、書きたいと思うような物語です。それを書くつもりで、その後、何度も原稿用紙やパソコンに向かってきました。書き終えられたものはまだひとつもありません。そのまま年月が過ぎて、今に至ります」
「それは、そのとき書きあげられなかったことにこそ意味があるのかもしれないわね」
「…当時、書きたいと思っていたテーマが自分にとって深すぎたんだと、最近になって分かったような気がします。書こうとするたびに色彩の濃い絵の中に迷い込んでしまうような感覚がありました」
今はそれらの物語を一旦書くことを諦めた状態でいる。
「もうあの言葉を話さなくなって長い年月が立ちました。日本から南米は遠い。それは距離的にも精神的にも、アジアよりもアメリカよりも、ヨーロッパよりもアフリカよりも遠いんです」
私はこの数年、アジアやアフリカの取材をし、記事を書いてきた。取材自体は体力を使うものだったが、書くこと自体に苦労する類いのものではなかった。ライターとしての仕事にはフォーマットが決まっているものも多かったし、そうでなくても頭から順番に書いていけば自然と書き上げられた。進行中のアフリカをテーマにした本は頭の中に既にイメージが出来ていて、まとまった時間を取れないが為に完成させられていないけれど、その時間と環境さえ確保できれば大丈夫だと思っていた。書きたいものは自分の表面に浮き上がっていて、それにひとつひとつ言葉を見つけてさえあげることができれば、最後まで書ききることができるはずだった。
でも、今でも本当にたまに見直す書きかけのラテンアメリカの物語には、そうしたやり方が通用しなかった。何層にも渡る深さがあって、もう潜り方さえ忘れてしまった。あるいは最初から潜り方なんて、分かっていなかったのかもしれない。
「今だってまだ早いと思っています。行って書けるものでもないと思うんです。私はメキシコに行ったら、まずはとにかく今書きかけのアフリカの本を書き上げようと思っているから、正直あの頃書きたかったテーマまでは行き着かないかもしれない。でも、そのテーマにこだわる必要もないかなと思うんです。今、色々なタイミングが重なってラテンアメリカに戻れることになった以上、あの夜、耳にしたリズムをもう一度、自分の中にも取り入れたい。あの言葉を日々体中に浴びて、彼らが表現するものにもっと触れたい。今度は自分の中から何かを取り出してみたいと思います。」
「なんだちゃんとわかってるんじゃない」と先輩は笑った。そして「自分の表現を見つけにいきなさい」と言った。
「言葉で城を作る文化もある。英語はそういう言葉だと思う。でもあなたはきっともっと柔らかいものに触れにいくのね」
私はその人を見た。心がどきんとなった。
それは私のもう一つの原点回帰だった。