書き始めてみたものの、逃げ出したくなっているのだ。僕の当番ノートは明日に迫っていたのだった。
もっと先に出すようにと言われながらもこの体たらく。半日後の自分が書いてくれるはずだと一時逃れを重ねていたら、もう掲載前日なのだ。言い逃れのできない現実である。
盗んだバイクがあったら走り出してやろうかとも思うが、盗んでいる時間すら惜しい。そんなヒマがあったら書かねばならぬ。
当番ノートのシステム上、前任者である長能さんにレビューを書いていただかなければいけないのに、この惨状。すみません。ほかにも書かなければいけない記事の締め切りが目前にあるのだが、それはまあ、また考えるとして、そんなことより当番ノートにてお詫びするというこの有り様にもすみません。
心苦しい限りの状況に、脱兎のごとく逃げたくなるのだけれど、ついでに事務仕事が壊滅的に遅くて諸々の請求書が滞ってしまい、こちらもすみません。
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今回はマイナーな極地系の超長距離レースに挑むようになったきっかけを書かねばと思っていたところで、そういえば、そもそも三十路を迎えてジャングルを走るという奇行におよんだのも逃亡のためであったと思い至る。
逃げるに至った流れは、2014年の夏に勤めていた新聞社を辞めたことに端を発する。仕事も自分のキャリアも人間関係にも行き詰まりを覚えて会社から逃げることにしたのだ。
そんな経緯から当時は戦意喪失、茫然自失なわけで、もはや再就職など先送り。考えたくもないので、とりあえず働かずに何かやろう。いわゆる現実逃避である。
そう思っていたところで発見したのが、アマゾンのジャングルを走るという「ジャングルマラソン」だった。ブラジルのジャングル。それは極めてワイルドで、広大だ。広すぎて「東京ドーム●個分」のような表現はあまりにちっぽけで意味をなさない。
再就職を棚上げするには、もってこいの壮大なフィールドである。これはもう逃げ込むしかない。
少年が、誰にも縛られたくないと、暗い夜の帳(とばり)の中に逃げ込むのが「15の夜」ならば、年齢がちょうど2倍のおじさんが逃げ込む先はジャングルなのだ。「30のジャングル」。たぶん、そんな歌はあっても売れはしまい。
目的地が決まったところでレッツ現実逃避。逃げるからには本気である。
国外逃亡しておきながら、途中でリタイアして帰ることになっては中途半端で格好がつかない。1週間にわたって装備品10kgを担いで275kmを走るという珍妙な大会なのだが、やるからにはゴールまで逃げおおせなければならない。
かくして、清く正しく逃げ切るための体力づくりに着手。3カ月ほど雨の日も、風の日も走り続けたのであった。
毎日毎日、飽きもせずにトレーニングを続けていると、体に無理が生じる。酷使したアキレス腱は朝起きるとガチガチに固まっていて、体重をかけるだけでひどく痛む。
アキレス腱をさすって温め、ほぐすことから一日が始まる。そしてまた酷使するのだ。
さすがに休みたくもなるが、清く正しく逃げ切るには、そんなところで逃げることから逃げ出すわけにはいかないのだ(書いていてややこしい)。
そして、逃げることで得られるものもあると知る。
「逃げちゃダメだ」などというのは簡単だ。しかし、立ち向かっているように装うことに何の意味があるというのだ。
逃げることを恐れてはいけない。
真っ当に、本気で逃げようと考えると、ひとはそれ相応の努力を重ねなければならない。期間は3カ月だが、一念。ひとつの思いを貫き、逃げることを止めなかった末に、僕はジャングルで完走メダルを得た。
帰国後は、仕事はなんとかなるだろうとやけに楽天的になっていた。なにをしてもいい、やりきる覚悟があるのならば。
高ければ高い壁の方が登ったときに気持ちよくても、そんな壁は気にせずに逃げればいい。高い壁は必ずしも登らなくともいい。逃げるは恥でも何でもない。役に立つかどうかは分からない。それでも、全力で逃げる季節があっていいのだ。