ランニングの話ばかり続けてきて、これでいいのだろうかと悩むこともなく、今回も一貫して突っ走るのだ。これでいいのだ。
というわけで、1週間前には背振山系の全山約80kmの縦走を楽しむこと28時間。前日を含めて丸々2日間寝ていなかったら、幻聴が聞こえるという貴重な体験もできた。
そんなことをしたり、へんてこなランニングレースに出ていると、「なんで、わざわざ苦しい思いをしに行くのか」「ドMなんでしょ」「それって天然パーマ?」「金を払ってまで走る意味が分からない」などと、いろいろと聞かれる。そんなときは会話の流れに応じて答えていたが、最近はこう切り返すことが多い。
「お酒を飲むのと一緒です」
なぜ酒を飲むのかと聞かれたら、十人十色の答えがあるにせよ、基本的には楽しいから、楽しくなりたいからだと思う。泣きたくて、全てを忘れたくて飲むというのは、そっとしておく。
酒の楽しさの代償として金銭をはじめ、記憶、財布、信頼までもが失われるのは周知の事実である。また、酔いが回って気持ちよく横になったものの、目を覚ますと頭の中で土木工事が行われているかのごとく痛み、喉はカラカラ、顔や手足がむくんでしまう、なんてこともある。ひとはそれを二日酔いという。
苦しい思いをしても、また酒を飲む。なぜか。それでも楽しいのだ。いっときの愉悦のために、苦しさを引き受けるのだ。
ランニングも酒も、どちらも度を超すとひどい目にあう。とはいえ、走りすぎで生じるのは、せいぜいが骨の亀裂、つまりは疲労骨折だが、酒を浴びるように飲んでいると、家庭に亀裂が生じてしまう。この亀裂を回復するのはなかなか大変だ。想像するだに恐ろしい。深入りしない方が賢明といえる。
ランニングも飲酒と同じなのだ。健康のためだとか、ダイエットだとか、色々あっても、くどくどと理由を付ける必要はない。楽しいから走る、楽しいから飲む。それだけなのだ。走り出しは足が重かったのに10kmくらいを過ぎると体が軽くなって、気持ちも晴れやかになる。そんなことだけでも、楽しくなる。
違いはというと、止まろう、休もう、楽になろうという気持ちに抗って走り続けることくらいだろう。その先にある達成感は酒では得られない類いのものだ。飲むのを止めよう、肝臓を休めよう、吐いて楽になろう、という気持ちを抑える方もいるかもしれないが、それは素直に吐いた方がいい。
そんな無理をして得られるのは二日酔いぐらいと相場は決まっている。
生きていてよかったと思える瞬間に出合えるならば、それでいい。そのために苦しい思いを味わおうとも、きょうも山を駆け抜け、盃を傾けるのだ。
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ここまで、お付き合いいただきありがとうございます。これにて僕の当番ノートは終了です。ではでは、またどこか秘境でお会いしましょう。