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2F/当番ノート

客のいない映画館

当番ノート 第31期

honokaa
大学院生だった頃の僕には、学校帰りに一人でよく行く映画館があった。
郊外のショッピングモールに入っていた映画館で、いわゆるシネコンてやつだ。
大学から車で30分くらいの距離が考え事をするのに丁度良く、わざわざそこまで出かけていたのを覚えている。

これは学部生の頃からの週間みたいなもので、18時に終わる講義を受けていた僕らは、授業後にレイトショーを見に行っていた。皆はどうか分からないが、月に一度のその日は講義どころではなく、終始僕は時計を気にしていた。
映画を見る前の腹ごしらえは、決まってピザが食べ放題のイタリアンレストランだった。映画好きの友人からあらすじを聞きながらの楽しい食事だ。帰りの車中では互いに考察や感想を言い合って、来月見る映画を決めたりして、名残惜しさを感じながら友人が家まで送ってくれた。

今思えばそれだけが楽しみで、僕らは月曜5限の授業を受けていた気さえする。その友人達と最後に見た映画は、トム・クルーズ出演のアクション映画だったっけ。

そんなことがあって、みんなが就職して一人大学院に残ってからも、その映画館にはよく行っていた。郊外だからかレイトショーはあまり客がおらず、それをいいことに、声を出して笑ったり、膝を抱えながら見たり、ときには涙を流したりと、自由気ままに見ていた。
それなのに一人で帰る車中では、友人と行っていた頃を思い出して「一人で見る映画も好きだけど、映画はやっぱり誰かと見たいな」なんて、わざわざ寂しさを感じていたように思う。
そこで沢山の映画を見たはずなのに、今となってははっきりと覚えていなくて、当時の自分の状況や記憶だけがよみがえってくるのはなぜだろうか。

それでも唯一、DVDやサウンドトラック、原作の小説までも購入した映画があった。
ハワイ島のホノカアという街が舞台の映画「ホノカアボーイ」。
ロケ地巡りなんてしたことが無かった僕が、初めてその土地まで足を運んだ映画だ。
今も昔も、この映画以外には無い。

映画を見ているときからすでに、スクリーンの向こう側にどうしようもなく行きたくなった。
きっと、自分のいる境遇から逃げだしたかったのだろう。自分探し、みたいなこともしたかったのだろう。考えることをやめて全部放り投げたい、そんな時期だったのだろう。序盤の優柔不断な主人公に、自分を重ねていたんだ、きっと。
目に飛び来んでくる景色は、全てが優しくて暖かくて自然体で、だけどどことなく切なくて寂しくて。昔からずっとそこにあって、それが受け継がれながら今もなお続いていて、実話に基づいているからこその力強さを、スクリーンから感じた。
ありきたりなことだけれど、ここで暮らしたら「自分はなんてちっぽけな存在なんだろう」とか思うのだろうかと、そんなことを考えながら見ていたように思う。

主人公の台詞を借りるならば、「ただ違う風景の中に身を置きたかった」のだ。

僕がその街を訪れたのはそれから5年後、2014年6月のことだった。

荻野 瞬

荻野 瞬

旅するデザイナー/旅する観光案内人

会社員時代から日本全国を車で旅し、様々な土地で出会った人々や物に魅力を感じるようになる。
退職後はフリーランスのデザイナーとして、ロゴマークや印刷物などのグラフィックデザインを中心に活動。

2014年には、鹿児島に移住する際に東京からの3週間の車の旅を「オギーソニック」と称し、キャラバンを敢行。
それ以降様々な場所を訪れながら活動し、各地で出会った人や見つけた物などの情報を発信している。

ただいま東京での拠点となる物件を探し中。

Reviewed by
熊野 英信

映画館の思い出がぼくにはあまりない。
そこまで映画館に通った覚えがない。
映画が嫌いなわけではないのだけれど、映画館に行くことは少ない。
だけれど映画は時々、じぶんをどこかへ連れて行ってくれる。
どこまでも広がっていくスクリーンの中で、なんでもない時間が流れていたりすると、
じぶんがそこにいるような気になってしまう。
テロップが切れて、ほの明るくなった館内で、あ、戻って来てしまったなと気付いて、
あんな風な物語の中でぼくは生きてるんだろうか、とか考えながら、
スクリーンには写らない日常に帰っていくのだ。
映画のロケ地に行くなんて、聖地巡礼のような気恥ずかしさもあるんじゃないかと思うけど、
「ただ違う風景の中に身を置きたかった」
それだけの理由であのスクリーンの向こうに行ってしまう荻野さんの気持ちはなんとなくわかる。
一度たりとも二度と来ないのに、ぼくらは今日も今日に慣れてしまっていて、
なんだかただ、違う風景にいたくなることがある。
憧れの地に行きたい、というのではなくて、
スクリーンに映ったあの風景、そのまんまそれになりたいような気持ち。
風景のようになれたらなんて素敵なんだろう。
映画はいつも風景であって、物語でなくてもいい。
物語はスクリーンの向こうじゃなくて、こっちにあるということを、思った。

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