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2F/当番ノート

音を届けるということ

当番ノート 第31期

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初めて入った店で自分の音が流れていて驚いた事がある。
 
 
 
当時、ダンス作品のためのサキソフォン独奏を自主版として音源にまとめて、自分のライブで売ったり、組みしたいと思う人々に名刺代わりに渡したりしていた。表現者の集まる場のオーナーに数枚を託してもいて、それが人から人へ渡って、その店のBGMになっていたのだった。自分で蒔いた種だったとはいえ、さすがに驚いた出来事だった。

その店は、あるファッションレーベルのショップで、後にそのレーベルのデザイナーとも会って話ができた。彼なりにこだわって聴き漁りつつ探した現代音楽やエレクトロニカなどの音源を、ショップや展示会場で流すためのサウンドとして鳴らしながらも感じていた疑問点を解消してくれる音だったとの事だった。

音源自体はダンス作品の音楽としての委嘱制作とはいえ、もっぱら、プライベートワークの心づもりで作っていたし、ダンス作品自体も比較的小規模な劇場やギャラリーでの公演が多く、公開範囲もその程度の認識だったのが、ささやかながらも気を吐き続けていていれば、然るべき人のところには届くものなのだと知った。
 
 
 

“White wall in Green” from “3AM Music for NO CONTROL AIR” (2012)
 
 
 
この出来事をきっかけに、件のファッションレーベルの展覧会(次のシーズンの新作発表のための、いわゆる「展示会」ではなく、衣服を表現媒体とした様な美術の世界での「展覧会」の側に位置付けられる形態だった。)のためのサウンドの制作を経て、以降数年に渡って、毎シーズンの展示会のためのサウンドを手がける様になった。

シーズン毎に渡されるイメージやキーワードを手がかりに音を組んで行くのだけれど、それらより上位概念的な前提として、
 
「空間の主役である展示されている衣服の存在感を損なわない」
「無音であることから発生する緊張感を和らげるための音」
「流れている音が、お客様との会話の邪魔をしない。服について考えているお客様の思考を遮らない。」
 
という規定・規格の様なものを求められた。
いわば、ファッションレーベルのデザイナーとして、展示会場であり商談の場でもある空間に求めるサウンドの在り方について思い描いていた問題意識であり、一般に入手出来る音源では、これらがクリアーされないので、僕が音を誂える事になったという流れでもあった。

至極当たり前の事なのだけれど、世の中に音源として流通する音楽の多くは、購買される為に作り出されているのも事実で、特にヒットチャートに食い込む様な音楽でなくとも、すべからく「訴求」することを担わざるを得ない。歌詞を通して言葉やメッセージを纏わせたり、歌は無くとも、聴き手の心を揺さぶるための強い旋律や構成、様々な施しを経て存在の強さを持ったものになっている。等々、人の耳に残り掛かれる音楽として日々作られ、消費され続ける。
・・・という様な事を、作り手としても、聴き手としても、ぼんやりと意識はしていた。
 
それならば、「訴求しない音楽」という在り方があっても良いのではないかと思えたし、それを作り出す良いきっかけが示されたのだと思う。それに、僕の音は既にそういう在り方を帯びても居た。
 
 
 
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photo by Kiyotoshi Takashima 
 
 
 
僕自身も、アーチストとしてよりもデザイナー的なスタンスで、主体というより客体という視点で音を編む事自体を楽しんでいたし、色の名前や、素材感や光について等の抽象的な言葉の手がかりから、半年置きにやってくる各シーズンのコレクションの世界観を、音を通して映し出す様な心持ちで作っていた。また、ここでの様々な試みやアウトプットが、舞台のための音楽や自らの即興演奏の糧やヒントになってもいて、お互いを編み込む様な創造的な循環の相互作用が成り立っていたとも思う。

もともとファッション展示のための音楽として制作されたものではあるものの、様々な集成や循環を経て、場というものへの馴染みの良さを信条として編み出され組み上げた音達でもあるので、然るべき受取手に渡れば、彼らの内側にある何らかのイメージと結びきやすい性質があるのだろうか?後に、上記の「展覧会」および、各シーズンの「展示会」の楽曲をセレクトしてまとめたものが音楽レーベルから流通版としてリリースされて以降、他の業態の店内空間はもとより、それまで関わりのなかったカンパニーの舞台作品や、ルポルタージュ映像作品のための楽曲として採用され、その音楽本来の居場所とは異なる、新たなシーンを与えられている事に驚いている。
 
 
 

Gazed and Gazed (2014)
Production:HULAHOOPERS
Cinematographer,Editor:Atsushi Sugimoto
Co-Director: Satoru Watanabe
Music:Yow Funahashi “ma-r” from “3AM Music for NO CONTROL AIR”
 
 
 
色んな機会を得ながらも改めて思うのは、ある音楽の作り手からもらった言葉。
「音楽でしかない音楽」
これは、僕の演奏や音源を見渡した、とても的を得た例えだった。
 
 
自らの芯として、音楽でしかない音楽というものを見据えていたい。
 
 
 

舩橋 陽

舩橋 陽

音楽家/美術家
1995年から、主にサキソフォンによる演奏活動を開始。現在は即興演奏によるソロやセッション、自身が主宰するユニットなどで活動。舞台作品への楽曲提供や演奏参加、映像作品やファッション展示の音楽なども手掛けている。2012年に『3AM』(RONDADE)をリリース。
音楽活動と並行して、サウンドオブジェなどの美術作品、写真も発表している。

Reviewed by
イルボン

作り手の意識をよそに受け手のとらえ方は自由だ。ある限定された消費者を訴求しない作品は、だからこその可能性に満ちている。そしてときに最も個人的なものが最も汎用的オリジナリティに満ちている。

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