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2F/当番ノート

あこがれの県人会

当番ノート 第32期

「県人会」という言葉をご存知でしょうか。

同じ出身の県・地域の人たちが集まって飲む、そんな会が東京では行われているようです。
ぼくにとって県人会は崖の上に咲く一輪のきれいな花、青春の残りカス、つまり「憧れ」です。

僕は幼い頃、引越族でした。
理由は父親の転勤です。

県人会やってます!地元サイコー!系のSNS投稿はいつでも羨ましい。
僕は県人会参加のパスポートを持っていない、そんな気持ちになるのです。

僕の人生は、ジャン=ピエール・ポルナレフの言う「故郷には思い出がある、どこへ行っても必ず帰ってしまう場所なんです」、そんな心の居所を探す旅なのかもしれません。

つまり地元と呼べる場所がここだ!と自分で言い切れない煮えきらなさがあるのですが、悪いことばかりでもないのです。
もし僕のような人たちで集まるとしたら、「地元どこいったの会」となるのでしょう。
いつか見つかる、そんな意味も込めて・・・。

「地元どこいったの会」で盛り上がりそうなあるあるをまとめてみました。

 ・親が転勤族だった。
 ・環境の変化への適応力が高い。
 ・外向きのコミュニケーションの訓練を幼い頃から積んでいる。
 ・引越に抵抗が無い。
 ・逆に一箇所にいるとソワソワする。
 ・どこ出身?の答えに迷う。
 ・色々なところに地元あるって最高だね!と地元大好きな人に言われる。

ざっとこんな事が話されるでしょう。。(妄想)

日本とオーストラリアのハーフの友人からこんな事を言われた事があります。
日本に入れば海外人と見られ海外にいればアジアンと言われる、自分は一体どこの国の人間なのか、と葛藤する、という内容の話です。

僕より遥かにグローバル感が大きいです。笑

どこ出身?の質問は、裏側に出身地があって当たり前というコンテクストが存在しているように感じられます。
誕生日や星座くらいあって当たり前という感じです。

自分には「当たり前」が無い?それっておかしな事か?と他人とのギャップから感じたわけですが、最初はその気持は複雑。
多感な青春時代の自分探しを経て、そこは、パーソナリティ・個性ということで今は落ち着いています。
しかし、「県人会」を見聞きする度、青春時代の自分探しの気持ちが想起されて、キュンとしてしまうのです。

今回は、ルーツから自分のパーソナリティを紐解いてみました。

青春の残りカス=県人会。
いつまでも会いに行けないアイドルくらいのポジションに居てください。

kotaro higuchi

kotaro higuchi

株式会社WAT ディレクター/BKD餃子部所属。
東京・神奈川で8つの飲食店やレンタルスペースの運営や企画をしています。

Reviewed by
井口隆之

例えば私は元野球少年
生まれ育った千葉県から、都内の高校に通い、甲子園出場には程遠い弱小野球部ながら日々青春時代を過ごした

高校生の倍違い人生を既に歩んで来た今も、春夏と甲子園を観戦する際はなんの気無しに西東京、或いは千葉のチームに肩入れをしてしまう
実際のところ野球の強豪校は全国から有望な選手をスカウトし、地元出身の選手が殆どいないなんてことも珍しくはないのに・・・

スケートの羽生選手もテニスの錦織選手も、既に長い事拠点は海外
イチロー選手に至っては日本のプロ野球界より大リーグでプレーしている時間の方が遥かに長い

しかしやはり、スポーツの国際試合などを見にする際には無意識に日本、日本人に肩入れをして観戦してしまう

人の「帰属意識」とははたしてどこから産まれるのか?

一説によると、「扉」で明確に仕切られた建物の歴史がある西洋に比べ、「襖」により一つの空間を分けあうだけの日本の方が、「個」より「集団」をより重視する文化にあるそうだ

とはいえ、「国歌斉唱」の姿を見ると、日本人より海外の方が団結感は強く見られるような気もする

帰属意識による安心感はなんなのか?
国、地域、学校、会社、チーム・・・様々な物に「属」する機会がある社会

この辺りとパーソナリティやアイデンティティとの関連性を自分に当てはめてもう少し掘り下げてみると、また実に興味深いかもしれない


ある意味「故郷が特定できない」のも一つの帰属する「属」と考えると、それが樋口さんのパーソナリティを形成する一つの大きな要素になっていることは疑いないだろう

・・・と、甲子園で西東京と千葉の対戦がある度に心を悩ませながら、ジャン=ピエール・ポルナレフの如く「今おれは逃げてるんじゃねぇ」と言い聞かせ「あ…ありのまま 今 起こった事」を受け止めている、日本人です

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