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2F/当番ノート

30代前半、流されて生きてた方が良かった話

当番ノート 第32期

どんなお仕事されている会社なんですか?

僕が名刺交換の時に質問されるNO1頻度のセリフです。

「飲食の会社です。店舗運営とプロデュースをしている会社です。」

と僕は答える事にしています。
僕は株式会社WATという会社で働いています。
未だにWEBサイトも無い(ずっと製作中)謎の組織なのです。
(注:ちゃんとした会社です)

僕は、大学は建築学科出身、新卒で建設コンサルタント会社に入社し、在職中に一級建築士の資格を取得しました。
そんな経歴から転身し、今は飲食業界に身を置いています。
料理もできないし、接客もできない。
コーヒーもうまく淹れられない。
そんな僕がいまこの業界に身を置いているのは大きな理由があります。

それは30代前半僕が流されて生きたからです。

流されて生きていたらここにいました。
今、日々が本当に充実して過ごしていています。

流されて生きる事、かっこ悪い風に聞こえるかもしれません。
しかし、決してそんな事は無いのです。
僕が流されて生きている訳、
それは東北で出会ったある友人の言葉がきっかけでした。

ーーーーーーーーーーー

30歳になる1ヶ月前、僕は新卒で入った会社を辞めました。
そして、次働くはずだった会社から、不幸にも内定取消の連絡を頂きました。
2011年9月、完全な無職です。

当時、東日本大震災後、日本中大変な時期でした。
仕事が無くなった僕は、ふと思い立ちました。
東北の困った人たちを助けに行こう!と。

2011年10月〜12月の約3ヶ月、僕は宮城県気仙沼市でボランティアに勤しみました。
僕は無職で30歳になりました。

毎日毎日、東北の心優しき方々にお礼を言われ、志が同じボランティア仲間と語り合う、充実した日々です。
しかし、サラリーマン経験値を貯めてきただけの僕は逆に感じてしまったのです。
僕に何か能力があれば困っている人たちをもっと助けられるのに、と。

そんな話をボランティア仲間のある女性にしました。
それ以外に、東京に戻ってもどうしていいか分からない、何がやりたいのか分からない、といったような事を彼女に話したと思います。

彼女は僕に言いました「流されて生きてればいいんだよ」と。

うまくその時の言葉が再現できないのですが、その時、彼女の言葉を聞いて胸がスーッとしたのを覚えています。
そして、こんな事を思いました。

− 流れに身を任せていればたくさんの機会が訪れる。
− コレがしたいと決めつけ無い方がいい。
− その時の気持ちを大事にすることが大切なんじゃないか。
− そのためにちゃんと流れていた方がいいんじゃないか。

僕は、将来の事は自分で決めて選ばないといけない、と思い込んでいました。
しかし、彼女は全く逆の事を言うのですが妙な説得力があったのです。

ーーーーーーーーーーー

2011年12月、僕は東京に戻りました。

とはいえ、仕事探さなきゃと休業手当を貰いながらの就活です。
資格もあったし働き先は決められるだろうと気楽な気持ちでいました。

そんな折、現株式会社WAT社長の石渡さんからショートメールで連絡が来たのです。
(当時はまだWATは無かったのですが。)
新しいプロジェクトがあるから短期でいいので手伝ってくれないか、と。
2012年3月頭の事でした。
その時は何故かカンボジアの湖で船の上にいたので良く覚えています。
湖に落ちる夕日を見ながら僕は格好つけて空を見ていたのでした。

僕は日本に帰って選考の進んでいた会社の面接を全部断りました。
石渡さんの手伝いをしようと思ったのです。
「流されよう」と自分の意思で思ったのです。

人生の節目としてなんだか大切そうな時な気がする30歳。
そんな時期に僕は「流されよう」という選択をしたのでした。

実際は、異業種への転職だったから超不安でした。
下働きから始めようと思っていましたので、流される以外できないな、とも思いました笑

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「流されるスタンス」。

つまり気の持ちようなわけです。
あの頃から早5年が経ち、今僕が思う事があります。
流され続けてよかったな、と。

5年もそれをやっていると逆に自分の個性が見えてきます。
周りのみんなは、僕に美味しい料理を作れとも、コーヒーを淹れろとも言いません。
その代わり、僕が「出来そうな事」を持ってきてくれます。
僕は「出来そうな事」を与えられているうちに、どんどんそれが「出来る事」になります。
そうすると僕の「出来る事」で困った人を助けられたり、喜んでくれたりする人がいるのです。
結果、それが「やりたい事」になるし、自分の個性になっている。

やりたい事がある人、なんでも積極的に手を挙げられる人には良くわからないかもしれません。
しかし、「やりたい事」が分からないと思う人が居たら流されてみてはどうでしょうか。
もしかしたら、誰かが「出来そうな事」を持ってきてくれるかもしれません。

kotaro higuchi

kotaro higuchi

株式会社WAT ディレクター/BKD餃子部所属。
東京・神奈川で8つの飲食店やレンタルスペースの運営や企画をしています。

Reviewed by
井口隆之

あなたの「やりたいこと」は何ですか?
自分の「やりたいこと」は何だろう?

この命題に悩む人は少なくない(多分)

勿論「やりたいこと」・・・あるに越したことはないだろう

ただ、冷静に考えてみよう
「やりたいこと」は本当に常に不可欠なものだろうか?

やりたいこと・・・
ボランティアでも金儲けでもいい
料理でも建築でも、文筆でも
事務でも営業でも
勉強でも読書でも、スポーツでもテレビゲームでも構わない

「やりたいこと」がある人は、なぜその「やりたいこと」をやっているのか?

恐らく、その延長線上に大小様々な喜びや満足、幸せがあるからではないだろうか?

喜びや満足、幸せは「状態」
ココを「目的」とするならば、「やりたいこと」など、ただの「手段」でしかない

探すべきは「手段」ではなく「目的」
目的が状態であれば、そう・・・本来、手段なんて何でもいいのだ


樋口さんは言う

『「出来そうな事」を与えられているうちに、どんどんそれが「出来る事」になります。
そうすると僕の「出来る事」で困った人を助けられたり、喜んでくれたりする人がいるのです。
結果、それが「やりたい事」になるし、自分の個性になっている。』

自らが何を求めているのか?
迷子になった時は、いきなり手段である「やりたいこと」を我武者羅に探すのではなく
自分の「ありたい状態」の探索のため、無理をせずその時の流れに身を任せてみるのもいいのかもしれない・・・

目指すべき「貪り尽くす惰眠」「楽して成功」という自らの幸せの為に、日々寝る間も惜しみ、絶えず馬車馬のように働きながら・・・そんな事を考えている

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