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2F/当番ノート

群青色の街〜きっかけ〜

当番ノート 第32期

きっとひどく仕事に疲れていたんだと思う。あの時のことを振り返ると、そう思う。ただ、その時の感覚は、仕事そのものに疲れていたというより、仕事を取り巻く閉塞的な空気に長くやられているという感じで、だいぶ自分を殺してきた期間が長く続いていた。でもそういう時こそ、かすかに残っている感性とか自分らしさみたいなのが、これだと思うものに強く反応する。
 普段テレビなんか見ないんだけど、なぜかあの日はつけていた。テレビでは、ぼんやりとした大人しい水色の空と、広くて青い海と、そして昔ながらの佇まいの一軒家が舞台の映画をやっていた。そしてその家に、訳ありらしい4人姉妹が暮らしていた。
画面の中の、ぼんやりとした青い景色が広がる、緑の多いその街に心が惹きつけられる。一目見てわかる。
この街は私が好きな、あの群青色の街だ。

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 空が澄んでいて、海が近くて、緑が多い。歩くだけでちょっと特別な気分になれる神社やお寺があって、どこを歩いていてものんびりとした空気が流れている。でもどこを切り取ってもその街だと分かる。
大学生の頃から、恋人や友達とちょっと遠出しようとなると、私がよく候補に挙げるこの街。きらいな人って、聞いたことない。
 その映画をぼんやり見ていて、私の凝り固まっていた心が溶けだしたのは、一つ屋根の下に暮らす4人姉妹の掛け合いのシーンだった。どうでもいいようなこと、その日あったことや人から聞いたことが話題になっていて、特別なことはない会話風景なのに、そのなんでもない感じが羨ましかった。
たぶん私は4年間の一人暮らし生活で、手に入れてからしばらく経った”自由”に飽き始めていて、そして疲れ始めていたんだと思う。仕事から帰ってきて、誰もいない家。調子がいい時や楽しい予定が詰まっている時はいいのだけど、なにかうまくいっていなかったり、しばらく一人が続く時、一人暮らしだと気持ちの切り替えが難しい。
どうでもいいような話を共有する相手が欲しい。実家に時々帰ると、本当にどうでもいいような話を母とするけれど、そのどうでもいい会話こそ大事なのだと一人暮らしを始めてから実感した。ただ話をすることだけで、その日あったことを過去へと流していけるのだ。そして、気持ちを切り替えていけるのだ。
 今目の前で4姉妹が繰り広げる他愛もない会話と、そしてゆったりとした空気の流れる生活が、今どうしようもなく手の届かない場所にあると思った。その生活から、かけ離れた暮らしを今、私はしている。
 疲れていた。だけど、疲れていたからこそピンとくるものがあって、私はスマートフォンを手に取った。検索すると、ある雑誌の表紙の写真と、紹介文がでてきた。随分前に本屋さんでその雑誌を見かけた時、すっと引き寄せられて、一心に読みふけった。その雑誌に載っている写真とか、流れ出る空気感みたいなのがなんとなく記憶の底にずっと残っていて、目の前の景色を見ていたら、急にひっぱりだされてきた。
その雑誌のタイトルは、
『いい一日が待ってる町 鎌倉』
観光として行く鎌倉じゃなくて、日常を過ごす場所としての鎌倉ってどんな感じなのだろうとふと思う。鎌倉は近いからいつも日帰りで行っていたけど、泊まりで行ってみるのもありかもしれない。
私はいつも旅をする時には、行く前にガイドブックや本で妄想を膨らませることがすきで、今回はこの雑誌が旅のお供にしようかと思い、購入ボタンを押す。
思いがけず鎌倉に気持ちを向かわせてくれた、画面の中の4人姉妹に感謝をしながら。

Anny

Anny

転換期を迎えつつある26歳。ライター・役者。時々阿波踊りを踊っています。

Reviewed by
大沢 寛

鎌倉の魅力は「海と山に囲まれた自然豊かな街」「数々の歴史に彩られた街」「おいしいお店がたくさんある街」など人によって様々だが、せわしない日常を離れて心静かに過ごすには最適な場所である。緑にかこまれた神社仏閣を訪うのもまた良い。今回のご登場いただくAnnyさんもまたそんな鎌倉の魅力にとりつかれた一人。『海街diary』がきっけけで鎌倉に興味を持ち、1冊のガイドブックを携えてこのたび鎌倉を訪れることになった。都心にすめば日帰りでも充分に楽しめる鎌倉ではあるが、今回はあえて泊まりで出かけるというAnnyさんが見た鎌倉とはどのような街で、どんな人と出会い、そして何を発見するのであろうか。この2ヶ月の連載で彼女が描く鎌倉がとても楽しみな今回の序文である。

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