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2F/当番ノート

はじめまして。アワウダです。

当番ノート 第32期

うたを作って、歌っています。どうも、アパートメント第32期火曜日担当のアワウダミズハです。

「何を書いてもいいんだよ」と言われ、ぐるぐる考えて締め切り前日。プロフィールは別であるけど、折角こうやって書く場を頂けたので色々とアワウダの中身を知ってもらえたらなんて厚かましく思っております。

まずはアワウダミズハの始まりから。

歌う事を始めたのは、なんて決まった事はなく大抵の皆様と同じように物心ついた頃には音楽が側にあって、気づいたら歌っていたという感じ。90年代のj-popの全盛期。ミリオン単位でCDが売れて、毎週オリコンランキングを見てCDレンタルしては片っ端からテープに録音をしていた。TSUTAYAに行くのが楽しみでしょうがなかった。兄が二人いた私は新しいおもちゃを買ってもらった記憶は少ないけれど、少ないその一つがCDラジカセだったと記憶している。2〜3kgはある家電量販店とかにある大きいやつ。あの頃は週3くらいでTVの音楽番組がやっていた時代で、そう思えば音楽をやっている家族が一人もいない我が家で音楽(j-pop)がこんなに身近にあったのは、そんな時代のせいだったのかもしれないとも少し思う。そんな幼少期。

その後、初めて人前で歌う事をしたのは習っていたエレクトーンの発表会。エンディングで歌を皆で歌うっていうシーンがあって、経緯は忘れてしまったけどマイクを持ってソロを歌わせてもらった。小さな田舎町の楽器店発表会なので恐らく200〜300人くらいのキャパだと思うのだけど、世界を味方にしたかのような、最高に気持ちのいい空間を知ってしまった瞬間だった。あの時の勘違いっぷりというのは、ちょっと自身でも誇らしいレベル。そんな勘違いも功を奏して夢となって志となって、その後20年以上どんな時も私を支え続けてくれてるのだから悪いものじゃない。

とはいえ、うたを作る事を始めたのは5〜6年前。きっかけは、あったようななかったような。最初は「オリジナルのうたを作れたらなんだかカッコイイじゃないか」という憧れみたいなもので。人真似をしてピアノに合わせて歌って、ぽつぽつと出来上がっていくうた達。それらを歌ってライブをしてお客様に聞いてもらい、はたまたCDというモノにして人様に買っていただいたりとそれなりに「活動」をしてきた。つもり。

「あーもう辞めちゃおっかな」ていう時期は何度もあって、「あーもう辞めよう」は2回くらい。そもそも音楽を「辞める」という概念も、あるようでないようなところがあるけど、それなりに区切りをつけたいっていう思いなのだと自分では思っている。

その「あーもう辞めよう」の1回目の話。丁度活動を始めて1年くらい経った2012年。やっとライブ活動も定期的に出来るようになった頃。そんな中すごく悲しい事があって、初めて何も喉を通らないという経験をした。体重が最大5kg減。まだ会社勤めの頃で、並行して月最低でも4本くらいはライブをしてたけど、正直歌いたくないし音楽を聞くことも嫌だった。そして、一番苦しいのは、そんな私が歌ううたを聞きたいとライブに来てくれるお客様がいた事。「申し訳ない」なんて言葉じゃ許されないし、許したくもなかった。止められない時間に流されるようで、この時ばかりは「辞める」時が来たと感じた。

そんな私も私なりに悩みに悩んでいた時、久々に会った友人との会話の中で、ふと答えが見つかったみたいにしっくりときた事があった。それが初めてのCDを作るという事だった。感謝の気持ちをカタチにして終わりにしようと決心し、初めてのCD制作をスタートさせる事となった。もちろん初めてだから何をどうしたらいいか分からなくて困っていたのだけど、不思議なもので「やりたい」という気持ちがあると自然とヒントを引き寄せるパワーがあるというか。有難い環境の下、制作を進める事が出来た。

演奏はピアノのみの予定だったので家で一人、ピアノのレコーディングをしてスタジオに行って歌入れ。ミックス(音のバランス等の調整みたいなの)は知り合いの方が年末休みを返上して作業してくれた。ジャケットの写真は高校からの友人と車走らせ千葉の海に撮影へ。晴れた日とは言え冬一歩手前ですごく寒い中、日が落ちるまで写真を撮ってくれた。言ってしまえば全てほぼ無償。ただただ「力になれるなら」とサポートをしてくれた方々のおかげでしかなかった。予定通りプレス会社への入稿を完了し、あとはリリースイベントを成功させるだけとなった。

年明け2013年1月。出来上がったCDを皆さんへお披露目するリリースパーティを渋谷のPLUGというライブハウスで行った。このライブハウスは、私が初めて弾き語りをした場所。何度も悔しいライブをした場所。思入れのあるステージで、昔から共に頑張ってきたスクール時代の友人アーティストに出演頂いてイベントを開催する事が出来た。当日は100人近くのお客様が集まって下さり満員御礼。CDは持っていった予定枚数全て売れてしまった。

怒涛の2ヶ月くらいの制作期間。今では考えられないけど、とにかくサポートして関わってくださった方々・CDを受け取ってくださったお客様のおかげで成し得た事。
「辞める」なんて言ってはいけない。続けて、このCDを多くの人へ届けなきゃと心から思える日になった。

それから作ったCDを持っての活動を開始、気付けば完売。正直自分でも聞くのが恥ずかしいくらいの音源だけど、このCDを作った事が今に繋がっている。このCDが私と聞いてくださるお客様を繋いでくれている。どんなにCDが売れなくても、モノとして残し続ける意味は必ずあると思う。

今思えば、あのご飯も食べられないほどの憂鬱な日々をくれた元彼にありがとうを言いたいくらいだ。(そう、フラれただけ)

ピンチはチャンス、とはちょっと違うけど何事も進んでみないとその先の行方は分からない事が多いと気づいた話でした。

とまあ初回から赤裸々に書きすぎていないかと少々不安なアワウダですが、折角頂いた機会なのでアワウダミズハを知ってもらえたら嬉しいし、自分ももっと自分を知りたいと思っています。

どうぞお付き合いのほど、宜しくお願いします◎

追記:2回目の「あーもう辞めよう」はまたいつか。

粟生田水葉

粟生田水葉

粟生田水葉(アワウダミズハ)

1987年生まれ。東京都出身。

うたを作って歌っています。
たまにちょっと踊ります。
美味しいものと人が大好きです。

Reviewed by
猫田 耳子

昭和と平成の節目に生まれた僕らにとって、はじめて出会った音楽には“体積”があった。
ラジカセは重くって、CDケースは割れやすくって…時代と共に音が“体”を持たなくなって、音楽家はその変化をどう捉えているのだろうと不思議に思ってもみたけれど、そういえば元々音に“体”なんてものは無かったのだ。
音楽が体を持つ、あの時代ならではの奇妙な出来事を共有する僕たちは、それをもう少し誇ってもいいと思う。

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