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2F/当番ノート

空に接吻して

当番ノート 第34期

005-0831-fin

突然、暮らし方がわからなくなる。
突然、歩き方がわからなくなる。
突然、あり方がわからなくなる。
そんなことがよくあるよね。
ただここに存在するだけのことがどうしてこんなに難しいのか。
ホワイ?と天を仰いで神様に祈って、空に接吻。あら、まるでパープルへイズみたい。えへへへ。つって髭が特徴的なスキンヘットの男の人に抱きしめてもらうと余計な事を考えると気が紛れてとてもいい。

最近は金の事ばかり考えている。イヤ、最近に限ったことでななくて幼い頃から割と金の事ばかり考えている。ここでいう「金」とはカネ、すなわち銭、英語で言うとマネーのことであるが、本当に私は小さい頃から金のことばかり考えている。セコいのである、ケチくさいのである、なんだかんだと言ってみたけど結局金が好きなのである。
子供というのはお金がかかるらしく、しかも私は3人兄弟で、しかも年子であるので、幼い頃から節約家の母に小言を言われながら、欲しい物は買ってもらえず、どうしても欲しいものは神奈川の意地悪な祖母に買ってもらわなくては手に入らなかった。まぁ子供は働けないのでそれは当たり前の話で、学費などは不自由なく支払ってもらえて大学まで卒業させてもらい本当に感謝しているが、小さい頃からお金が欲しくて欲しくてたまらなかった。小学生の時にめちゃくちゃ流行ったドラマ「家なき子」の「同情するなら金をくれ!」というスピリッツに影響を受け過ぎたのかもしれない。
私は早く大人になりたかった。
大人になって働けば家や車は安易に購入できるものだと思っていたし、毎日毎夜野菜ばかり食わされるので、大人になって働けば嫌いな野菜は食べずにすむだろうし、毎日大好きなハンバーグやらスペアリブなど食べ放題であるし、洋服も買いたい放題で、かっちょいいヨーロピアン家具に囲まれ放題で、ハイブランドのバッグなどは当たり前に持てる。自分の好きな人生。自由な人生。自立した人生がおくれるものだと思い込んでいた。

「好きなことを生業にしたい」と言っている人を小馬鹿にしていた。何を言ってやがる。好きなことはお金と離して考えないと好きなものを好きなままでいられなくなってしまうではないか!そのうち「好きなこと」が「お金の為」にすり替わり、きっと「好きなことをする為」に働いていたはずなのに「生活やお金の為」にすり替わって、心は醜くなり、夢も希望もありゃしない精神状態に陥って死んだ魚の目をして暮らすようになるだろう。だってこの社会でお金になること、人気があるもの、メジャーであるものは往々にして退屈で一過性のものばかりでとてもツマラナイじゃない?
消費されたくないんじゃ。アングラでいたいんじゃ。あぶらだこになりたいんじゃ。普遍性を考えたいんじゃ。そんな絵空事をぬかしていた過去の汚れなき世間知らずな私を思いっきりスパンキングしてやりたい。
今は好きなことを生業にしている人を心から尊敬している。好きな事をして生活でけたら、それほど素晴らしいことはない。そして話が早い。他に時間を使って働くことはない分、全人生を好きな事に捧げられ、いろいろと無駄もなく、没頭する時間が増える。単純な話だ。そしてもちろんそれはを可能にするのはとても難しいのだけど。

時は過ぎ去り私は大人になった。しかし実際の私の生活はというと常に金欠。薄給で働いて働いて寝ずに働いてクリエイティブつって寝ず食べずで自律神経がイカれて幻覚幻聴をみたり、働いてもすぐ人に嫌われてしまうので職場の人に嫌みを言われたりデザイン画をシュレッターにかけられたり、有給がとれないのはおかしい!と文句を言ったらユーアーファイヤー!になったりと社会で働く才能がまったくないので結局稼げず、そんな毎日なものだから金は貯まらず(こんなに金のことばかり考えているのにお金を稼ぐ才能はまったくないのだ)、お金にならないことばかりに力を注いでいる。
自分の好きなことをやれる時間を作るのは命がけで努力しなければ取れず、1年に1回ほどのペースでしてる個展はパッとせずにただただ金を消費するばかりで、やっと絵が少しづつ売れるようになってきたけどそんなもんじゃ生活するには全然足りず、毎日毎日金のことばかり考えて暗い気持ちになっている。
はっはっは。そんな暗い気持ちになるくらいなら金のことなぞ考えなければいいのさエリコ!と己の貴族的部分が唸る時もあるが、馬鹿言え貴族。このシステムの中で生きるのには暮らすのには、金が必要なんだ。そしてその最低限のお金さえ私は作れないんだ。みたか!ざまぁみさらせ〜〜!と吠えた後、また暗い気持ちになるのだろう。まぁ別にいっか。いやいやいやいいのか?金がないと家賃が払えないけども。おまんま食べれないけども。税金が払えないけども。電車に乗って会いたい人にも会えないし、美術館にも映画館にも行けないじゃない。決して贅沢をしたい訳じゃない(嘘。贅沢というものをしてみたい)。私はお金が欲しい。カネカネカネカネマネーマネー。

こないにカネカネ言って、私は大人になったのに自分の好きな人生、自由な人生、自立した人生をおくれていないのだろうか?というと他人からはそう見られているだろうが、きっとそうではない。あらゆる局面で自分がひとつひとつ選択してきて、今、ここに立ってる。「人生は長い旅」などという使い古されて聞き飽きてしまった言葉があるが、本当に人生は長い旅路である。いくつもの道を選び、歩み続けなければならない。例えば、コーヒーと紅茶か。ビーフかフィッシュかというような小さな選択から、大学へ行くか働くか、結婚をするかしないか等というようなまあまあ大きな選択まで、ありとあらゆる道が広がっていて、私たちは意識的に無意識的にその道を選び歩かなければならない。カーナビやグーグルマップのルートにそってやってきた訳ではないのだ。リッチな暮らしはできない、友達も多くはないし、もう若くもないし、可愛気もなければ面白味もない、なんの変哲のないヒューマンビーイング。しかしそれはすべて自分で選んで来た道の上。自分でえらんでこうしてここにある。
そう考えると、なんて幸せなことなのだろうと思えてくる。
それが自分の好きな人生、自由な人生、自立した人生であろう。
きっとそうなんだろう??
いやはや、絶対の絶対の反対の反対にそうなんだろう。

暮らし方がわからなくなる。
歩き方がわからなくなる。
あり方がわからなくなる。
だからまた、ホワイ?と空に接吻しながら探ろうと思う。
まだまだ私、大丈夫。
そんなことを言ってる場合ではないかもしれないけどそれでも言いたい。
大丈夫。

namazu eriko

namazu eriko

1985年、八ヶ岳出身。
神奈川県在住。
絵/テキスト/デザイン
たまに酒場のカウンター

8月は荒木町アートスナック番狂せのグループ展「八月、番狂せ、カレーとTシャツの庭」に参加しています。

Reviewed by
木澤 洋一

namazu erikoさんの連載最終回。カネカネマネーと言いつつも、結末は最終回のちょっとした寂しさと、自分を肯定する優しさがあって、素晴らしい結末だった。

突然、あり方がわからなくなる。
そんなことがよくあるよね。という言葉が特に良かった。
なんだかとても安心させてくれる。

全然筆者の考えとは違うけど、あり方が分からないまま特に何も用意せずに何も見つけずに、正気を保っていられたら、それはそれで最高だと思った。

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