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2F/当番ノート

タイの地獄めぐり① ―序章・現代化する地獄―

当番ノート 第35期

「地獄寺」―あの世とこの世の境界にある、人間の本音が隠れている場所―

 タイは国民の9割以上が仏教徒という敬虔な仏教国である。そのため、まるでコンビニのように至るところに寺院が存在する。その数は約3万といわれており、日本のコンビニの数は2017年現在6万ほどであるので、街中のコンビニの半数が寺院であるような感覚である。そして数ある寺院の中には、コンクリート像で「地獄」を模した空間を併せもつ寺院が存在する。こんな感じだ。

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 このような寺院を日本では「地獄寺」と称し、一部の珍スポットマニアの間ではそれなりに有名である。見ての通り、コンクリート像はグロテスクで、キッチュで、でもどこか愛嬌があって、そんな様相から「地獄テーマパーク」などと称されることもある。

 しかしながら、これらの寺院はタイにおいてそこまで奇妙な場所だとは認識されていない。その要因のひとつとして、このような表現がタイでは特異ではないこと、つまりグロテスクな表現が日本のように忌避されるものではないことが挙げられる。またこれらの寺院の多くは農村部にぽつんとある場合が多く、観光客が全く見られないこともしばしばである。加えて、農村部において、寺院は地元民の集会所のような役割を担っている場合も多い。つまり、地元民にとっては地獄が日常の風景であるのだ。

 そして私はこの認識の差に疑問を抱いた。日本人の目から見たらこんなにも「ヤバい」場所がタイにはたくさんあって、しかもそれを日常の風景として取り入れている。なぜそんなことが起こり得るのか。そうした興味が私を「研究」という道へと駆り立てたのである。そして私は2013年に初めてタイに訪れて以来、この地獄寺にまんまと魅了され、現代仏教美術の観点から研究を進めている。

 ―ということで、私は昨年から学生の特権である夏休みを利用し、1か月でできるだけ多くの地獄寺を訪れるという地獄めぐりを行なっている。昨年はタイを一周し46か所の寺院をめぐった。そして今年は47か所目からスタートすることとなった。

 先にも述べたように、地獄寺は農村部にあることが多い。単刀直入に言うとド田舎にあるのである。もちろん外国人が足を運ぶような場所ではない。そのため現地のタイ人と同じような交通手段、食事、コミュニケーションをとる必要があり、それらは時に悪状況であることもある。例えば、ガタガタの道をバイクの後ろに乗って何時間も走ったり、虫の集った食べ物を食べたり、終始タイ語でコミュニケーションをとったり、などである。そのような状況を時に楽しく時に辛く乗り越え、地獄めぐりを行なってきた。

 本連載では、そういった観光目的では決してできない体験や旅のエピソードを織り交ぜながら、タイの地獄寺の魅力を伝えていければと思う。今年の夏、約1ヶ月間の地獄めぐりの思い出を8回にわたり綴っていくので、お付き合いいただければ幸いである。

◆地獄めぐり day 1

 2017年最初の地獄寺は首都バンコクの隣県、ノンタブリー県にある地獄寺だ。この日は幸い、バンコクに住む知人が車で送ってくれるとのことで、スムーズに地獄寺へ辿り着けた。

バンコクから車で約1時間、目的地のワット・バーンコーへ到着。ちなみに「ワット」は寺院の意味である。寺院に着くなり、おなじみのコンクリート像が目に入った。

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(おおおおお…!)
約1年ぶりの地獄に感動を隠せない。今年もついにやってきたぞという気持ちになる。よく晴れた青空に真っ白な亡者たちがよく映える中、ザっと見渡すと棘の木や地獄釜などが目に入る。

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 よく「タイの地獄は日本の地獄とどう違うの?」という質問を受けることがあるが、実は大して変わらない。タイの地獄も日本の地獄も仏教の教えに基づいていて、日本人のイメージする地獄釜であるとか、棘の木であるとか、そういったものが表現されている。ただ、その「表現」に関しては日本と大きく異なっている。コンクリートであらわされている点はもちろん、その色彩感覚、すくすくと伸び広がるような造形、開放的な屋外につくられている点など、自由でおおらかなタイならでは表現がなされているのである。

 また日本人が地獄と聞いて一番に想起するであろう「閻魔さま」も、タイの地獄においてちゃんと存在している。タイでは「ヤマ王」といい、これは閻魔の起源となった王である。もともとはインドで説かれていたヤマ王であるが、彼は人類で初めて死んだ者であるという。以降、ヤマ王は地獄を司る役割を担うこととなるが、その様相は人間とさほど変わらないのが一般的である。一方、日本の閻魔は中国の道教思想を介して日本に輸入されたため、中国の官吏服をまとい、赤ら顔のヒゲ面である。

このヤマ王の裁きの場面というのは、地獄寺でも欠かせない造形モチーフである。ワット・バーンコーでもヤマ王の裁きの場面がつくられていた。

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中央に高く座しているのがヤマ王だ。その脇にいるのは地獄の役人であり、亡者の生前の罪を記帳している。が、よく見ると彼の目の前にはパソコンがあるではないか…!

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本来ならば生前の罪は紙や犬の皮などに記されるはずだが、どうやら地獄も時代に合わせて現代化しているらしい。パソコンの画面には「良いことをすると天国へ行く」と映されていた。

◆地獄めぐり day 2

 昨日に引き続き、この日も知人が車で送ってくれた。ド田舎の地獄寺へは行くのも大変だが、何より公共交通機関のないような場所では帰りの足を確保することが最も大変である。なので、運転免許を持っていない私にとっては車で送ってもらえるのは心底ありがたい。

 この日の行程はサケーオ県にあるワット・リーニミットと、ラヨーン県にあるワット・ナムトックタンマロットという地獄寺の2か所だ。特に後者のワット・ナムトックタンマロットは、昨年タイ人に聞いたところ洪水で破壊されたよ!ということだったので、本当にあるのかないのかわからずに行くことにした。

バンコクから車で約3時間、最初の目的地ワット・リーニミットへ到着。寺院の敷地に入るとさっそく巨大像2体が目に入る。

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この巨大像は多くの地獄寺で目にすることができ、彼らは「餓鬼」であるという。仏教には六道輪廻という考え方があり、天界・人界・阿修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界という6つの世界を生まれ変わりながら行き来する。そしてこの巨大像は餓鬼界に生まれた餓鬼、つまり常に飢えている者なのである。

 ワット・リーニミットでもヤマ王の裁きの場面がつくられていた。そしてまたしても、地獄の役人が手にしているものはパソコンであった。しかも今度はちょっと進化してノートパソコンである。やはり地獄現代化の波は確実に押し寄せているようだ。
 
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ちなみに機種はSONYのWIOらしい。どこかで聞いたような名前である。

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 この寺院では、訪れた日にちょうどお祭りが開催されていた。日曜日の寺院ではお祭りに遭遇することがよくある。そこで何やらよくわからないピンク色の飲み物をもらった。

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このラブリーな飲み物はタイでよく飲まれているナム・デーン(赤い水)というもので、甘くてとてもおいしい。が、これを飲んだ直後にまんまと腹を壊し、東南アジアの洗礼を受けた。

 諸々の調査を終えワット・リーニミットを後にし、破壊されてしまったと噂のワット・ナムトックタンマロットへ向かう。何にもない田舎道を進むこと約3時間、夕方になりやっと目的地に辿り着いた。ここは公共交通機関では到底来れそうにない。

寺院に着くなり、目に入る数々のコンクリート像に圧倒された。破壊されているどころかめちゃくちゃご健在ではないか…

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 ここの地獄は山のようになっていて、真ん中に先にも述べた巨大餓鬼がそびえ立っている。そのまわりを取り囲むように個性的な亡者たちがたくさんいるのが見える。

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よし行くぞ…と意気揚々に踏み出すと、足元にはつり橋が。高さはそこまでないとはいえ、今にも壊れそうなつり橋を渡るのは少し怖かった。地獄へ行くのも一苦労である。

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 つり橋を渡り地獄へ辿り着くと、まるで念力で捻じ曲げられたような不穏な亡者がこちらを見てきた。

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首や手足が異常に長い亡者、身体が動物や魚になってしまった亡者、まるで不思議の国のアリスにでも出てきそうなトランプ亡者までバラエティに富んでいる。中でも度肝を抜かれたのがこの人(人ではない)。

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(…何だこいつ!!!!!)
これまで地獄寺では何千体と亡者の像を見てきたが、こんな表現は初めてである。一体何なんだ。

 
 こうして謎の眼人間が脳裏に焼き付いたまま、2日目の地獄めぐりを終えた。夜には知人と別れ、チャチューンサオ県に宿泊した。ゲストハウスでは同年代の女の子たちが働いていて、すっかりガールズトークに耽ってしまった。明日からはいよいよ単身地獄めぐりがはじまる。気合いを入れ直して眠りについた。

タイの地獄めぐり② ―朽ちていく地獄と生まれゆく地獄― へ続く。

椋橋 彩香

椋橋 彩香

地獄研究家です。
タイの地獄寺について専門的に研究しています。

Reviewed by
美奈子

地獄研究家である鯨橋さんの連載が始まりました。とにかく面白い!!タイの地獄ファンタジーをぜひ感じて下さい。

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