photo by rika minoda 2014/5 in dogairisawa mashiko-cho tochigi pref.
パーチクリン!!
何度、そう怒鳴られたことだろう。
中学2年のころ、週に数回、放課後を
学校の図書室の横にあった小さな小部屋で、小一時間を過ごしていた時期がある。
静かに読書をしていたわけでも自習をしていたわけでもなく、その小部屋は説教部屋と化していて、
私の眼の前では、文字通り口角泡を飛ばすタイプの女性教師が、
「そんなに反抗ばっかりして楽しいか?」「私が言っていることがわかるか?」
というようなこと(おぼろげな記憶)をまくし立てていた。
最初のうちは、いちいち反論を試みていたのだけれど、そうすると拘束時間が伸びるので、さすがの私も学習した。
「はあ」とか「いえ」とか言いながらやり過ごしていれば、だいたい1時間弱では解放されるということを。
何しろ狭いスペースだったし、口角からたまに(本当に)飛んでくる泡、のようなものを、
微妙に自然に首を動かして避けることに意識を集中しながらやり過ごしていたのだった。
英語教師は、私の中2の頃の担任でもあって、授業も生活指導も、すべてにおいて、いわゆる熱血。
授業では、文法ルールを、ルールはルールとして生徒に叩き込む!生活面においても良くないことは、とにかく正す!
という信念を絵に描いたような人だった(と振り返って思う)。
「続きは、放課後だ!」「おい、ちょっと来い!」と、説教部屋によく呼ばれるようになったのは、
その教師の、何かとすぐに決めつけて頭ごなしに生徒を怒る態度に対して、
私がみんなの前で、負けないような大声で異議申し立てを叫んでから。
「男子はまじめに掃除やっとるのに、なんで女子は喋ってばかりでサボるのか!
女子は全員、居残りで掃除をやり直しだ!」
「先生、女子は全員サボってるって、どういうことですか?
中庭も家庭科室も教室も、女子全員の掃除を見て回ったんですか?
いつも遊んでる男子だっているじゃないですか!」
「へりくつ言うな、このパーチクリンが!!」
パーチクリンという単語は、このように使われる。
フォルテッシモで。かなり強いアクセントを、[パー]に置いて。
これは標準語なのか、方言なのか。まさかの幼児語? まさかの英語?
由来は謎のまま、中学生の私たちは彼女のことを陰で「パーチクリン」と呼ぶようになった。
説教部屋での日々がどのくらい続いたのか、
ほかに、どんなことに対して反論したり反抗したりしていたのか、
中3に進級してからの英語もパーチクリンに教わっていたのか、
記憶も定かではないのだけれど、
中学を卒業した春休みに、(多分、パーチクリンからお誘いがあり)
彼女の家に、クラスメイト女子たちと遊びに行ったという記憶はある。
「冷凍庫にアイスを入れといたけん、みんなで食べなさい」
そう言われて開けた冷凍庫のモナカアイスの向こうでは、
なぜか、キンキンに冷えて凍死寸前と思われるスプライトの瓶が2本、身じろぎもせずに横たわっていた。
生活臭があまりない家で、15歳女子たちは、急に母性を発揮し始めた。パーチクリンに対して。
「先生、ご飯はちゃんと食べよっとね?」
「料理くらいできんと嫁にいけん」
「服も、もうすこし買ったほうがよかよ」
「瓶のジュースは、ふつうは冷蔵庫に入れるとよ」
その後も年賀状のやり取りだけは、しばらく続いていた。
毎年同じフォーマットの年賀状には、その年の干支にちなんだ英単語が、
その意味とともに、定規でひいたようなアルファベットで書かれていた。
いまから15年くらい前だっただろうか。
パーチクリンから突然電話がかかってきたことがあった。
「あーたの意見ば聞こうと思うて、お父さんから番号ば教えてもろうたとよ」
パーチクリンは、試験に合格して教頭になり、それと同時に学校も変わり、
新天地で教頭として奮闘しているらしい。
次第に、職場の教師たちとの意思疎通がうまくいかなくなり、そこにPTAも絡んできて、
いわゆる「中間管理職の悩み」で行き詰まっているようだった。
意見を聞きたいと、最初に言われた電話だったのだけれど、
組織の中で働いたのはほんの数年で独立してしまっていた私だし、気の利いた意見や助言なんかできるはずもなく、
それに、私自身が離婚への準備の真っ只中!という状況にあり、まったく頭が冴えなかった。
ただただ、「はあ」とか「はい」とか、「そうなんですか」と相槌を打ちながら聞き役に徹していたのだった。
ひとしきり話したあと、パーチクリンは「ところで」と切り出した。
「あーたは、中学のころは、なんで私に反抗ばかりしよったとね?」
なんで反抗ばかりしていたか。
その時の電話で語られた文脈の中で、その理由をどう言えばいいのか、
気を使いながら、そして頭はまわらぬまま、「中2ですからね、反抗期だったんですよ」とだけ答えた。
それは、それで、よかったと思うのだけれど、
本当は、社会人として生きるようになって「これは、パーチクリンから教わったことだ」と、
ありがたく感じている「主格代名詞」の話を伝えておけばよかった。
自分自身は、数人だけを見て「女子は全員掃除をさぼる」と決めつけるところがあったくせに
私が反抗するときに「私だけじゃくて、みんなそう思ってます!」「私たちは、こう思ってます!」と言うと
必ずムキになって
「みんなって、誰だ? そんな曖昧な言い方はするな! 反抗するなら一人で反抗しろ!」と怒るのだった。
*
人称代名詞の中で、「I」「We」「You」などのように、主語になる代名詞を「主格」という。
*
……ほかの人がどう感じているかわかりませんが、「私は」その意見に反対です。
……みんなと違う考えかも知れませんが、「私は」こう思います。
主語を省略したまま話すことができる日本語の、ズルさにも通じる曖昧さ。
主語を明確にして話す英語の明快さ。
そういうことも大学受験英語を学ぶ過程で理解していった。
「私たちは」に取り込まれてゆく「私は」の、不確かさ。
「私は」がいくつもいくつも繋がって生まれる「私たちは」の、確かさ。
そういうことも、地域で、社会で、年を重ねる中で理解していった。
その理解の基礎は、すべて、あの狭い説教部屋の中にあった。
さあ、新しい1年が始まる。
今年もまた、「主語」を明確にしながら、
私とあなたと、私と私たちと多くのことを語り合い、
私とあなたと彼らと、私たちとして関わりあって生きてゆきたい、私は。