photo by rika minoda 2015/9 in domeki-river mashiko-cho tochigi pref.
私が生まれ育った家の玄関の小上がりに、サンタクロースが抱えていそうな白い大きな袋が二つ三つ置かれるのは、
毎年決まって元旦の朝だった。
父が郵便局で働いていたので、
地域の家々に年賀状を届けに行く配達の人たちの拠点になっていたのだ。
配達の人たちは、「失礼しまーす」と玄関を開け、小上がりの上の袋(郵袋というらしい)から
自転車のカバンやカゴに詰めるだけの年賀状の束を持ち、各家々に届けに行く。
しばらくするとまた戻ってきて、次の束をカバンに詰める。
その様子を、文字通り柱の陰から見ていた私は、その大きな袋の中を覗きたくて覗きたくてしょうがなかった。
けーこちゃんちへの年賀状も、あの袋の中にあるのかな。
山の神様の畑のあのばーちゃんちにも年賀状は来てるのかな?
みんなどんなことを書くのかな?
その願望を察した父は、無言の圧力をメガネの奥の小さな黒目に込めながら私を見た。
小学2年か3年のころには、言葉で諭されもした。
「これは、地域の人たちから預かっとるとよ。うちは、ちょっとの時間預かるだけ。
郵便局の仕事は、預かったものを地域の人たちに配って、お返ししていく仕事。
これは、みんな、人様のもの。見たらいかんよ!」
この記憶は、その後、「公務員である父の仕事」への私の基本的な理解の基礎となり、
学校や地域でいろんなことを学びながら「公」がつく社会科用語などの理解の基礎にもなっていったと思う。
公倍数(このあたりまでは楽勝)
最大公約数(ちょっとつまづきも)
公地公民(小6の歴史の授業はそこそこ楽しかった。中学の歴史の授業は退屈だった)
公共工事(年度末は道路工事渋滞に泣かされる)
公共政策(住民の合意形成の必要性は公民のテストには出なかった)
公民館(最近は空き家のリノベなど、コモンスペース的な民間公民館とも言える場作りが増えてるね)
公文書(破棄したり黒塗りしたりもアリなんだね!と驚愕しつつニュースで学ぶ)
問題集にも試験でも一応の解答ができていたとしても、
おとなになって人生を重ねる過程で、それが現実社会のこととして立ち現れてくる日々の中で
「公」という文字がつく言葉への理解が難しくなってきているように思う。
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【公共の福祉】
——————- ベネッセ教育情報サイト[中学社会]より一部引用
公共の福祉とは、「社会全体の共通の利益」であり,「ほかの人の人権との衝突を調整するための原理」です。
この「公共の福祉」という言葉は,日本国憲法の中で使われています。日本国憲法では,基本的人権が保障されています。
基本的人権には「平等権」「自由権」「社会権」などがあり,さまざまな権利が認められています。
たとえば,「教育を受ける権利」「表現の自由」「信教の自由」など,これらはすべて基本的人権として保障されています。しかし,
これらの権利をすべての人が勝手に主張したら,ほかのだれかの基本的人権を奪うことになってしまうかもしれません。
このようなことを防ぐために,日本国憲法は第12条の後半で次のように定めています。
「国民は,これを濫用(らんよう)してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
「これ」とは,憲法で保障されている自由や権利(基本的人権)のことです。
基本的人権は自分ひとりだけのものではないので,
わたしたち国民は,他人の権利を侵害するような権利の使い方(=権利の濫用)をしてはいけません。
国民には,社会全体がよくなる(=公共の福祉)ように,権利を利用する責任があります。
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そう、たとえば、この「公共の福祉」。
高校の公民科(現代社会)では、たしかにこのように教わった。
暴走する「わたし」を抑えてバランスと調和をとるために「公共の福祉」が働くのだと理解していた。
でも、実際はどうだろう。
おとな社会の中では、さまざまな理由で弱い立場にある「わたし」が、
弱い立場であっても持っているはずの権利さえ、
公共の福祉という名のもとに押されてしまって、
ますます生きづらい状況へと追い込まれていくこともあるのではないか。
そう感じざるを得ない状況に出会うことがある。
そう、たとえば、3.11以降の福島で。
自らの生きる権利と自由と求めて避難した人たちが、
「みんなで帰還、みんなで復興」の名のもとに、生きづらい思いをしているのではないか。
たとえば、どこかの学校の片隅で。
協調性重視の空気の中で「みんなおなじ」の輪に入れず、
感じなくていいはずの劣等感を抱き始めて泣いている子どもがいるのではないか。
たとえばある日の明け方4時、繁華街の居酒屋の厨房で
店長に連日のシフトを無理強いされながら、断りきれないアルバイトの苦学生が
うなだれているのではないか。
たとえば、どこかの会社の会議室で、
たとえば、どこかの国のテレビ画面で、
たとえば、どこか地方の過疎地で、
たとえば、どこかの基地の近くの空の下で。
うなだれている人も、泣いている人も、生きづらい思いをしている人も
「みんな」の中の人だったはずだ。
「公(みんな)」の対義語は「私(わたし)」である。
「みんな」は、時として「わたし」より強い。
それが、「大義」や「権力」などのカードを持つとき、
それはとても強くて、「わたし」は小さな粒としてつぶされてしまう。
「わたし」は、時として「みんな」より強い。
それが、「正義」や「信念」などのカードをもつとき。
それは強すぎると、出すぎる杭になって打たれてしまう。
photo by rika minoda 2014/11 in kamioba mashiko-cho tochigi pref.
元旦の朝に「公」の仕事の本質を教えてくれていた父は、もちろん「公」を大切にしながらも、
弱い立場のひとりひとりの「わたし」を大切にする人だった。
定年まで労働組合運動に力を入れていて、
僻地の特定郵便局で非正規雇用として配達の仕事を続ける高齢の方の保障や待遇改善などにとどまらず、
職場を離れて、地域の夜の街で働く女性たちや、タクシー会社のドライバーたちなど、交流は広く、
ひとりひとりの「わたし」を守るような活動や支援を続けていたらしい。
そのことも、父の死後、葬儀に来てくださった方たちから聞かされた。
「お父さんは、いつ契約も切られるかわからず、長時間働いていた底辺のわたしたちに、
経営者への交渉の仕方を教えてくれたのよ」
父が生きていたら、「公共の福祉」という用語を、どう紐解いて教えてくれるのだろうか。
問題集やテストの上では解けても、人生の上ではなかなか解けない「用語」がある。
だけど、簡単には解けないからこそ、ずっと考えていくこともできるのだ。