旅をして作品を作るという生活を送っています。
今年の8月にオレゴンの森の中で皆既日食を観て来ました。(写真は友人ダイちゃんが撮影したもの)
他人の共感ではなく自分の信じるものは何たるかを確かめる場所だと思っていたので、電波も何も繋がらない一週間はとても貴重で、その時にもっと人生を遊ぼう、必要なものだけでもっともっとシンプルに生きていこうとより強く思いました。
帰国してすぐに借りていた部屋を解約し、9割以上の荷物を処分したら何よりも気分が軽くなりました。
モノも情報もなくなれば、また得るだけだから。
それ以降はメルボルン、シンガポール、上海、香港へ移動をして今は日本列島を北上し北海道から東北に来ています。
オイル漬けのサーディーンの様にマッサージを受けて油まみれになったり、読書をして食事をして散歩をして、寝たいだけ寝るという生活をして究極にのんびりしています。
寝過ぎているせいか、最近会っていない人や知らない人と過ごすカラフルで具体的な夢を毎晩見たり。
外的な刺激が少ないから、沈んでいるものが表層意識に現れてきているのかも。
sleep retreatなんていう言葉もあるくらいだしね。
日頃の蓄積した睡眠不足を解消するために休みをとって、目覚ましも止めて、昼でも夜でも好きなだけとろとろと寝ては畑で採れた野菜でシンプルな食事をして、窓の外に広がる濃紺の太平洋を見ながらぼーっとして本を読む。
合間にトリートメントを受ける。なんだか入院しているような不思議な気持ち。
ここはどこなのだろうと思うほど青空と海がきれいで、自分がどれだけ周りのお世話になっているか、愛されているかを感じてハートフルな気持ちになったりしています。
自分で勝手に思いついた全く正統制の無い瞑想法があるのだけどね。
仏教でお世話になったこと、されたこと、したことを生まれてから今までの間の分、洗い出す作業があるのだけれどそれに似ている。
一人で立っているというのは幻想に過ぎなくて、片方がお世話になりっぱなしでもなく、あげて、受け取って、っていう一方通行の単純な関係でもない。
『わたしが すべてであることを知るとき それは愛である
わたしが なんでもないことを知るとき それは知恵である
そして その二つの岸の間で 私の人生は揺れる』
という聖者の言葉があって、アイ・アム・ザットでシュリー・ニサルガダッタ・マハラジも
『人生の川には岸がある 片側は喜び もう片側は悲しみ
どっちの岸も岸にすぎない ただ流れていくことだ
流れに逆らったり 留まろうとじたばたすると苦しみが生まれる』
と言っていたのを、満天の星空を見上げていたらふと思い出した。
これから年をとっていく、という可能性について。
40代、50代、60代、70代、80代まで生きるかもしれない。
愛情、お金、キャリア、知識、社会的評価、長い目で見ていろいろあるけれど、本当に大切なもの。
それを見極める「賢さ」を身に着けられたら、と思う。
そして、この星をもっと楽しみたいと思っています。今のうちに。
これから2ヶ月間お付き合いください。どうぞよろしくお願いします。
Naomi.