カナダへ来てからしばらく経って気付いて、愕然としたことがある。ここにはミニシアターが無い。
東京にいた頃、ミニシアターで映画を観るのは月に一回程度の習慣だった。人と一緒に行くこともたまにはあったけれど、一人になって映画を観に行き、余韻をぼうっと持ち帰るのは今思えば自分にとって大事な時間だった。
本当に好きな映画は何度でも観るのでDVDを買う。レンタルして観ることもよくあるし、大きい映画館にも時々は行っていた。
実家では元旦に家族(のうち興味のある者)で映画館へ行く習慣がある。
どの映画を観るかは、すんなり決まったり、主にきょうだい間での熾烈な争いになったりする。多数決で決めることもあれば一人の意見で強引に押し切ることもある。
わあわあ言いながらも大概楽しめるので、なんだかんだ毎年みんなで出かけている。
映画の好みは人によって全然違う。
家族同士でも、趣味や考え方が似通っている人同士でも、映画における嗜好が完全に合致することはほとんどないと思う。だからこそ、同じ映画を好きだと分かるとちょっと興奮気味になるくらい嬉しいのだけど。
数年前、「息を殺して」という映画を観た。制作当時まだ学生であった監督による邦画作品で、各地のミニシアターで主に上映されていたと思う。
異様に静かな映画で、音楽はほとんど流れず、登場人物たちも長い沈黙を時折挟みながらぼそり、ぼそりと喋る。余計なものも音も足されていない空虚さがかえって私には心地良かった。それが私の中の標準になってしまったかのように、この映画を観た前後くらいから、過剰な音楽が流れている映像が少し苦手になった。
「息を殺して」は私の中で最も好きな映画のうちのひとつなのだけれど、知り合いの中でこれを好きだと言う人には一人しか会ったことがない。
映画がくれるものとは何だろう。
自分が自分であるために戦えと奮い立たされること、知らなかったものの存在を目の前にぽんと置くように教えてくれること、夢見ているものは確かにここにあるよと示してくれること、どうしようもない惨めさを光の中に描くこと。
自分が心動かされた映画を思い返すと、そういうようなことを受け取っている気がする。
映画はいつも、日常から自分を少し切り離して遠くへ連れて行ってくれる。
そうして日常に帰ったとき余韻は長く残るし、前よりも少しだけ、目に見えているだけではない遠くのことに思いを馳せられるようになる。想像力をじわりと、いつの間にか押し拡げられているのだ。その点において映画を観ることはおそらく、旅をすることに似ている。
今度のお正月は帰省しないので、家族と映画は観られない。どの映画にするんだろう。
スターウォーズの最新作を私はこのあいだ観たので、早く感想を話したいから長女はカナダからスターウォーズに一票です。
あっという間に年の瀬が来て、連載も折り返しになりました。
どうぞ良いお年を、みなさまお過ごしください。新年にまた、アパートメントで。