今回は13星座で登場するへびつかい座のお話と、その前段としてからす座を少々。
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神アポロンはテッサリアという国の王女コロニスを妻にしていました。アポロンは太陽の神であり、かつ音楽の神、予言の神、医学の神であったためとても忙しく、愛する妻といつも一緒に過ごすことができずにいました。そこでアポロンは銀色の羽を持ち、人間の言葉を話せるカラスに、毎日妻の様子を伝える役目を与えていました。
ある日、道草をしてアポロンの元に着くのが遅くなったカラスは、一刻も早く妻の様子を知りたいといらいらしていたアポロンにこっぴどく怒られました。カラスはこともあろうか、その言い訳として、コロニスが浮気をしており、そのことを報告しようかどうか迷って遅刻したと話しました。
それを聞いて怒ったアポロンは、深夜にも関わらずすぐにコロニスの元に向かいました。家の前には深夜だというのに人影が見えます。「きっと浮気相手に違いない」。そう思ったアポロンは、すぐに矢を放ちました。見事に矢は人影に命中し、どんな者だろうとアポロンが近づくと、なんとそれは妻のコロニスでした。コロニスは「やっぱり来てくれた。あなたが来てくれそうな気がしたから家の外で待っていました」と言い、息を絶ってしまいました。
カラスの嘘を知ったアポロンはひどく怒り、醜い黒の姿にした上、人間の言葉を話せなくしました。それだけでなく、天に4本の釘で貼り付けにし、からす座にしました。
亡くなったコロニスのお腹にはアポロンとの子どもが宿っていました。アポロンはその子どもを救い出し、ケイローンという半人半馬の怪人にたくしました。ケイローンは怪人ではありましたが、アポロンとその妹のアルテミスが彼の才能にほれこみ、さまざまな能力を授けていました。子どもは男の子で、アスクレーピオスを名付けられました。
ケイローンはアスクレーピオスにあらゆる知識を授けました。父に医学の神、そして優秀な先生を得た彼はすぐにケイローンをしのぎ、立派な名医に成長しました。他の医者に見捨てられた重病人を治したり、大けがの人を助けるなどし、人々から慕われました。やがて、知恵の女神アテナから授けられたメデューサの血の力によって、死んだ人を生き返らせるようにまでなりました。
これには冥界の王ハデスが怒りました。早速ゼウスのところに出向き「定められた人間の運命を勝手に変えるのは、神にさえ許されないこと。人間でありながら死者を生き返らせるなんて言語道断だ」と激しく抗議しました。このままでは世の中の秩序が乱れると判断したゼウスは、アスクレーピオスにいかずちを投げて殺してしまいました。しかし、彼の医者としての偉業をたたようと、へびつかい座にしました。
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今回のお話、からす座とへびつかい座どちらにしても、星座にしてもらい何か報われたという結末ではない。これまで取り上げたお話だと、神に振り回されてかわいそうだったり、このままだとあまりに不憫だからと神の慈悲によって星座にされるケースがほとんどだった。今回登場するカラスは、神に嘘をついた罰として星座にされる。その罰の理由は納得いくものなのだが、へびつかい座に至ってはまた少し事情が違う。医者としての偉業をたたえようと星座にされたとはいえ、前段でゼウスからいかずちを投げつけられるというひどく残虐な殺され方をしたのであって、神の裁きを受けたというオチのように感じる。星座になるという誇りと、雷で神に殺されること、もし交換条件だとしても同等とは思えない。殺されてもいいから星座になりたいと思うことはないだろうし。
カラスは自分のついた嘘によって、アポロンが妻コロニスを自らの手で殺めるという想像を超えた結果をもたらしてしまう。この件に関していえば、確かに神から罰を受けてもしかるべきと思う。嘘にもいろんな種類があるが、今回カラスがついたコロニスが浮気しているという嘘はさすがにちょっといただけない。カラスのように遅刻の言い訳をする場面はわりと日常的に直面すると思うが、そのときの答え方にはその人のセンスや性格が結構ストレートに出るような気がする。他人に影響を与えないくらいの、程度としては軽いレベルの遅刻だったら、そこでする言い訳も一般的な理由で対処できてしまうし、例え嘘だったとしても必要以上にとがめられることもない。さすがに正直に道草とは言えないと思うが、たとえば電車がすごく混んでたとか遅れたとか、忘れ物をして戻ったとか、そういう程度の理由でどうにかその場をしのげそうだ。より納得させたい場合には、自分の落ち度による理由でなく、インフラとか天気とか、自らの努力でどうにもならない理由を持ち出せば、より効果的な気がする。
問題は相手に大きな迷惑をかけ、怒らせてしまった場合の言い訳だ。遅刻したのにそれなりの事情が必要になってくるし、一般的な理由程度で納得してもらうのは難しい。それにも増して、実際の遅刻理由が道草レベルのどうでもいいことだった場合、想像以上に相手が怒っていることが発覚すると、事前の準備もままならず、さらに追い込まれることになる。全く悪気なく、ぶらぶらと油を売ってからアポロンのところに着いたら「やばい、なんだかすごい怒ってる、これは大ピンチ!」。そんなカラスの陥った非常事態、なんとなく想像つくというか、誰しも一度くらい心当たりがあるのではないだろうか。こういうときに限って、相手を納得させようと余計な色気を使ってしまいがち。カラスの場合、もっともな言い訳としてとっさに思いついたのが、コロニスの浮気だったということだろう。少しカラスを擁護すると、身近な家族に関する言い訳ってこういう場面で思いつきがちだが、今回はアポロンの妻と、あまりに登場させた人物が近すぎた。せめて兄弟とか親戚とか、第三者をあげればよかったのに。そんなこと言っても仕方ないのだが、それにしてもコロニスの浮気という嘘は、あらゆる嘘の中でも最悪の部類に入るのではないだろうか。
嘘の内容も最悪だったが、その結果も最悪だった。せっかく遅い帰りを待っていた愛する妻を、アポロンは自らひいた矢で殺してしまうのだから。すべての始まりはカラスの嘘だって言い逃れができず、正直に道草して遅刻したと白状して怒られたほうが、よほど事態は平和に終わったのだろう。相手が怒るなど感情を露わにしているときは、これ以上怒られるのは嫌と、自分かわいさに嘘をつくより、素直に謝ってしまったほうが大事でなく済むという教訓のような話とも思う。すべての嘘は悪だというつもりはないし、今回のように人が一人命を落とすなんてケースはさすがに極端だが、とっさに口に出す嘘は、せめて自分で責任のとれる範囲にしておいたほうがいいということかもしれない。
カラスの嘘による、夫から殺されてしまったコロニスのお腹にいたのが、へびつかい座になるアスクレーピオス。ケイローンのもとで医学を学び、とても腕のいい医者になったが、死者をよみがえらせるという一線を越えてしまったためにゼウスに殺されるという、悲しい最期になってしまった。死者をよみがえらせる能力を手に入れたきっかけはメデューサの血なのだが、少し補足として説明したいと思う。メデューサは宝石のような目をもち、毛髪は毒蛇でできている、見たものを石に変えてしまう怪人。元は美少女だったが、神の怒りを買って醜い怪人になったそうで、ペルセウスという勇者に退治され、首を落とされる。その血は人を殺す力と死者を蘇生する力があり、ペルセウスは2つの壺に入れて女神アテナに献上。そのうちのひとつがアスクレーピオスに渡ったということである。医者という職業上、もちろん病気などで苦しむ患者を治すのが一番の仕事だし、患者が十分な治療を施せずに亡くなってしまった場合、蘇生する薬を使いたくなるのは、それほど不自然とは思えない。人助けしたいという思いが強ければ強いほど、神の領域だとどこかでわかっていても、手を伸ばしてしまうのではないだろうか。アスクレーピオス自身、おそらく意図的に神の領域を侵そうとしたり、神以上の力を誇示したかったわけではない。ただただ人助けとの思いで使っていたような気がするのだ。
しかし、やはりそれは神の領域。ハデスの抗議も今回ばかりは(前回の話とは違って)納得がいく。確かに、アスクレーピオスの手にかかった患者だけは救われ、そうでない人間はこれまで通りに亡くなっていくというのでは、世の中の理から外れている。ゼウスがハデスの抗議を受け入れたというのも、しかるべき対応だろう。しかし、だからといって、いかずち投げて殺さなくてもいいんじゃないかと思う。ただ、その血を取り上げ、人間が扱えないようにすればいいのに。そんな乱暴に殺さなくてもいいのにと思うのはわたしだけだろうか。ただただ、困っている人を救いたいと思っていたとしたら、なおさらである。そもそも、血を彼に与えたのも女神であるアテナだったのだし、アスクレーピオスの出自にもかなりの事情があるのだし、そのあたりを少しは考慮したらと思うのだが、そんな理屈が通用しないのがギリシャ神話なのだろう。神の領域を侵すものに対しては、動機はなんであれ容赦しない。ゼウスの描写は、これまで色々な女性に手を出す好色な面が際立っていたが、本来は創造神であり、荒ぶる神でもあるのだと、あらためて思い知らされる物語でもある。日本の雷神も鬼のような形相だが、ゼウスも同じような表情を見せることもあるのだろう。
ところで、なぜ医者のアスクレーピオスがへびつかいになるのかということだが、それは彼が生前へびの毒をクスリとして使っていたからのようだ。へびつかいとだけ聞くと、当初インドのコブラ使いのようなイメージを浮かべたのだが、人々から慕われた立派な名医の姿なのである。へびつかい座といえば、一時13星座による星占いが登場した際に急にスポットが当てられた星座で、なんとなく覚えがある人も多いのではないだろうか。13星座が下火になるにつれ、へびつかい座も存在感が薄れてしまった。星座の成り立ちもそうだが、何かと浮かばれないことが多い星座なように思う。今回とりあげたことで、少しはアスクレーピオスの名誉挽回になればいいのだが、どうだろうか。