今回はギリシャで一番の英雄、夏の星座のヘラクレス座から。
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ヘラクレスは神々の王ゼウスとアルゴスの王女アルクメネーの間に生まれました。ゼウスの正妻であるヘラは嫉妬し、生まれて間もないヘラクレスのゆりかごにヘビを忍び込ませました。しかし、彼はそれを簡単に両手で絞め殺し、ヘラのたくらみは失敗に終わりました。
やがて成人したヘラクレスはテーベの王女と結婚し、幸せな日々を送っていました。しかし、彼には女神ヘラの呪いがかかっていたため、突然錯乱して妻と子ども達を皆殺しにしてしまい、幸せは呪いで打ち砕かれました。正気に戻った彼は自殺を図りましたが、従兄弟に止められ、ゼウスの審判を受けることになりました。ゼウスはこの大罪を償うために、エウリステウス王に12年間仕えることを命じました。そして、ゼウスの命令でヘルメス神、アポロン神、ヘーパイストス神、アテナ女神、ポセイドン神が武器や馬車、鎧などをヘラクレスのために用意しました。
エウリステウス王はヘラクレスに12もの難題を出しました。それは怪物を退治するという危険きわまりないものばかりでした。その難題は、人食いライオンや怪物ヒドラ、地獄の番犬ケルベロスの生け捕り、守り竜ラドンの守る金のリンゴを持ってくるなどで無謀なものばかり。それは、いずれかの怪物の毒牙にかかってヘラクレスが死ぬことを目論んだ、女神ヘラが王に入れ知恵をしたものでした。しかし、いずれもヘラクレスに倒されてしまい、人食いライオンは獅子座に、怪物ヒドラはうみへび座に、守り竜ラドンはりゅう座に、ヒドラの友人の化けガニはかに座にと、ヘラからヘラクレスとよく戦ったとたたえられ、それぞれ星座になりました。
ヘラクレスの冒険は12年かかり、大冒険を成し遂げて罪を償い終わった後、英雄ヘラクレスの名はギリシャ中にとどろき渡りました。ヘラクレスは死後、数多い神々の息子達の中でただ一人、神々の仲間に加えられました。ヘラとも和解し、彼女の娘で体が光り輝くほど美しい青春の女神へーベを妻として、オリンポスで平和に暮らしました。
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ヘラクレスは英雄としてギリシャ神話ではとても名高く、12星座に並ぶ星座も彼に退治された怪物が由来となっていたりするのだが、どういうきっかけで危険な冒険を始めたかについてはあまり知られていない。ヘラクレスの冒険も、やはりゼウスが浮気をし、それに対して正妻ヘラの嫉妬するというおきまりのパターンから始まっている。
ヘラの嫉妬についてはこれまで取り上げた物語の中でも登場したが、ヘラクレスはなんと赤ちゃんのときからその毒牙にかかりそうになる。ゆりかごに毒蛇をしのびこませるなんてやり方があまりに残酷過ぎるのだが、それを赤ちゃんが握って殺してしまうっていうのもその場面を思い浮かべるだけでちょっと面白い。
前回おおぐま座の場合は、嫉妬の対象がゼウスの相手女性のニンフだったが、今回は生まれてきた子供のヘラクレス。ヘラからしたら、ゼウスの血と自分でない女性の血による子供なんて許せないということだろうが、そもそもヘラクレスに何も罪はない。おおぐま座のニンフへの呪いもそうだが、ゼウスの浮気の代償を払うのは、偶然ゼウスの出来心に巻き込まれた、大人の事情なんて知らない無垢な子供。そんな幼いヘラクレスがヘラの仕組んだ毒蛇を握り殺す場面、大人たちの理不尽さまでも簡単に握りつぶしているようで、個人的にとても好きだ。ヘラの顔が醜くゆがんで、悔しがっている顔が浮かんでくるし、ヘラクレスは身体的な強さだけでなく、運命なんてたいしたことないと軽々乗り越えていく精神的な強さを、赤ちゃんのころから備えているように思う。
その後、平穏な日々を送るヘラクレスに、ヘラの呪いはまたも暗い影を落とす。なんと、突然錯乱して妻と子どもたちを自らの手で殺めてしまうのだ。事態に気づいたときのヘラクレスの絶望は想像に難しくない。自分に降りかかる不幸以上に、自分の愛する家族に不幸が降りかかることは耐えがたいことだし、まして自分が加担してしまうなんて、その悲劇の度合いとしたら最上級のものにあたると思う。呪いの影響を彼の家族にまで及ぶようにするほど、ヘラクレスへの恨みが募ってしまったということだろうか。そこには、自分のたくらみが思うようにいかないことへの苛立ちもあるだろうし、女神である自分をあざむく人間に神の力を示そうとしたのかもしれない。
自殺しようとしたヘラクレスは止められ、ゼウスの審判を受けることとなる。確かに妻と子どもたちを殺したことは大罪だが、今回はヘラの呪いのせいだという言い訳は通用しないようで、エウリステウス王に仕えることになる。この王もヘラの入れ知恵によって無茶な冒険ばかりをヘラクレスに要求する。何がなんでもヘラクレスを苦しめたい、ヘラの執念もなかなかのものだ。もはや、最初のきっかけがゼウスの浮気への嫉妬だったことを忘れそうなくらいだし、ヘラクレスを何が何でも苦しめることが目的になってしまったのだろう。
あらためて、ヘラをそこまで突き動かした、嫉妬という感情について考えてみる。数ある感情の中でも負の感情であるには違いないが、その負の感情の中でも他に比べてやっかいなのは、そこには対象となる他人がいつもいることのように思う。自分に対する感情とは違って対象がないと生まれてこないし、一人で過ごしていたらこの感情に襲われることはない。だいたいの場合、自分より優れた能力だったり、自分より誰かの愛情を獲得している魅力であったり、自分と誰かを比べるような状況が起こり、ふと自分が劣っていると感じると、優れた相手に対してじくじくと胸がしだす。ふとわいてくるこの感情、あまり心地のよくない感覚とともに、誰しもが抱いたことがあるのではないだろうか。
さらにやっかいなのが、嫉妬の感情を持った場合、それを解消するのがなかなか難しいということだ。そもそも他人の能力だったり、魅力だったりに由来しているので、他人のそれを自らの努力でコントロールすることができない以上、根本原因を取り除くことはできず、自らの側で感情をコントロールするしかない。どんなに嫉妬の対象の存在が気に入らないとしても、今回のヘラのように、ヘラクレスの殺害を企てて存在自体を消してしまおうとすると、現代では立派な犯罪にあたってしまう。夫の浮気で相手女性や子供に嫉妬しても、実際に危害を加えようとしたら、未遂であっても事件沙汰になってしまうのだ。その上でヘラの行動を考えると、「なんて極端な」と思ってしまうが、もしかしたら嫉妬を根本から解消するため、直接的に行動しただけのようにも思えてくる。現実においては、他人の行動や存在をどうにもできないため、嫉妬の原因はなかなか消えず、自らの内でうまい落としどころを探すしかない。だからこそ、普通の人間は悶々とその思いを抱え込み、自らの醜い感情と向き合い続けることになるのだと思う。
特に恋愛沙汰による嫉妬の場合、複雑な男女間の感情が絡んでさらにややこしくなるし、それを沈めるのはさらに難しくなる。パートナーであってもそもそもは赤の他人、その感情をコントロールすることはできず、ましてやそのパートナーの相手の気持ちや行動を制御することはできない。嫉妬したとしても、自分の努力でどうにもならないことが多すぎるのだ。その無力さによる苛立ちで、さらに嫉妬の感情が増幅するという悪循環に陥ることも少なくない。ほとぼりが冷めたり、時間がいやしてくれたりするような感情とも少し違う気がする。できることならこのやっかいな感情とあまりつきあいたくないのだが、人と関係を持って生きていくしかないし、人と比べることをしないと決め込むのも無理がある。できるとしたら、自らの中に生まれるこの醜い感情を認めながら、自分にできることとできないことを冷静に見極めることだろうか。少なくとも、負の感情の悪循環を減速させるくらいは可能だろうし、ヘラほどの攻撃的な行動に走らないためのブレーキくらいは、自らの中に備えておきたいものである。
ヘラクレスの冒険は12年もかかり、やっと一段落する。さすがのヘラも、これ以上のカードがなかったということだろうか。ヘラクレスの立場からすると、矢継ぎ早に続く危険な課題に対し、これでもかこれでもかと挑み続け、いつこの贖罪の日々が終わるのかと、途方にくれることもあっただろう。今回一つ一つの冒険にまで触れることはできなかったが、それぞれの冒険でヘラクレスは恐ろしい相手に勇敢に立ち向かっていき、そこにはなぜか悲壮感はあまり感じられない。悲壮感はおろか、どこかそんな運命を楽しんでいるようにさえ思うのだ。ヘラクレスというと勇敢な冒険譚ばかりが注目されて、その前段の悲劇は実はあまり知られていない。悲劇を背景に戦っているとは思えないくらい、明るい印象を抱かされるからだろうか。これまで取り上げてきたギリシャ神話に登場する人間は、どこか悲しい運命にただただ翻弄されるケースが多かった。ヘラクレスはただただ、身体能力に優れた勇敢な英雄というだけでなく、過酷な運命を乗り越えようする精神力の強さが、人々の尊敬を集めたように思う。そんな神からの圧力にも負けない強さを備えた人間だからこそ、死後神の仲間に加えられ、あらためて幸せを手にしたのだと思う。もしかしたら、そんな精神力が鍛えられたのも、ヘラの嫉妬あってこそかもしれないと考えると、醜い感情と厭われがちな嫉妬も捨てたものではないかもしれない。しかし、みんなヘラクレスみたいに強い人間ではないから、やはり嫉妬はほどほどに。