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2F/当番ノート

アマゾンへ

当番ノート 第38期

2016年の6月に、ペルーへ行って先住民の儀式に参加しました。その経緯を書いてみます。
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(クスコの夜景)
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(マチュピチュのリャマ)
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・ペルー

ついにペルーへやってきた。
アマゾンへ行く前に、標高3400mにあるクスコとマチュピチュ遺跡、首都のリマに寄ったけれど、それぞれ気候も街の雰囲気も違って面白かった。

かつてインカ帝国の首都だったクスコは、インカの石組みとスペイン風の建物が混ざった美しい街だ。
空気は澄んでいて太陽は明るくて、食べ物も安くて美味しい。高山病がなければ住みついてしまいたいくらいだったし、実際に住みついてしまった日本人に何人も出会った。
マチュピチュ遺跡は写真で見たことがあってもやっぱり感動した。
リマは東京と変わらないくらいの都会だ。ここでは天野博物館へ行った。1000年近く前の染め物や織物が色鮮やかなまま展示されていて驚いた。アンデス文明に関する考古学博物館を作ったのが日本人だというのも、なにか縁を感じてうれしい。ペルーには日系人が多くて街を歩いているとよく日本語で話しかけられたし、リマでは流暢な関西弁を話すペルー人のおじさんが「このへん1人で歩いとったら危ないで」とタクシーを捕まえてくれたりした。意外にも日本人にとって旅行しやすい国なのかもしれない。

心配していた治安は、私の体験した範囲では思ったよりはるかに安全だった。危なげな所に足を踏み入れない限り、人々は親切で善良だった。
小さな盗みはしょっちゅうあるみたいだけれど、そんなのは織り込み済みという感じだ。
クスコで寄った旅行会社の女の子は、何度も携帯電話を盗まれているけれど、盗まれたらすぐに泥棒市で安いのを買うからお互い様よ、ぐるぐる回ってるのね。と笑っていた。泥棒市というのは大きな市場より少し奥まった所にあり、盗品などを売っている市場らしい。私は怖いので行かなかったけれど、、
犯罪は悪いことだけれど、生きていくのにそうするより仕方がない人たちもいるのだと割り切って共存している姿勢に、なんだか懐の深さを感じてしまった。

・りこちゃん

アマゾン行きは、同行者ができた。りこちゃんという、大学生の女の子だ。東京の大学に通っていて、世界一周旅行をしている途中なのだという。
りこちゃんとは、クスコで最初に泊まった宿で知り合った。彼女もこの後アマゾンへ行くというのでアヤワスカのことを話したら、とても気になるので予定を変更してついて来たいという。旅程の都合で一旦別れることになるけれど、マチュピチュで同じホテルに泊まろうということになった。
言われた宿に行ってみると満室で入れず、責任を持ちたくない私は内心すこしほっとして、このまま会えなくてもまあいいかと思っていた。
翌日1人でマチュピチュに登っていたら、見張り小屋のところで「ユノさん!」と声をかけられた。
1日に何千人もの人が行き来する中、こんな風に再会するなんて運命を感じてしまう。しかもりこちゃんは、普通バスで登ってくる遺跡までのほぼ垂直に切り立った崖を、徒歩で登ってきたのだという。さすがの若さである。英語も私よりずっと話せるし、そもそも1人で世界一周をするような女の子なのだ。足手まといどころかものすごく心強い仲間である。私はころっと態度を変え、肩でも組みたい気分で再びアマゾン行きを誓った。

・日本人のシャーマン

ラッキーなことがもうひとつ。リマにいる時に先生から連絡があり、シピボ族の住むサンフランシスコ村に、日本人のシャーマンがいるのだと言う。その人はミツさんと言って、何年も前にサンフランシスコ村で修行してシャーマンになり、世界各地を回っていたのだが、丁度私たちが行く数日前にたまたま戻ってきたらしい。
こんなことってあるだろうか。その人がいるなら言葉の心配は要らない。サンフランシスコ村にはたくさんのシャーマンがいて、誰のところに行こうかと迷っていたけれど、とりあえずミツさんのいる「スイピーノ」という施設に行けば何もかも大丈夫だという気がした。私はすっかり安心し、やはりこの旅はなにか不思議な力に導かれているのかもしれない、なんて思った。

・プカルパ

アマゾン川流域のプカルパという街に着いたのはすっかり暗くなった頃だった。先生に紹介してもらった現地の女性と空港で待ち合わせ、ホテルに案内してもらった。今夜はここで泊まり、明日サンフランシスコ村へと向かうつもり。
プカルパの街はクスコやリマと比べると田舎だけれど、ショッピングモールのようなものもあり、南国特有の湿り気のあるぬるい風や気だるい雰囲気は大学時代を過ごした高知の街を思わせた。

(プカルパとサンフランシスコ村を結ぶおんぼろタクシー)peru15
翌日、ヤリナコチャというところから出ているタクシーに乗ってプカルパへと向かった。本当はカヌーに乗ってアマゾン川を行きたかったのだけれど、乾季のために川の水量が少なくてカヌーは営業を停止していた。
タクシーは冗談みたいにボロボロで、舗装されていない道を走るので床に空いた穴から砂埃がもくもくと入ってくる。1時間も乗っていると全身砂まみれになり、髪の毛についた砂を払うのも諦めたころ、サンフランシスコ村へ到着した。

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(長閑なサンフランシスコ村
壁にはシピボ族の幾何学模様)
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(10日間ほどお世話になったスイピーノの敷地内にあるグレープフルーツとマンゴーの木)
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(スイピーノで屋根を作っていた人)
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(泊まっていた部屋)
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(部屋の中。虫除けの蚊帳をつけてくれる。)
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タクシーは村の中をそろそろと進み、新宿御苑の芝生エリアみたいな、広い敷地内で止まった。
どうやらもうここがスイピーノの施設らしい。
タクシーから降りると、何人か人が寄ってきた。予約などはしていない。英語は全く通じないし、スペイン語も知っている単語は役に立ちそうもない。頼みの綱のミツさんは出かけているようだ。

とりあえずハンモックに案内され、ゆらゆらしながら待っているとミツさんが帰ってきた。

・スイピーノ

スイピーノは、サンフランシスコ村の中でもかなりちゃんとした施設だった。部屋もトイレも清潔で、プログラム的なものもしっかりしている。
まず滞在期間を尋ねられ、それによって一人一人に適したプログラムを作ってくれる。何ヶ月も滞在する人もいれば、一晩だけの人もいて、長期滞在者にはできるだけ身体に負担がかからないように、少量のアヤワスカから処方してくれるのだという。

私は10日間滞在する予定だったけれど、りこちゃんはまだどのくらい居るのか決めかねているようだった。
「したら、今夜セレモニーがあるから、一回出てみる?細かいことは明日決めればいいよ」
ミツさんが言い、とりあえず今夜泊まる部屋と宿泊費を交渉してくれた。

私たちはほっとして、荷物を置き、敷地内をぶらぶらしたりお茶を飲んだりしながら夜を待った。
セレモニーは夜の9時から始まる。やはり半日くらいは絶食する必要があるので夕飯は抜きだ。食べることをしないと、時間がずいぶん長く感じる。
部屋には電気がなく、当然WiFiもないので暗くなってくるとやることがなくなり、私たちはセレモニーに備えてさっさと寝ることにした。

それまでの旅がやたらとうまく行っていたせいなのか、ひとりではない心強さのせいか、とうとう今夜アヤワスカを飲むのだ、と思っても不思議なほど心は落ち着いていた。怖ろしさもなく、興奮もなく、といって虚しいとかでもない。腹をくくるっていうのはこういう感じなのかもしれない。凪いだ海面のような静かな気持ちで、私は短い眠りについた。

juno

juno

刺繍作家
この星のうつくしいものを縫い留めたい

Reviewed by
田山 湖雪

旅の縁というのは不思議、どこかで結ばれて用意されてあったかのような。ペルーで会った世界旅行をしているりこちゃんに日本人シャーマンのミツさん。 現地で出会った方々は junoさんが引き寄せたようだ。その時必要に思っていたり、見てみたいことがあると周りから教えてくれる。他力本願といえば聞こえが悪いが他の力を借りれるときは身を委ねるのも必要なんだろうなぁ。

私も現在旅をしていて、とりあえずまずは西に行きたいな。同郷の民俗学者、野本寛一さんが辿ったところを行ってみるか。野本さんの本を何冊か目を通して、地名と場所の感じが一致しないのでとりあえず行って空気に触れてからもう一度本を読もうという目標で一人旅をすることにした。奈良の山奥から、三重、和歌山の海岸線をまわり紀伊半島をなぞって和歌山港からフェリーに乗って四国へ。徳島から高知の海岸沿いをまわり、沢田マンションと牧野植物園と高知へ。そして目標にしていた四万十川へ。今は帰りの船の中。

いく先々で友人つながりで人に会ったり、こゆきちゃんにぴったりの場所があるよと紹介してもらい、木桶で作る酢の醸造所を見学したり語り部さんが粋なジャズ喫茶や社殿や鳥居のない「無い場所」に神を祀る場所を案内してもらった。勉強不足な私に変わって周りが用意してくれたそんな旅となった。しかも最後には野本さんにもお会いできることは良かったことだ。

junoさんの明日に控え眠りにつく前の静かな気持ちはどんなんだったんだろうと想像しつつ、ゴールデンウィークの賑わいで客船のお座敷で横になり、足臭さが漂ってきてくる船内の生々しさに引き戻された。

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