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2F/当番ノート

2か国の道路で幸せについて考える

当番ノート 第38期

私よりできる人、優れている人はたくさんいる。仕事も、好きな歌手について語ることも、良縁に恵まれることも。数えきれないほどすごい人はたくさんいて、自分ができることなんて、その人たちのほんの1部分にも満たない。

「ミホは苦手なことが多すぎるよ」と言われたこともあった。はっきり「NO」を伝えること、飛ぶ生き物が近くをよぎること、魚の丸焼きを頭から食べること。克服したいことは絶えずあるし、いつになったら自分に満足できるのだろうかと途方に暮れることも多い。「この調子じゃどんなに頑張っても幸せになれないんじゃないか」と落ち込むことも度々あった。

「幸せの国」と呼ばれるブータンでは、初めてのひとり旅で訪れる女性が多いらしい。年齢は20代後半から30代にかけて。恐らくその年齢になると「幸せ」がわからなくなるのかもしれない。初めてのひとり旅ではないにしろ、まさに私もそのうちの1人だったように思う。


空港
深い緑で覆われた山が四方八方に広がる。水色と群青色のグラデーションが広がる空には、白い雲が浮かぶ。タイで小さな飛行機に乗り換え、到着して階段を下りた先には、国王と王妃の巨大ポスターが空と緑に囲まれて立派に立っていた。

写真を撮っていると、ブータン人の男性が現れた。短くてさっぱりとした髪に日焼けをした肌。顔にはサングラスをかけ、民族衣装を着て立っている。これから旅のお供についてくれる、ガイドのドルジさんだ。

ブータンでは国の方針で、観光の際は必ずガイドが必要となる。すべての旅行客は旅行会社を通してツアーを組み、3食分の食費、ホテル代、ガソリン代、そしてドライバーとガイド代合わせて1日約2万円が必須だ。ツアーでは1日1~2個のお寺をめぐる。食事はレストランに入り、夕方になると宿に到着し、夜はドルジさんとドライバーとみんなでお酒を飲むのが王道ルートだった。
砂利道

移動をしている時、不思議に思ったことがある。「日本で言うと高速道路みたいなところだよ」といって紹介された道は、車で進むと身体が浮いてしまうほど、でこぼこした砂利道だったのだ。振動が激しく、前を向いていないと酔ってしまう道を、長時間にわたってドライブする。すれ違う車も突然現れるので、いつもヒヤリとして対向車を見送った。

牛が前を歩いてスピードを出せない時もあったし、街に出て信号の無い道を走る時もあった。私たちは牛の歩みとペースを合わせたり、対向車線に細心の注意を払わなくてはいけない。

「なんて不便なんだろう」と思ったけれど、ドルジさん曰く、それでいいのだそうだ。

「あの砂利道を車が通りやすいように整備して、対向車もスムーズに通れるように道を広くしたら、絶対事故が多くなるよ。だからあの道はずっと工事が行われていない。みんなが気を付けて運転できるように、ちょっと不便なくらいがちょうどいいんだよ。」と、当たり前のことを言うかのようにドルジさんは話す。

“ありすぎると足りなくなる”と話すドルジさん。ツアーが観光に必須なのも、海外から旅人が勝手に入ってきて、ブータンに無いもの、ブータンにとっては高価なものを国内で売りだしてしまうことを懸念のひとつとしているそうだ。旅人からお金を騙そうとしたり、スリをはたらこうとしたり、「悪」が起きるきらいがあるという。ブータンが穏やかな場所でいられるよう、勝手に入ってきて自由な行動はとって欲しくないと思っているらしい。

ドルジさんはすごく楽観的な人だったので、最初は彼の言い分なのかなと思った。「やり始めは何だってうまくいかないんだから、10年スパンぐらいで考えてうまくいくと良いよね。失敗はしょうがない。やりたくてやるわけじゃないから。その後くり返さないことが大事。」と話す彼。あと数年したら旅行会社を立ち上げるのだと言っていた。

ドルジさんが話す理由なのかはどうあれ、ツアー客のみの受け入れや、高速道路については国の方針だ。立ち寄り先で一緒になったツアーガイドの話なども聞いているうちに、国が決めた方針に対して、国民は信頼して受け入れているような気がした。

不便だけど満たされているブータンを後にして、帰り道にタイを観光している時、ブータンの高速道路をふと思いだした。
タイの道
バスの運転席のすぐ後ろで、綺麗に整備された道路を眺める。決められたルール通りに走り、赤信号ですべての車が止まる。ブータンでドルジさんが話していたように、ここで事故は多発しているのだろうか。ブータンの国が懸念するほど、事故の確立は上がっているのだろうか。

バッグパッカーたちが集まる「微笑みの国」でタイの人たちはどの位、「悪」に染まっているのだろうか……。

2つの国をみて思ったことは、「今の状態で、大丈夫」と思っている時が幸せの時なのかもしれない、ということだった。重要なのは、「自分の心が満たされること」にあるのかな、と思う。

ブータン

ブータンにとっては「でこぼこの砂利道」が彼らのゴールだったのだろう。そこまで行けば、交通について望むものは何もない。一方タイにとっては、綺麗に整備された道路になるまでゴールは続いていた。もしかしたら、渋滞の無い交通が最終ゴールに置かれていて、今でも開発が進められているかもしれない。それでも「この調子で進めば大丈夫」と思っているなら、きっと彼らは幸せなのだ。

私よりできる人はたくさんいる。けれど大事なのは、「私は何がどのくらいできる人間になりたいのか」、それに向かって「満足のいく進み方をしているのか」という点にあるのだろうなと思った。

ホワホワと何も考えていないようには見られたくない、周りからバカにされることは避けたい……「こんな風に思われているのが嫌だ」と愚痴をこぼしていた時、「じゃぁ、どんなふうに見られたいの?」と聞かれて答えられなかったように、「なりたい自分」が見つけられていないと、嫌なことを嫌だと思うしかできない。周りと比べながら努力をしても、自分より能力のある人はたくさんいる。

“ありすぎると足りなくなる”はきっと、「どこまであればいいかわからないと足りなくなる」ということなのだ。

自分が満足するゴールを見つけること。それにむかって進んでいること、そして、到達すること。それが幸せになる方法なのだと、2つの国の道路をみて考えた。

もりやみほ

もりやみほ

編集者/フリーライター。
旅とらくだとピクニックが好きです。お出かけ系、観光関連の記事をよく書きます。noteには思ったことをつらつらと。

Reviewed by
Kazuki Ueda

「世界一幸せな国」と言われるブータン。

そんなレッテルだけだと胡散臭くもありますが、実は国造りからして経済の指標ではなく、国民の幸福度を指標にしています。
そんな国柄だからこそなのか、もりやさんが出会った観光ガイドのドルジさんも、自分が幸せでいるための方法論を理解している。「世界一」は伊達ではないのでしょう。

方や進捗著しい東南アジアのタイでは、近代的なインフラが整備される「進歩」の中にあることに、満足しているかもしれない。それは翻って、「進歩」の中にあり続けるという、ドルジさんとは真逆の幸せになるための方法論もあるということになるんだろう。

どちらも心安らかにあることは同じ。

しかし、これだけ選択肢が多い世の中だと、「いつ自分の心が一番安らぐか」という問題に心かき乱されてばかり、だったり。結局自分自信のことを知ることが、難しいけれど、幸せへの一番の近道なんでしょう。

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