嫉妬してしまうくらい尊敬しているあの子は、気配りの権化のような女の子だ。飲み会のとき、飲み物が少なくなっている人にはすかさずメニューを渡すか、「ビールで良いですか?」と、その人の頼みそうな飲み物を先回って聞く。あまり食べていない子には、食べ物を取り分けて近くに行き、「気使わずにたくさん食べよ!」と一緒に食べてくれる。常に周りの人が楽しくいられるように考えて動いていて、飲み会の幹事やみんなのとりまとめ、ちょっとめんどくさいなと思うことも率先してやる。
あの子みたいになりたいのに私は、話を割って飲み物のおかわりを聞いても良いのかわからなくて、メニューを渡せずソワソワだけして終わる。まわりの話を聞くことに必死になって、結局何も食べられないし、そんな同志の存在にも気づけない。私が幹事をやると決まってドタキャンが相次ぐし、「私、やります!」と言った方がいいのかな……なんて迷っているうちに話が進んでいることが大半だ。
相談やお願いごとがあると必ず彼女が受けていたのを見て、「あの子はすごいな。私なんて頼りにならないもんなぁ。」と思っていた。
そんなふうに憧れているあの子から以前、「みほちゃんは、困ったら誰かが助けてくれる星のもとに生まれてるよね」と言われたことがあった。彼女としては、「自分は誰も助けてくれないから、自分で何でもやるしかない。だから、何かあっても誰かに手を差し伸べてもらえるみほちゃんが羨ましい」といったニュアンスで言ったそうなのだけど、それって裏を返せば、すごく頼りない、自分のことさえも自分で出来ない人間なんじゃないかと思って落ち込んだのを覚えている。
16,000円かけて占い師さんに占ってもらった時も、私は「助けてもらいながら生きる人」と言われてしまった。みんなに迷惑をかけてばかりで、私は誰にも貢献できていないのでしょうか、と聞くと、「素直に助けてもらえばいい。そのままでいいの。あなたはご縁で生きる人だから」と返事が来た。
「素直に助けてもらえばいい。そのままでいいの。あなたはご縁で生きる人だから」
その言葉を聞いて私は、関わってきた人たちのことを思い浮かべた。
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ひとり旅の途中、過去に2回、病院にお世話になっている。1回目はキューバのビーチリゾートで熱を出した時。もう1回目はネパールで急な腹痛に襲われた時。いづれも様々な人に迷惑をかけたわけだが、特にキューバでは、泊まらせてもらった民家のオーナー夫妻、そして病院の先生や受付の女性にまで迷惑をかけてしまった。
39度の熱が出たのは4日目の朝。前日から食欲が無く早めに寝たのだが、朝起きてみると身体が鉛のように重い。
宿泊していた所は、50代くらいの夫婦の家。今はチリにいるという彼らの娘は、私と同い年だ。朝ごはんに呼ばれ、リビングに行ったはいいが身体がだるくて何も食べられない。フレッシュな野菜と玉子焼き、みずみずしいフルーツの横で私は、テーブルに伏せていた。
食欲が無いと伝えた昨日の夕方、オーナーのホルヘが「病院に行く?」と声をかけてくれた時に行っておけばよかった……。後悔が頭をよぎるけれどもう遅い。今はもう何もしたくない。
リビングで動けずにいると、ホルヘが英語の使える病院を探してくれて、「ここに行ってみる?」と故障中だったエンジンを直して車を出してくれた。
ハバナでは観光客向けに使われている、キューバの名物とも言えるオールドカー。その助手席に乗ると、ホルヘは「エアコンは壊れてるから」と窓を全開にして走り始めた。外から入ってきているのか、車内中にガソリンのにおいが充満している。生暖かい風が顔にかかる。私は目をつむって、ホルヘの「大丈夫、すぐに良くなるよ」という声を聞いていた。
病院に送ってもらったはいいものの次の課題が降ってきた。まさかのお金がない。体調が悪く両替せずに寝てしまったので、財布の中身がからっぽだったのだ。日本円は宿に忘れてきてしまった。「お金がなくて診察を受けられない」と、病院に来たのに待合室のソファでぐったりするしかできない私。これまでキューバでカードが使えたことがなく、現金だけが頼りだった。わざわざ送ってもらったうえに、お金がないなんて……! と悲しくなって泣き出し、ホルヘだけでなく受付のお姉さんまでをも困らせていたら、奥からドクターが出てきて一言、「診察をするから、中においで」と診察室を案内してきた。
私は状況を伝えたが、それでもなお、「大丈夫だから、まず診察するよ」と診察室に誘導してくる。私の英語が良くないのかもしれない、ともう一度説明したり、別の表現にしたりとあれこれ話してもドクターは同じ反応だ。診察に躊躇していると、受付の女性が私の目を見てこう言った。
「よーく聞いて。大事なのはあなたの身体。お金のことは考えずに、早く診てもらいなさい」
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確かに私は、誰かが助けてくれる星のもとに生まれているのかもしれない。
払えないと思っていたお金は、受付の女性がカード会社に電話をしてくれたり、今はもう使われていないクレジットカード読み込み器を引っ張り出してくれたりして、なんとかカードで払うことができた。
病院では血液検査を行い、生きてきた中で一番痛い注射を打たれ、2,3時間眠らせてもらったら熱が引いた。起きて薬をもらっている間にドクターがホルヘに連絡してくれて、お会計が終わった時にはホルヘが受付で待ってくれていた。ドクターも、「また体調が悪くなったら連絡して」と、プライベートの携帯番号を教えてくれたし、ホルヘの奥さん、ベティは野菜たっぷりのスープをディナーに作ってくれた。食事は朝食だけだったはずが、食欲の戻らない私のために、滞在中まいにち夕食を作ってくれた。
彼らに私ができることと言えば、日本から持ってきた和柄の折り紙に、感謝の言葉をたくさん書いて渡すくらい。本当に無力だ。
それでもドクターは「昔ベティによく勉強を教えてもらったから。ベティの家に泊まっているなら」と気にかけてくれるし、ベティは「小さい頃日本人の友達がいて、とても素敵な良い人だったから」とスープを作ってくれるし、ベティのことが大好きなホルヘは「日本に帰っても、ベティの作ったスープを思いだしてね」と、やさしく話しかけてくれた。
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キューバから2年経ち、仕事で愛媛の松山市に長期滞在していた頃、松山城でイギリス人に出会った。庭園にある建物の中で抹茶体験をしようとした時、同じく参加を希望してきた、40歳くらいの男性だ。「英語が出来ないので、説明してもらえますか」と抹茶の先生から依頼され、カタコトでお点前の説明をしているうちに彼と仲良くなり、体験の後も一緒に観光することになった。彼は日本語が話せないし、訪日観光客がそこまで多くない街では、不便もいろいろあるだろうと思ったからだ。
彼はフランスに、家族4人で住んでいる。日本の歴史やお城が好きで、日本旅行はこれで2回目だという。ちょうど転職のタイミングで長期休みが出来たため、2回目にも関わらず旅行先は迷わず日本にしたそうだ。
せっかくだから名物を食べてもらおうと、夜ご飯においしい鯛めし屋を探して一緒に食べた。2人の子どもがいると言っていた彼に、愛媛県のゆるキャラ「みきゃん」が刺繍された今治タオルをプレゼントすると、にこやかな顔がより一層笑顔になって、「プレゼントも、ありがとう。今日は1日、ありがとう。」と言ってくれた。
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なるべく迷惑をかけないように一生懸命生きてはいるけれど、キューバのことを思いだすと、やっぱり私は誰かが助けてくれる星のもとにいるのだと思う。占い師さんの言葉通り、素直に助けてもらうしかないのかもしれない。
困ったときには素直に助けてもらう。しかしそれだけじゃなくて、もう2つ、忘れずに付け足していきたいことがある。1つは、あなたの行為がどれほど嬉しいか、助けてくれた人にしっかり伝えて感謝すること。そしてもう1つは、受けてきた優しさを、困っている人や必要としている誰かに返していくこと。
返していく行為は当人にむけてじゃなくてもいいし、何年後でもいい。チャンスが来たら誰かにしていきたいと思う。それを続けていくうちに、「困ったら誰かが助けてくれる星」に生まれる人が、1人でも多くなることを願って。