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2F/当番ノート

儀式の夜

当番ノート 第38期

2016年の6月に、ペルーへ行って先住民の儀式に参加しました。その経緯を書いてみます。

(儀式に使われるものたち)
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儀式の時間が近づき、私とりこちゃんは敷地の中央あたりにあるセレモニー会場へと向かった。
ミネラルウォーターのペットボトルと、トイレットペーパー、おでこに装着できるタイプの懐中電灯を持っていく。

会場は広いドーム型の体育館みたいな建物だった。入り口の反対側に扉があり、そこから外のトイレへ続く渡り廊下が伸びていて、靴を履かなくてもトイレへ行ける。

中に入ると電気はなく、ぽつりぽつりとロウソクの灯りが灯っているだけだ。真ん中あたりにちょっとした祭壇のようにいろいろなボトルや薬草が並べられており、それを囲むようにしてシングル布団大のマットが並んでいる。

寝起きで半分夢心地である。マットに座ってうとうとしていると、ミツさんがショットグラスほどの小さなグラスに入ったアヤワスカを持ってきてくれた。
「今日、最初だからちょっと弱いやつだけど。」
と差し出されたそれを、半分寝ぼけたまま、躊躇う暇もなく飲み干した。
アヤワスカの不味さについては各方面から散々聞かされていたので驚くことはなかったが、やはり不味い。急いでペットボトルの水で口をすすぐ。

シャーマンの1人が、独特のリズムで歌いだす。この歌は「イカロ」といって、アヤワスカの儀式の際に人々を導いてくれる歌なのだ。シャーマンによって旋律も声の様子もずいぶん違う。

結果から言うと、この日はとくになんのビジョンも見なかった。
体感としては、サンペドロとよく似ている。吐き気がより強烈で、胃の中は空っぽなのに、絶えず何かが込み上げてくる。過呼吸になったときみたいに手足がしびれ、下痢にもなった。私は特におなかにくる体質なのか、これ以降毎回儀式の時はトイレに籠ることになった。

飲んでから2、3時間はとにかく苦しい。
その時間が終わると静かな幸福感に包まれる。しあわせな感覚のまま少し眠り、朝が来ると身体がすっきりと軽くなっている。
絶食したまま胃液を絞り出すような嘔吐をしたのだからふらふらになりそうなものだけれど、すっきり爽快なのが不思議だった。私は子供のころから貧血気味で、大人になっても数ヶ月に1度はひどいめまいと吐き気に襲われる。そういう時は何も食べられないので点滴を打ってもらいようやく回復するのだけれど、アヤワスカの翌日は何も栄養を補給しなくても元気になっている。

アヤワスカは幻覚性植物なのでビジョンのことばかりに気を取られがちだけれど、シピボの人たちにとっては万能治療薬という感覚で、体のどこかが悪い時にもアヤワスカを飲むそうだ。とにかく悪いものを全部出して身体を浄化させるのだという。

儀式の終わりも、とくになにか挨拶があるわけでもなく、それぞれの見たビジョンを語り合う時間なんてのもなく、各自気が済んだら自分の部屋に帰っていく。
禅でも、「不立文字」といって、物事の真髄は言葉で伝えられるものではなく、それぞれが体験によって悟るしかない、ということが言われるので、このあっさりした感じはしっくりきた。

(朝のセレモニー会場)
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(儀式の際、伝統服に身を包んだミツさん。シピボ族の刺繍が一面に施されている。)
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・実業家ロヘル

儀式の夜が明け、私たちはミツさんから説明を受けた。
この施設はロヘルというまだ若いが実力のあるシャーマンが、ほんの小さな土地から徐々に広げて、一代で築き上げたものであること。
スイピーノというのは彼のシピボ語の名前で、「霊的な力を持つハチドリ」という意味であること。

ロヘルはまだ子供のころに、山の中に面白いものがあるからと大人に騙されてついていったらそのままシャーマンの修行をさせられ、シャーマンになってしまったそうだ。歳を聞くのを忘れたけれど、見た目はまだ40代の前半か、ひょっとしたら30代かもしれない。
青年の頃にこのような場所を作り上げるというビジョンを見て、それを実行しているのだという。

5年くらい前にミツさんがいたころは、もっと狭い敷地で、最初はもっと質素な四角いセレモニー小屋だったらしい。そこから少しずつ土地を買い足し、施設も充実させた。
私たちが泊まったところから少し離れたところに「アニンショボー」という施設もあり、そこはセレブ向けのさらにグレードの高い宿泊施設なんだそうだ。生活水準を落とさずにアヤワスカを体験したい、物好きな海外のお金持ちたちを相手に稼ぎつつ、シピボのシャーマニズムを守るため、さまざまな植物を保存するための農園を作ったり、植物の知識を伝えるために地元の子供たちに無料の授業を行なったりもしている。シャーマンというより、志のあるやり手の実業家という感じだ。
サンフランシスコ村を去る時にはロヘルの車で送ってもらったけれど、そういえばいい車に乗っていた。広い荷台のついた四輪駆動車で、クーラーの効いた車内にはもちろん砂も入ってこない。
村を走っていると子供達が駆け寄って来る。ロヘルは景気良くクラクションを鳴らし、手を振って走り去る。ちょっとやんちゃな頼れる兄貴という感じなのだろうか。想像していたシャーマン像とだいぶ違うけれど、伝統に固執するばかりでは古びて廃れてしまう気もするし、文化を守りつつ時代を乗りこなしているロヘルはかっこいいと思った。

・ミツさんの話

ミツさんは、元々は大工の棟梁だった。父子家庭で育ち、父の紹介で鳶になったはいいが高所恐怖症で、それでもなんとか続けて棟梁になったが、なに不自由のない暮らしの中で物足りなさを感じ、会社をたたんで旅に出た。
まずはひと山当てようとラスべガスへ。なんとそこで旅行資金をすべてすってしまう。仕方なく旅から帰ったらお店をやるつもりで別に用意していた開業資金をくずしながら旅を続け、ペルーのスイピーノに辿り着いた。
少し滞在するだけのつもりが、なかなかビジョンが見られなかったことで逆に興味が湧き、そのまま2ヶ月留まった。
その後もいろいろな土地を回ったが、ある日ボリビアの地下の宿に泊まっている時に絶望感に襲われ、もう死んでしまおうかという時にアヤワスカのことを思い出したのだという。再びスイピーノを訪ねたミツさん。ロヘルにシャーマンの修行をできないかと尋ねると「やってみろ」とのこと。そしてミツさんのシャーマンとしての人生がはじまった。

ミツさんは目がぎょろりと大きくて、背が高く痩せていて、いかにも修行僧という感じだが、口を開けばとても気さくな人だった。
破天荒で行動力にあふれ、直感をたよりに生きているけれど、きっと心の中に静かな仄暗い場所があり、そこには澄んだ泉が湧き出している。

修行をしながら、いろいろな人を見てきたミツさんの話は面白い。ある人はセレモニー中に外に飛び出し、朝になって見てみると落ちている枯葉をシャツがぱんぱんになるまで詰めて、ダルマのようになっていた。枯葉がすべてお札に見えたのだという。

ミツさん自身もさまざまな体験をした。自分の周りが完全な闇に包まれ、宇宙空間に放り出されたように上も下もわからず、ものすごい恐怖に襲われた話。

12歳で母親が蒸発してしまって以来、ずっと口にすることを憚ってきた「お母さん」という言葉を、アヤワスカの酔いの中、口にしてみたらどうなるかとふと思い、一度口にしたら止まらなくなり、何度も「お母さん!」と叫び、涙を流したこと。この話はジョン・レノンの「mother」という曲のエピソードを思い起こさせた。

幻覚性植物には大きく2種類ある。感覚を閉じさせるものと、感覚を開かせるものだ。

例えばクスコでは空港でコカの葉が無料で配られていた。これはコカインの原料となる植物で、高山病による頭痛やめまいなど体の不調を麻痺させる効果があるらしい。クスコの喫茶店ではどこでもコカ茶が飲めるし、コカアイスやコカキャンディなども普通に売られている。標高3000m以上の高地にインカ帝国を築くことができたのも、奴隷たちにコカを大量に摂取させ疲れを麻痺させ働かせたからだともいわれる。
これは感覚を抑制する幻覚性植物だ。覚醒作用のあるコーヒーや、ケミカルなものでいうと覚醒剤もそうだろう。何日も眠らずに活動しつづけたりできるのは薬によって感覚が麻痺させられているからだ。

一方でアヤワスカなどの幻覚性植物は、身体をしびれさせ動きが鈍くなるが、感覚がとても敏感になり、普段意識の底に沈んでいた感情がぶわっと表にでてくる。意識の抑圧が溶け、解放されるのだ。

本当に目覚めているのはどちらなのだろう。先生が冗談めかして「覚醒剤は幻覚剤、幻覚剤は覚醒剤」なんて言っていたけれど、、



アヤワスカは全部で5回飲みました。その時のことを全部書くのは大変なので、2〜4回目までの当時ノートにメモしたものを載せておきます。(きっと読むのも大変だろうけれど)興味のある方は読んでみてください。

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juno

juno

刺繍作家
この星のうつくしいものを縫い留めたい

Reviewed by
田山 湖雪

ついにやってきたアヤワスカを飲むということ。喉をとおり、胃に届いたときの湧き上がってくる苦味と吐き気。経験していない私はやっぱりちょっと怖さが先走ってしまうが、junoさんは過去のこと日本のお茶会のことを一つずつ噛み砕いてここまできたから受け入れる気持ちが大きくて飲むという行為に集中できたのだろう。
junoさんのメモはとても興味深い、苦しさの度合いや体の変化やみえてきたものを時間とともに留めている。ビジョンが現れないところから、へびや道、イルカへとイメージが広がって心が解放されていることがイメージや言葉もわかってくる。抱えていた事が解きほぐされていくことをみていて、連載をずっと読んいる自分もなにかほっとした。

幻覚ではないけど私も風景を眺めていて蛇にみえてきたことがあった。静岡の川沿いの集落を撮影していたとき。梅が咲き出す頃でまだ山々には雪がうっすら残っていて肌寒かった。山並みが切れ景色が素敵で車を降り周辺を見渡した。青空と南アルプスがくっきりみえ山並みの延長上に自分の立っていると感じたとき「あ、私は蛇の上に立っている、鱗の上にいる」と思えたのだ。きっと川や山並みといった地形から、文化の流れが川や山を介して南アルプスから流れてきているという実感から蛇に変換されたかなと後になって自分の直感を考えた。その撮影後、集落には大蛇の伝説が残っているとわかりびっくりした。昔ここにたった誰かも蛇の存在を感じたのだったんだそう思う出来事だった。


junoさんがみたビジョンは、今でも変わらずに残っているのかしら。時間が経ってからわかること変化したことなどあるのかしらとふと思った。

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