2016年の6月に、ペルーへ行って先住民の儀式に参加しました。その経緯を書いてみます。
・アヤワスカ
あのライブの夜が明け、私はペルーの儀式について調べてみることにした。
アヤワスカというのは、やはりアマゾンの原住民たちの間で行われる儀式の時に用いられる薬草と、それを使って作られた飲み物を指す言葉だった。
(上:生えている状態の若木のアヤワスカ
下:成長したアヤワスカの木が切られたもの)
アヤワスカは、アヤワスカの木と、チャクルーナという植物の2つを混ぜてつくられる。
チャクルーナの葉にはDMT(ジメチルトリプタミン)という物質が含まれており、それは脳内のセロトニン受容体と相互作用して、超越的な意識状態を引き起こすらしい。しかしDMTはそのままでは体内ですぐに分解されてしまい、その分解を防ぐハルミン、ハルマリンなどの物質を持つアヤワスカと組み合わせて摂取する事で、体内でDMTの強力な作用を引き出すことができるということだ。
この2種類の植物が同じ地域に同時に存在しているということ、大昔の原住民たちが、これらを混ぜて服用すると超越的な精神状態に至ることを知っていたということは偶然に過ぎないのだろうか。おまけにアヤワスカは吐き気がするほど不味いらしい。いったいどういう力が働くと、これを飲んでみようということになるのか、そこに神秘を感じてしまう。
・セロトニン
セロトニンという物質は、簡単にいえば「幸せ」という感覚をつくる神経伝達物質で、精神状態や自律神経を整え、痛みを和らげ、前向きな思考を促したりしてくれる大切なものだ。これが不足すると鬱になったり免疫力が低下したりするのだ。
セロトニンは規則正しい生活をして、日光を浴びリズム運動をすることで活性化させることができる。
座禅や瞑想、ヨーガなども、呼吸法によってセロトニンの活性を促し、脳の状態をクリアにする効果がある。
禅によって最終的に行き着く境地というのが、セロトニンが大量分泌されて超越的な精神状態になることならば、一生続けても到達するかどうかわからない修行をするよりも、ペルーのアマゾンで儀式に参加し、アヤワスカを飲む方がまだ可能性がある。
そんな横着をして、自分の抱えている問題が全て解決するというのも都合が良すぎるけれど、今のままでは、ゴールがどちらの方向にあるのかさえわからない。ちょっとずるいかもしれないけど、先に感覚をつかんでおいてから、戻ってきてもう一度自分の足でゆっくりとその道すじを辿って行くのもいいかもしれない。
私はだんだんと本気になってきていた。
・悩み
大学で禅とか、就職に不利そうなものを学んだのには、けっこう切実な理由があった。
小さい頃からずっと、私は消えてしまいたかった。なぜ自分がここにいるのか分からなかった。
5人兄弟の2番め、という「1番要らん子」のポジションだったし、耳も片方しか聴こえない。
3歳の時、酔った父親にお酒を飲まされた。初めて飲むお酒はとても不味くて、ひと口ですぐに頭が痛くなり、立っていられなくて倒れてしまった。父は「お姉ちゃんは初めて酒を飲んだとき片足で踊ったのに、お前はつまらんな」と言った。覚えている限りで最初に消えたいと思ったのはその時だ。
私はなんでもそうだった。家族で出かけても、乗り物酔いですぐに気持ち悪くなって吐いてしまうし、人見知りでうまく話せなくて、ちょっとふざけたような、浮ついた場の空気をしらけさせてしまうことがよくあった。
父は子供が嫌いで、「誰の金で飯食っとんのや」「態度がでかい」「落とし前つけろよ」というのが口癖だった。
自分がいることで、周りの人を不愉快にさせるのではと、いつも不安で肩が凝っていた。1人で絵を描いたり工作をしたり、本を読んだりしている時だけが、わくわくする時間だった。
学校でもとても消極的だったけれど、日頃のひとり遊びが功を奏して絵画や書道で賞をもらったりした。
賞をもらうと父は喜んだ。賞状やトロフィーがたまってくると、それを飾るための部屋をつくり、兄弟の誰かが賞状をもらうと額に入れて飾った。
すると今度は、何か作るのにも人の評価を気にしてしまうようになった。
「このくらいがんばれば許してもらえるのだろうか」
といつも考えていた。
そんなこんなで、高校生のころにはもうくたくただった。自律神経がおかしくなり、髪が抜けた。
母が心配して心療内科に連れて行ってくれたが、カウンセラーの人が出てくるなり逃げ出してしまった。よく知らない他人に自分の胸の内を話すなんて恥ずかしかったし、話したところで解ってもらえるとも思えなかった。
母はそのころよく、「人生は死ぬまでの暇つぶしよ」と言った。その言葉は私のプレッシャーを軽くしてくれた。
哲学や思想や心理学の本を少しずつ読むようになった。人生や人間や世の中について、正しい捉え方を知りたかった。あの算数の問題のような、閉塞感を突き破る答えが欲しかった。
たまたま行った防具屋で(剣道部だったので)「行雲流水」という禅語の書かれた手ぬぐいをもらった。空を行く雲や流れる水のように何にも執着せずに生きて行くという意味である。そのように生きて行けたらどんなにいいだろうかと思った。
家にいる間は父の命令は絶対だが、18を過ぎたら親子関係は解消、勝手に生きて行け というのが父の方針だったので、大学は何をしても良かった。私は社会に出る前の4年間で、なんとか自分の精神を立て直したかった。
大学は実家から遠く離れた、海の近い温暖な土地にあり、4年間でだいぶ力の抜けた人間になった。周りにいる人もどちらかというと内向的で、マイペースな変人ばかりでとても居心地が良かった。
禅を卒論のテーマにする理由を「楽に生きる方法が知りたくて」と告げた私に、ゼミの教授は「それはとてもまっとうなことです」と言ってくれた。
やはり、というべきか就職は失敗し、私は東京に出てきてアルバイトをしながら洋服や雑貨を作って売るという、実に不安定な暮らしをするようになったが、ありがたいことに作ったものはそこそこ売れた。
ものを作ることはとても好きだけれど、作品を残したいという気持ちはなく、最終的にゴミになることを想定して、捨てやすく、土に還る素材を使うように心がけていた。作品に限らず、自分が生きた証を残したくなかった。できればお墓もいらないし、子供を産むつもりもない。大きな地震が起こり、瓦礫の山と核廃棄物の群れの写真を眺めながらその気持ちはさらに強くなった。
禅語に「本来無一物」という言葉がある。この世の全てのものは空(くう)であり、実体がないのだから執着すべきものはなにもない、という感じの意味である。
空 とはいっても、自分の肉体の存在を疎ましく感じてしまう。この世界の役に立たないものなのに、この先何年も生き続けなければならない。よぼよぼになったりボケたりして人に迷惑をかけるのかもしれない、と考えると気が狂いそうになる。結婚はしたが、もし本当に気が狂ったらどうしよう、と思うと夫がかわいそうになり、突然別れを切り出したりした。いわゆるメンヘラであった。
こういう、肉体が存在するということから生まれる終わらない恐怖を捨ててしまいたかった。本当の「本来無一物」を悟れたら、どんなに軽やかに生きていけるだろう。
あの、リヨさんのライブの時に頭に浮かんだイメージ…ヒッピーの男が全ての持ち物と、自らの肉体を簡単に与えてしまうイメージ、あれが私のなりたいものなのだ。
スペイン語も話せないし、治安も悪いかもしれない。それでもペルーに行きたい気持ちが抑えきれなくなっていた。