数年前の朝、コピー機の前で会った先輩の前髪が、ふにゃん、と前に倒れていた。いつもはワックスで髪を固め、おでこが見えてキリリとしている先輩。朝だからなのか、それとも疲れているからなのか、髪の毛と一緒になって目もとろん、としている。
「今日は髪型違いますね」と声をかけると、「セットできなかったからね~」と、口元だけ笑って答えてくれた。
その先輩から仕事を引き継いで数カ月後、私はマスカラも、ファンデーションも、チークも、お気に入りの香水も付けずに会社へ行くようになった。あのとき先輩の髪型が違っていたのは、この仕事が原因だったんだろうなと、自分のメイクが手抜きになってようやく気付いた。
次の日も、その次の日も、課題だけが増えていく仕事。関係者が突然異動になったり、辞めたりしていく。どこまでやってもクレームにしかならない仕事を続けていたら、口の中に小指の先位の血豆が現れるようにもなった。昼休み終了前からぷくっと膨れだし、会社を出るころに無くなる不思議な血豆だ。
終電を逃してまで作ったものが、お客さんだけでなく関係者にさえも認められない。一体何のために仕事をしているのだろう……。「仕事とは何か」がわからなくなってからしばらくの間、ひとり旅をしては旅先の人に「あなたの仕事は楽しい?」と聞くようになっていた。
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「仕事とは」にヒントをくれたのは、ネパールのルンビニで知り合った修行僧。ブッダ生誕の地で日本寺に住み込み、毎日お勤めをしているネパール人のビシュヌさんだ。
ここ日本寺では、観光客でも無料で宿泊させてくれる代わりに、朝夕のお勤め参加が義務付けられている。お勤めの内容は主に2つ。1つは座って太鼓を叩くこと。もう1つは歩きながら太鼓を叩くこと。どちらも叩いている間はひたすら「南無妙法蓮華経」を唱え続ける。
夜は座って2時間太鼓を叩き、1時間周辺を歩いて叩く。朝は3:30に起きて掃除をした後、2時間座って叩き、4時間村を行脚しながら叩く。いたってシンプルだが、だからこそハードだ。
当時の宿泊者は私1人。夜と朝の座り太鼓は良かったが、最後に行った4時間の行脚が想像を絶するほどだった。朝日と共に気温と湿度が上がり、天然サウナの中を歩いているようで息苦しい。汗は拭いてもすぐ流れてくるので、途中で拭くのを諦めた。「太鼓を叩く」以外に腕を動かす余裕もない。残りあと20分程度のところで私は挫折した。
意識がぼんやりしながらも、お寺の入口まで帰ってきたら急に力が抜けて、その場で崩れて動けなくなってしまったのだ。ビシュヌさんは引き続きお寺の周りを歩き進めた。近くで聞こえていた太鼓の音が、だんだん小さくなっていく。目を瞑り、「お勤めを休みなく、毎日するなんて……」と、この生活が日常になったことを考えると絶望さえよぎった。
「毎日続けてて、楽しいんですか? 辛くないですか?」と、これまであらゆる人に聞いてきたように、私はビシュヌさんに問いかけた。すると彼女は笑顔を見せて、すぐに答えた。
「お勤めをすることで来世のために徳が積めるのは、とても楽しくて、幸せですよ」。
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次に会ったお坊さんのサミアは、28歳の時に出家をしたと話してくれた。えんじ色の衣装に、すこしガッチリとした身体つきの彼とは、約10時間のバス移動でずっと隣の席だった。バスが止まって休憩時間になると、毎回彼はバスの出発時間を教えてくれて、休憩場所の案内もしてくれた。
ネパールでは出家をすると、お寺以外の場所、実家にさえ泊まることができなくなる。もちろん結婚も禁止だ。彼は3年間家族に反対され続け、悩んだけれど、それでもこの道を選んだという。
「どうして出家を選んだの?」と聞くと、子どもの頃に初めて仏教と関わってから強く影響されてきたこと、仏教にすごく助けられてきたから、自分も人生をかけてこの教えを伝えていきたいということを話してくれた。
来世のために頑張れるビシュヌさん。強く信仰するもののために人生をかけたサミア。「何のための行動か」が明確な人のパワーは、傍から見ると信じ固いほどに強かった。
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帰国後に自分の仕事について考えた。何のための仕事なのか。誰のために働きたいのか。それを考えるとやっぱり私は、自分が作ったものを動かしてくれる人・使ってくれる人のために働きたいなと思った。
「ボランティアじゃないんだから、そこだけ見ててもダメなのよ。会社の事情も考えなさい」。そういう言葉もあるかもしれない。けれどそれも承知したうえで、私の立場で出来る限りの、誰かのための仕事をした。
その後も変わらず、マスカラをつけて出勤する日はなかったけれど、血豆が口の中に現れることはもう、無くなった。
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仕事を引き継いで1年位たった頃、先輩と飲み会で話す機会があった。「一番最初に問題が発覚した時、踏切を見て、『このまま飛び込んだらどうなるんだろう』なんて考えたこともあったよ。家族の顔が浮かんで、一瞬でそんなことは吹き飛んだけどね。」と先輩が話す。先輩の髪はもう、ワックスでしっかりと固められたいつもの髪型に戻っていた。
「何のために」は正直なんでもいい。「もう嫌だ」と投げ出したくなった時、立ち戻れて、頑張れるものであればいいのだと思う。家族のためでも、来世のためでも、自分の仕事のお客さんのためであっても。ただ「何のため」がはっきりしている仕事を、これからもずっと続けていきたい。
2人のお坊さんを思いだしながら、そんなふうに考えている。