「人はみんな、それぞれ自分にしかできない強みを持っています。例えば『桃太郎』に出てくる鬼退治のシーン。キジは空を飛んで敵を攻撃、サルは素早い行動で相手に近づき、得意の爪でひっかく。イヌは凶暴な歯で噛みついて鬼を退治。みんなが強みを発揮すれば、チームで大きな事を達成できます」
ダイバーシティ研修の動画の中で、そんなことが言われていた。言っていることはすごくよくわかる。よくわかるからこそ、“貢献できるような強みがない自分”に価値が無いような気がしてならなかった。
「特に貢献できるものがない私は、どうしたら良いのかわからない」と日報に書いた翌日、教育を担当していたマネージャーが近寄り、座っている私と目線を合わせるように、そっと近くにしゃがみこんだ。
「もりやさんの強みは、その笑顔です」
マネージャーは続ける。「人間関係において『話しやすい』のはすごく大事なこと。ギクシャクしてしまう関係も、笑顔で相手を受け入れられれば、物事がなごやかに進むから」と言う。
しかし、頑張って誉めてくれた笑顔は話しやすい特徴と一緒に、他人に見下されやすい。私が言っても聞いてくれなかったことが、別の人から伝えると通ることが普通に起こる。
一体何が、なごやかに進むのだろう。
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海外旅行が好きな理由の1つに、「現実から離れて過ごせる」ことがある。何かの役に立たなくてはいけない状況から抜け出し、ゆっくり景色を眺めたり、通りすがりの人と話したりすることが好きだ。
キューバの古都、トリニダーの公園にいた時も同じ。その日は1日のんびりしようと、木陰のベンチに座っていた。
近くで行われている路上演奏を聞きながら、緑色のベンチに体育座りをして折り紙をしていると、斜め前に座っている、24、5歳くらいの男の子が見えた。
演奏が終わると、おじさんが話しかけてきた。そんな私を見てニコニコ笑っている彼。しかし、CDを売りに来たおじさんに穏便に帰ってもらおうと、作っていたハート型の折り紙をあげている隙に、いつの間にか彼はいなくなっていた。
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次の公園で私は、書き写して持ってきた譜面を見ながらハーモニカで、「上を向いて歩こう」を吹いた。ハート型が良くなかったのか、おじさんは「今夜踊らない?」と、キューバ独特のナンパを始めたので、しぶしぶ別の場所へ移動したのだ。
ふと正面を見ると、さっきいた男の子が座っている。目が合うとにっこり笑いかけてくれるが、お互い話しかけに行かない。
20分ほど経っただろうか。思い切って話しかけてみると、スペイン語で返事がきた。もちろん何を言っているかわからない。ブラウンでふちどられた、グリーンの瞳がこちらを見つめる。ほりが深く、肌は小麦色、金髪に近い髪の毛は坊主頭くらいに短く、一見すると怖そうだ。だが眉毛が少し下がっていて穏やかな表情をしている。
「Do you like orange?」
しばらく沈黙が続いた後、オレンジ色の私の爪を見て彼が英語を話した。口調は絞り出すようにゆっくりだ。はがれかけたマネキュアをこっそり隠して「Yes」と私は答えた。
会話は、私たちが意思疎通できるレベルのことばだけで繰り広げられる。「What is this? Japanese?(日本語でこれはなんて言うの?)」と、中学1年生の教科書に出てくるような例文さえも崩れた英語で、長い時間話していたような気がする。
日が暮れ始め、ほかの子と約束した夜ご飯の時間が来た。そろそろ行くね、と言うと「また会おう。今日の夜8時半。このベンチで。」と彼からの提案があった。OK、と約束して去ろうとしたところで、
「I like your smile.」と、白い歯をめいっぱい見せて彼は言った。
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8時半にその場所へ行くと、彼はオレンジ色のTシャツに着替えて座っていた。「You like orange.」と言って、Tシャツを見せてくる。薄暗い明かりの中でもはっきりわかるオレンジ色のTシャツと、笑顔から見える白い歯。私は驚いて、「ありがとう」と言って笑った。
昼間と同じような会話を続けたあと、彼が小さい辞書と、青色の折り紙で折った舟を私にくれた。「ミホ、スペイン語話したいって言ったから」と渡してくれたそれは、お姉さんにもらった英ースペイン語の辞書だという。表紙は少し取れかけている。
所々にメモがしてあったり、付箋がわりにしているらしいノートの切れ端が挟まっていたりと、使い続けている様子がわかる。キューバの平均月収の1/2はする値段だった。折り紙は、彼が好きだと言った青。私が彼にあげたものを、舟に変えてプレゼントしてくれたのだ。もう1つはノートをちぎって、帆までついたものを作ってくれていた。
嬉しい気持ち以上に罪悪感に襲われた。彼と別れてから会うまでの時間、2人きりで会うことが怖くなっていたのだ。昼間は偶然会ったし、話していて楽しかったけれど、1度帰って夜に、それも公園で2人で……。
彼が折り紙を折っている時、Tシャツを探している時、辞書をプレゼントしようと思っていた時に、私は彼を疑っていた。もし変なことにまきこまれてしまったらと警戒して、お金や大事なものは全部宿に置いてきた。私が彼にあげられるものは何もない。疑ってごめんね、の気持ちがたくさん入った「ありがとう」を、彼に伝えることしかできなかった。
そんな心境は一切お構いなしに、彼の優しい目が私を見つめる。そして白い歯を見せてもう1度、「I like your smile.」と言って立ち上がり、宿まで送ってくれた。
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「自分の顔って、自分自身が常に見ているわけじゃないでしょう? 自分の顔は周りにいる人のためにあるのよ。だから、いつも笑顔を絶やさず、周りの人に優しくね」
「植物も、虫も、人間だって、みんな明るい方を向くでしょう。明るくしていればみんなが寄ってきてくれるから。明るい方へ、明るい方へ。1人でいるのは寂しいから、明るくしていなさい」
宿のベッドに横になり、小さい頃によく母親から言われていた言葉を思い出す。
ハーモニカの音にのせて歌ってくれるチリ人夫婦と、途中でハーモニカをやめて一緒に歌ったこと。
ベンチで休んでいれば「何してるの?」と話しかけてくれる旅行者や、ミュージシャンや、カメラマンとの小さな会話。
そして、会って数時間の私に、たくさんの贈り物をくれた男の子の「I like your smile.」。
私が海外で心に残る経験ができるのは、あの頃母が教えてくれた、この教訓がベースにあるのかもしれない。
自分の中では、何よりも自信をもって言える経験だ。
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仕事で役立つ強みは未だにわからず、毎日「こうありたい」「ああなりたい」と必死だ。もっと能動的に動かなきゃ、とか、人にわかりやすく説明する力が足りない、とか、どうも業務の効率が悪い、とか。
「まだまだ」と思うことがほとんどで、その中で「もうダメだ」と落ち込んで。かと思えば「いや、そんな風に考えるな」と葛藤して。
でもなんだか、それでいいのかもしれない。必死になって疲れても、「あ、幸せだな」と思えることがあるなら、誰かに喜んでもらえることがあるなら、それで十分なのかもなぁと考えた。
「I like your smile.」と言ってくれた彼のことを思いだすと、「“貢献できるような強みがない自分”に価値が無い」なんて、必ずしもそうとは限らないのかもしれない、と思うようになった。
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この記事を書いている途中で、冒頭のマネージャーに言われたことばと同じことを、同僚から聞いた。「いつも笑顔で返してくれるから、話しやすくてすごく助かる。一緒に仕事しやすい」という。
自分の強みって、自分ではやっぱりわからないものだ。