久しぶり。
今はどこにいるのかな?
こう聞くのもいつもどこか僕の知らない場所にいて、
一つにとどまることがないからね。
どこかで目を輝かせながら、
毎日過ごしているところを
想像しています。
僕はといえば、酷暑の東京にある自宅で、
フィッシュマンズを聴きながら、
この手紙を書いています。
東京の夏は過去に類を見ないほど毎日暑くて、
「命に関わるほどの暑さ」とも言われてるよ。
この間ソフトクリームを買って外に出たら、
ほんとうに一瞬の内に溶けてしまった。
日中はなるべく室内で過ごしていて、
暑さが落ち着く夕方頃に外へ出る、
という生活。
家にいるうちは大量にある写真の編集をしたり、
古い映画を見たり、画集を見たりしてる。
いつも過去に触れてるね。
少し前、空港近くの海岸通りを車で走っているときに、
これからのことを考えすぎるときがある、
と言っていたね。
漠然とした将来への不安がやってきては、
自分に覆いかぶさってくる。
曇り空は晴れることなく、
何もかもぼんやりする。
そう言っていた。
僕も同じように感じることがあるよ。
それでも最近は思うんだ。
もしそう感じてしまったとしても、
僕には君たちがいるし、
安心を与えてくれる。
いつかどこか遠く離れてしまったとしても、
仮にどこにいるかなんて分からなくても
世界中どこにだって会いに行ける、と。
いまは遠くにいるかもしれないし、
心細くなっているかもしれない。
それでも、大丈夫。
いつも見守ってる。
このことを伝えたくてね。
また会おう。
夏から秋に変わる、その隙間に。
※※※
この場で寄稿をする機会をいただいてから、
ずっと手紙を書いてきました。
誰かを想って、手紙を書いていて、
相手に届いたものもあれば、
届かなかったものもある。
それでも、誰かがこの手紙を読んでくれていて、
ある人は自分に届いたものとして読んでいる、
と連絡をくれ、とても嬉しかった。
こうして誰かに手紙を書いていると、思い出す手紙がある。
二十歳のとき、留学から帰ってきたその日に留学先で出会った人から届いたもの、
「あなたに会えてよかった、いつか大人になったときにまた会いましょう」と
短くそう書いてあった。
送り元の住所もなく、ただポストに入っていた。
不躾ながら優しさを感じたある手紙。
手紙には魔法の力がある。
届けた人と受け取った人の間にしか生まれない空気感が詰まっている。
そして、それを垣間見る人にその背後のストーリーを想起させる、
それは見た人のものになる。
テキストによるやりとりが日常的になってる現在だけど、
これをあなたが頭に浮かべた人に、
手紙を書いてみてはどうでしょう。
フィッシュマンズが言ってます、
「悲しいときに浮かぶのはいつでも君の顔だったよ」と。
またいつか、お会いできる日を楽しみしています。
haikei