正直であることは雄弁と徳業との秘訣であり、正直であることには道徳的な影響がある。真実は雄弁と美徳の秘訣であり、倫理的根拠の基礎であり、美術と人生の極地である。(フレデリック・アミエル)
その日は、レッスン生が私ひとりだった。
まだ通いはじめて間もないころのレッスン日だ。普段は3~4人はいるはずのレッスン生たちが、その日は誰も他に来なかったのである。
まだ親しんでいるとはいえない先生二人につきっきりで教えてもらいながら、その日は、基本のステップのひとつである「ヒーロ」を初めて練習した。
ヒーロとは、スペイン語で「回る」を示す言葉だ。リードの周りを、フォローが円を描くように進むステップのことをいう。随所で方向転換と後ろ向きのステップが入るため、フォロー側は最初のうちかなり難しく感じる。
何度も繰り返し、先生たちのダメ出しを受けるうちに、自分の癖が見えてきた。「リード分より速く大きく動いてしまう」のである。
これは、歩けと言われているのに走っているようなものだ。公園でのキャッチボールなのに、グローブでホームランを打とうとしているようなものだ。誰もそんなこと求めていないのに。
自分の内側に目を向けてみると、そこには「大きく動か『ねば』ならない」という思い込みがあった。「大きく動きたい」のではなく、「動かねばならない」なのがポイントであろう。まずはこれをどうにかしよう、と私は思った。
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たっぷりレッスンをつけてもらったあと、先生たちと少し雑談をした。仕事について訊かれたので、フリーライターでマンガも描いていると答えたところ、二人は「そういう仕事の人がうちに通うのは初めてかも」と驚いた。
女先生が、男先生を指さして言った。
「彼はけっこう文章を書くのが好きなんだよ」
二人は時々ブログを書く。どちらかというと男先生の方が多く更新しているようだった。
商売っ気のないダンサーらしく更新頻度は低めだし、内容も他愛ないことが多い。でも私は好きだった。二人の文章からは、「てらいがない」ことの良さ、そしてカップルが仲良く過ごしていることの良さがしみじみと感じられるのだ。
もっと書いてほしいと言うと、男先生は照れた。
「書きたいけど時間がかかって……。ばーっと書いていくと、なんか実際に考えていることと違うな、おかしいなーと思って指が止まっちゃうんですよね。それで何回も書き直して、考えていることと同じだな、うん、って完全に思えたらようやく更新するんです」
無邪気な笑顔で、タイピングのジェスチャーを交えながら男先生は言った。
これを聞いて、私はさらに汗をかいた。具合が悪くなりそうなくらいだった。
しかしまさか先生も、そんな話で私の血の気がザーザー引いているとは思わなかっただろう。
感じていることと違うことを書かない。
ある種の物書きにとっては非常に重要な原則だ。
そして、私のようなライターにとってはしばしば特大の困難さを感じさせる概念でもある。
それは私が過去10年以上、悩んできたテーマといっても過言ではなかった。
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私は下請けライター歴が長い。
具体的に言うと、そのキャリアは高校生の頃から始まる。
なぜかというと、やはりフリーライターだった母の下請け(報酬あり)をしていたためだ。
下請け仕事をしている母のさらなる下請けだから、受注構造的には最下層、ミッドガルで言えば下層プレートスラム街の住人である。具体的には、テープ起こしや星占い記事の代筆、構成案出しなんかをしていた。今ならクラウドワークスで500円〜3000円レベルで丸投げされているような案件だ。
というわけで私は、社会的な実績としてはカウントしていないものの、気分的には16歳くらいからずっと、なんとなくライターとしての経験を積んでいるのである。
では、そんなふうに下請けライティング歴が長いとどうなるか。
書く仕事に対しての「慣れ」が生じるのだ。
これには、良い面と悪い面がある。
慣れると作業スピードは上がるし、「クライアントが求めている及第点」の見定めも上手くなる。これは良い点だ。
しかしそれは同時に、「ああしたいけど、どうせこういうのを求めているんだろうからそのように仕上げよう」という、極めて妥協的な思考もセットで連れてくる。
怖いのはこれだ。
このすれた、下請けばかりやっている人間が持ちやすい思考のクセは、ありとあらゆる仕事の中で、ありとあらゆるタイミングで顔を出す。
流されないでいるためには、その都度心を強く持つ必要がある。文章を書く本当の喜び、本当の目的、本当の使命を忘れずにいないといけない。
自分なりに、ベストを尽くしてきたつもりではある。
しかし20代の終わり頃、面白い仕事をたくさんいただけるようになってきたところで私は、この「慣れ」と自我の板挟みに限界を感じ始めたのだった。
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たとえば、対談原稿の構成仕事を受ける。
著名人二名の対談を録音し、読みやすい記事に仕上げるというものだ。
その際よく突き当たったのが、二人の会話がどれだけ噛み合っていなくても、逆に過激な発言で大盛り上がりしていても、実際の原稿にはそれをほとんど反映させない、というような展開である。
噛み合っていない会話はいかにも噛み合っていたかのように、過激な発言は多方面に配慮した穏便な言葉に書き換える。
クライアント側の要望で、ほとんど架空の会話になっているレベルの改変(少なくとも私の目にはそう見える)をしなければならないことも少なからずあった。関係者各位の改稿の要望が激しく食い違い、必死に妥協点を探すなんてことも。
技術的にはもちろんできる。
「こういう感じの文章を書いてくれ」という注文に、十年以上応えてきたからである。
書き上げた原稿のクオリティにも、もちろん一定の自信はある。
そう、私は「慣れ」ているのだ。
でも感情的には? 本音としては?
「感じたことと違うこと」を書いている、という感覚はぬぐえなかった。
提案される方向性に心から納得できないことも多々あった。
納得したいのにできない。納得出来ないのに手は原稿を仕上げられる。それが苦しかった。
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誤解のないよう書いておくが、私はいま例にあげたような文章コンテンツの作り方を、「良い/悪い」でジャッジしているわけではない。
企業には企業の、発言者には発言者の目的意識があり、それに沿った商品の作成を、下請けであるライターにもとめるのは当然のことだ。ただ私という個人が、それに順応しきれなかったということである。
自分も納得できて、クライアントも納得するような原稿を書ければそれが一番いい。それを追求する気はあった。卓越したライターに指導され技術を向上させる機会にも恵まれたし、自分なりに考えつくことはあれこれやってみた。毎月10万字以上必ず書いた。
なかでも一番「やらねばならぬ」と思ったのは、価値観を拡張することだった。
私の「周りとの価値観の違いに気づけない」ぶりは幼稚園のときから変わっていない。おかげで、「いや〜この間の◯◯の件すごいよね〜」と話しかけられ、「ほんと(最悪)ですよね!」と返したら「やっぱり最高だなって思ったよ!」と言われて青ざめる、というような黒ひげ危機一発トークを30近くになっても繰り返していたのだ。
これでは、編集者の注文に納得できなくても当たり前である。納得できないのになんとか「正解」を納品してこられたのは慣れと運のおかげだ。
正解以上の成果を上げるには、つまり今の限界を超えるには、今の価値観のままでは駄目なのだ。もっともっと価値観を広げて、みんなの「良い」と言っているものがつかめるようにならなければ。
しかし、最終的には諦めたのである。
才能がないとか、向いていないとかそういう言い訳をするつもりはない。
それに対して、そう「せねば」以上のモチベーションが自分にはないんだ、とある時ふと心から実感したのだ。
母の手伝いをせねば、と思ったから書いた。
クライアントが求めるように書かねば、と思ったから書いた。
「せねば」でもある程度まではいける。
「うまくまとめてくださって助かりました」「理想通りに書いていただけてありがたいです」レベルまでは。
でもその先には、「こんな世界が存在したんですね!」と驚かれるような境地には、「したい」がなければ行けない。
「せねば」だけでそこへ行こうとするのは不自然なことだ。無理をするということなのだ。
その証拠に、私の手がけた仕事でちゃんと数字を含むインパクトを出せたのは、何が何でもこれを世に出したい、と思った案件だけじゃないか。
そのことを理解した私は、親しい数人の編集者からの依頼以外、ほとんどのライター仕事を断るようになった。私にできるのは「したい」の方向へとかじを切り直すことだけだったから。
土台がどれだけいかれていても、物書きとして三流でも。
感じていることと同じことを書きたいと思ったのである。書かねば、ではなくて。
その決意からだいぶ経ったが、まだまだ苦しんでいる。
自分の慣れに。弱さに。
同じ種類の苦しみと、ダンサーはダンサーの領域で向き合っているのだろうか。
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最初のうち、ヒーロはなかなか上達しなかった。
後ろ向きに脚を出すところで、毎回「これでいいんだっけ」と不安になる。
不安になるから息が浅くなり、背中が張り、肩が上がる。仕事柄、肩周りの柔軟性は著しく低い。
そして迷いを振り切るため、後ろに体重をかけて大股に動いてしまうから、姿勢が崩れて先生をひっぱってしまう。
その度に先生は「無理に動かなくていいから」と言った。
難しかった。
人生全体で無理ばかりしてきた黒ひげ危機一発女だからだろう。
30年かけて熟成してきたこの無理グセが、一朝一夕に治せるとは思えない。
だから家で何度もヒーロを繰り返した。さまざまなタンゴの曲をかけて、何度も何度も、目が回るまで練習した。
女先生は言っていた。
「考えずに回れるようになってほしいんです」
タンゴの神様がリードの腕を通じて命じる動きと、自分の意志が完全に一致するまで回り続けるのだ。相手の求めに耳を済ませ、求められている分だけを自分も求めて動く。それが理想。
そのためには、捨てなければいけないものがいくつかある。
「相手が不当なことを要求してくるんじゃないか」という不信、「このくらい必死で動かないと相手が納得してくれないんじゃないか」という疑心暗鬼。それらがあるから「せねば」が生じ、私の場合は大股の動きになる。
「左足を後ろに出さねば」と考えずに左足を後ろに出す。
「右足を横に広げなければ」と考えずに右足を出す。
そんなことが可能なのか?
できるはずだ。
だって今の私には間違いなく、「もう少し上手く踊りたい」という欲求があるんだから。
最初のヒーロレッスンから二ヶ月経った。
あの頃よりは少し、いや、ずっと上手く回れているはずだ。
男先生を見る度にブログの話を思い出す。そしてこう思う。
先生、私いつか先生たちのように踊ってみたいです。
そして、先生のように書きたくもあるんですよ、実は。
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今日のおまけミキタンゴ
↑の本文を書き終えた翌日、レッスンに行きました。その帰りがけ、エレベーターの前で男先生に言われた衝撃の言葉。「あ、みきさんのタンゴの連載、読んでますよ(´∀`)」。
黒ひげ危機一発女、刺されました。ゲームオーバーです。親バレならぬ先生バレです。ここで連載は終了です……と言いたいところですがまだまだ続きます。
さて、今日ご紹介するのはタンゴの映画。2015年、ヴィム・ヴェンダース&ヘルマン・クラルのコンビで撮られたドキュメンタリー映画、「ラスト・タンゴ」です。
本作の主題となっているのは、タンゴ史に残る伝説のペア、マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペスの愛憎に満ちた関係性。それを厳密に関係者の証言で追うのではなく、イメージ映像などを交えたどこかリリカルな演出で表現しています。自伝的小説と同じで、ここに描かれたことを事実だと思うのは少々危険でしょうが、一遍のドラマとして、人間の姿を映す映像としては非常に面白い。
マリアたちの青春時代、つまりタンゴ黄金時代を表現する役者は、皆現役の人気タンゴダンサーたちです。それぞれ個性がまったく違って、観ていてちっとも飽きません。これ、タンゴを知らないまま観ても面白いと思います。私がこれを観たのも、体験レッスンに行く前のことでした。
マリアは劇中、何回もフアンに対しての想いを口にします。しかしそれが本当かどうかよくわからない。
真実は、二人のアブラッソの真ん中にしかないのだと思います。