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2F/当番ノート

CRAZY TANGO DIARY #7 ハロー、リベルタンゴ

当番ノート 第39期

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「いや、ほんとにあんな好青年は見たことがない」とサー・ジョンがくり返した。「去年のクリスマスに、うちで小さな舞踏会を開いたときも、午後八時から午前四時まで踊って一度も腰をおろさなかったんだ」
「えっ、ほんとに?」マリアンが目を輝かせて言った。「最後まで優雅に元気よく?」
「もちろん。しかも朝八時に起きて、馬で狩猟に出かけたんです」
「私、そういうの大好きよ」とマリアンが言った。「若い男性はそうでなくちゃ。何をするにも精力的で、節度なんかわきまえずに、疲れなんか知らないってふうでないと」
(ジェーン・オースティン『分別と多感』中野康司訳 64Pより)

 
 
 私はウィロビー青年の半分も精力的ではないので、午後8時から午前4時まで座らず踊り続けるなんてレッドブルを何本飲んでもできそうにない。
 でも、午後7時から23時までなら、そして時々座りながらであれば、踊り続けることができる。
 そのことを、この週末に発見してきた。
 
 そう、ついにミロンガデビューしてきたのである。

 *

 アルゼンチンタンゴを育てた場にして、全てのタンゲーロ・タンゲーラが帰る場所。タンゴ音楽と酒を背景に、老いも若きも関係なく、集った人々が思い思いに組んで踊る大人の宴、ミロンガ。

 習い始めてまだ正味2ヶ月半という新参者ながら、そこへの突撃を決めたのは先月末のことだ。
 教室の先生たちにイベントの案内をされたとき私の背中を強く押したのは、一緒に行くと言ってくれたレッスン仲間の存在と、他ならぬこの連載である。「連載中にミロンガデビューして、そのことを書き記しておくのだ」というモチベーションがなければ、初ミロンガはもう3ヶ月くらいあとに見送っていたかもしれない。

 行くと決めた日から、私は可能な限りレッスンに出て、家でも隙間時間にこつこつ基礎練習をした。
 着るものの準備も必要だった。踊っても大丈夫そうなワンピースを買い(メルカリで)、ついでに化粧品も追加し、美容院も予約した。ミロンガでは、女性は男性に声をかけてもらわなければ踊れない。よってある程度小綺麗にして、踊る気ばりばりな様子を見せないと男性の方も誘いづらいらしいのである。普段は爆発頭にヨレヨレ服の私だが、否応無しに気合が入る。

 男性に声をかけてもらうため、外見に力を入れる。
 私にとっては不得手なジャンルだが、今回は頑張れた。男に綺麗だと思ってもらうこと自体が目的なのではなく、その先にこそ、私の欲するものがあるからだ。

 やはり、目標はなるべく遠くに置かなければならないということだろう。

 *

 銀座にあるそのアルゼンチンタンゴサロンは、開場から一時間ほどで、ラッシュアワー時の電車のような有様になっていた。つまりは大盛況だった。

 このミロンガは、在日アルゼンチン共和国大使館が後援についた「Tango Festival en Tokyo」というフェスイベントのひとつである。私が行った日が初日だったため、人の出入りは常に多かった。

 こじんまりとしたサロンである。ダンスフロアの面積だけでいったら50平米程度ではないだろうか。その狭さのなか、四方の壁を背に幾重にも人が座り、さらに中央では何十組ものカップルが踊るのだから尋常な状況ではない。ダンスエリアで踊っている女性の振り回した足が、待機して座っている女性の膝にぶち当たっていた、と言えばその密集具合も伝わるだろうか。

 タンゴを習っていない人にはピンとこないだろうけれども(習い始めたばかりの私もそれは同じ)、タンゴを踊る人は実はけっこう多い。海外からも豪華ゲストを招くフェスともなれば、全国津々浦々からタンゲーロ・タンゲーラが集まってくる。国内だけではなく、中国や韓国、アメリカからやってきたという人も大勢いて、かなりのグローバル空間であった。

 ダンスのレベルの方は、私なんぞの目ではよくわからない。が、ものすごく上手い人はたくさんいた。恐ろしく混雑したフロアを、みな巧みに踊りながら丸く進む。ヒーロもオーチョもパラーダも、上手い人であればあるほどうんと小さな円の中で美しく完結させることができるのだと、実際に見てみてよくわかった。

 私には到底そんな踊り方はできないが、来たからには踊りたい。そのために誘われたい。
 でも、そんなことを考えていると緊張で体はどんどん硬くなる。このままでは、いざ踊れるときが来てもうまく体が動かないだろう。

 こうなったらもうヤケクソだ!と思った私は、用意されていた白ワインを立て続けに何杯も飲んで早々に酔っ払った。酔っ払うといっても人格が変わるタイプではないのだが、少なくともぐにゃぐにゃにはなる。ガチゴチになっているよりはマシだ。

 *

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 へべれけ作戦が功を奏したのか、欧米人の男性が早々に目線をくれた。
 そう、タンゴの場合は、誰が誰を誘う場合も「Shall we dance?」とは言わない。カベセオといって、視線だけで男性が女性を誘うのである。

 思い切ってフロアに出る。
 ニューヨークから来たというその太った男性に手を預けると、彼はとても優しく私の背中に手を添えた。
 教室の先生とも、レッスン仲間の男性ともまったく違うそのアブラッソ(抱擁)に包まれると、私の体の先に、まったく新たな世界が広がるのがわかった。彼のリードは穏やかでわかりやすくて、私はいたって気持ちよく踊ることができた。
 
 人間って、本当にひとりひとり違う生き物なんだ。
 
 あまりに当たり前のそのことへの理解を、ダンスは何度でも新鮮に体に叩き込んでくる。叩き込まれるそれが、私から心地よく言葉を奪う。

 顔の形も、体型も、体重も、筋肉と脂肪の比率も、虫歯の数も、手足の長さも、骨の歪み方も、肌の質感も、手の湿り方も、生きてきた年月も、その瞳が見てきた光景も、口から発された言葉の内容も、歩いてきた街も、タンゴの習い方も、ここにやってくるまでに考えていたことも……何ひとつ同じではない、全てが違う順序違う物質で構成されている生き物。

 しかしいまこの瞬間、人としての生命を宿しているということだけはかろうじて同じであるらしい存在が、何の偶然でだか私のことを抱きしめて踊っている。

 なんてすごいことなんだろうか、これは。

 その感慨を味わっているうちに踊りが終わった。
 そのあとは次々お誘いが来て、私は座ってはフロアに出る、座っては出るということを繰り返した。全員がとにかく違う踊り方、違う肉体をしているのがおもしろくてしょうがなかった。音楽を聴いて、その違いを味わっているうちに一曲踊り終える、という具合だった。
 
 
 踊りだけではなく、聴いたり、見たりの楽しさもあった。
 最初にスペシャルタイムとして提供されたのは、早稲田大学の老舗タンゴ演奏サークル・Orquesta de Tango Waseda(オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダ)による生演奏。生のバンドネオンの音で踊るというのもまた格別な体験である。

 そして終盤には、国内外の実力派ダンサーによる、見ごたえたっぷりのデモダンスもあった。
 大トリをつとめたアルゼンチンからのゲストカップル、LUIS CASTRO & CLAUDIA MENDOZA(ルイス・カストロとクラウディア・メンドーサ)は本当に素晴らしかった。重厚で、セクシーで、上品で、強くて。

 ここでも私は「ひとりひとりが全然違う」ことの面白さに感動しきりだった。鍛え抜かれたダンサーたちの肉体が飛び跳ねるのを見ていると、そこから音楽というものが世界に初めて、新しく生まれてくるような気がする。

 *

 大盛況のなか、ミロンガは23時に終わった。

 3曲セットの「タンダ」を8回か9回踊った(つまり、合計で24〜27曲くらいは踊ったということ)私はもうヘロヘロのヨレヨレ、汗まみれで大変な有様であった。これを明け方まで続けられたというウィロビーはどう考えてもすごい。いや、ウィロビーが踊ってたのはタンゴじゃないけど……。

 ミロンガに行ったらいろいろ高尚なことを考えようと思っていたのだが、小賢しい考え事をしている暇などまるきりなかった。あちらの体重移動を感じて、音楽を聴いて、人にぶつからないように動き回ることだけで精一杯だし、それに頭も胸も満たされていた。
 混雑の中、大音量で聴くタンゴ音楽も格別だった。知っている曲がかかると足踏みしたくなるほど嬉しく、好きなフレーズでうまく体を動かせると顔がゆるんだ。

 嬉しいことに、「とても上手ですね」と何人かから言われた。
 お世辞かもしれない。それでも、たしかにうまく踊れているときがあるような気もした。たぶん、ひたすら楽しかったからだろう。ふっと緊張を手放して、何も考えずに踊れたとき、私の体はいつもより軽く動いた。

 普段のレッスンが楽しくないわけではない。でも、楽しさに匹敵するか上回るくらいの緊張でどうしても体が硬くなるのである。
 その緊張の出所は、「評価されること」への凄まじい恐怖だ。「先生」という人種のことを、私はとにかく「自分を採点し、合否の振り分けをしてくる怖い存在」ととらえてしまうところがある。

 でも、そんなふうにばかり感じていてもいけないな……。

 ミロンガで楽しく踊ってみて、初めて素直にそう思えた。普段のレッスンももっと楽しみたいなと。
 楽しんだ先にしかやっぱり「今日の私、イケてた」という明るい気持ちはないし、その気持ちがひとかけらでもなければ、本当にのびのびと—今日来ていた有名ゲストダンサーたちや、有名ではなくともフロアで輝いていたタンゲーロ・タンゲーラたちのように美しくは踊れないのだろうから。

 そんな反省とともに、私は会場を後にした。
 
 
 ちなみにこのサロンの名前は「GINZA LIBERTANGO」という。由来はもちろん、アストル・ピアソラ作曲の超有名曲「リベルタンゴ」だろう。ご存知の人も多いだろうが、これは「LIBERTA(リベルタ)」という言葉と「TANGO」を組み合わせたピアソラの造語である。そしてリベルタとは、「自由」という意味だ。

 タンゴを習いはじめて2ヶ月半。
 まだ、踊れるとか踊れないとか、上手いとか下手とかそんなことを問題にできるレベルではない。

 それでも思う。

 今日の私は、いつもよりほんの少しだけ自由に踊れた!

***

今日のおまけミキタンゴ

 今回は何を紹介しようかな……と考えていたちょうどそのタイミングで、ツイッターのTLにとんでもない動画が流れてきたのでついついキャッチアップ。アルゼンチンタンゴ世界選手権2017ステージ部門チャンピオンのアクセル新垣さん(日系三世、まだ20代という若さながら世界に名を轟かすカリスマダンサー)がつくった、「正しく嫌われるアルゼンチンタンゴの踊り方」という動画です。タンゴをやったことのない人が見てもなかなか面白いと思う。

「次に、女性の上にのしかかるように胸を前に突き出します。股関節からしっかり倒すことにより、上半身の重さで相手を押しつぶすことができます」
「右手に全身全霊の力を込めて相手をガッチリホールドします。左手も無駄に力を入れて内側にちぢめます」

 こういう感じの男性、実際にいるので笑ってしまった。アクセルさんは「あくまでユーモアなので本気にしないでください」と書いているけど、これの正反対ができる人が好かれるリードなわけで学びは大きい。うーん、ミロンガデビューしたての人間のために、これのフォロー版もつくってほしいな……笑。

小池 みき

小池 みき

フリーのライター・編集者・漫画家。1987年生まれ。エッセイコミックの著書に『同居人の美少女がレズビアンだった件。』『家族が片づけられない』がある。ダンスは未経験だったのに、31歳でいきなりアルゼンチンタンゴにハマった。

Reviewed by
AYUMI

今回はみきさんがとうとうミロンガ(タンゴサロン)デビューを果たすお話。


折しも今朝、本記事を読む直前に「まったく踊れないのにアルゼンチンタンゴバンドの演奏を聴くために初めてミロンガに行った」方の投稿がFacebookで流れてきていた。
「ミロンガって?」と尋ねたその方に、わたしも知っているタンゴダンサーさんは「ミロンガと書いて 世の中 と読むのだよ」と諭してくださったそうだ。


その投稿に一通り目を通しはしたものの、シェアされているみなさんが涙腺を滲ませているその心持ちにはいまいちピンと来ずにいたところ、みきさんの記事を読んで目の前がさっと開かれる思いがした。


まったく違う路を歩んできた人間同士が、ほんのひととき頬寄せ抱き合い、ひとりでは見られない世界を覗いて、また離れていく。歓喜や哀愁の調べにのって。
まさに人間模様の縮図である。


踊る人もそれをただ眺めているだけの人も没入させられるような力がそこには働いている。
その熱狂の渦に身を投じようではないか。

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