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2F/当番ノート

おうちにかえろう

当番ノート 第42期

てくてくと歩く私のよこを新宿行きの準特急電車が走り抜けた。

 都心から電車で1時間弱、山と川に挟まれたこの静かな町にアパートを借りたのは今年の夏のことだ。それまで私は部屋をもたない旅人生活をしていた。ダンサーという職業の都合上、どこにいってもホテルが用意されていたから、部屋を借りる必要がなかったのだ。全財産を詰め込んだスーツケースを片手に、世界中の劇場と空港を巡る日々。ツアーがない時期は友人や恋人のところに転がりこんだ。ところがこの夏、事情が変わり、なにがなんでも、いますぐに、とにもかくにも、自分の部屋をもつ必要に迫られた。大急ぎのアパート探しに課した条件はただひとつ、都心から遠い自然に近い場所。場所はどこでもよかった。

 まず初めに思いついたのが高尾山。きっと山がみえる部屋がみつかるはずだ、と。高尾山口駅にある昔ながらの不動産屋が提案してくれた私の条件にあうアパートは、たったの一つだった。店を閉める時間だったから面倒くさかったのかもしれない。不動産屋のおばちゃんに連れていかれたその部屋の窓からは、山と変な形のモニュメント(お寺のお堂かなにか)がみえた。なにかが・・・違う。山の近くに住みたかったはずなのに、実際に山に囲まれて感じる、妙な停滞感。それに変なモニュメントも気になる・・・というわけで、泣く泣く中央線に乗って帰っていたその時。出会いは瞬間、八王子駅の直前だった。「ここにいる不動産屋だったら、もっと情報をもっていそう!なんか栄えてるし!」電車を飛びおりた私は、駅近くの不動産屋で希望の条件を伝え、翌日お部屋探しドライブに連れて行ってもらうことになった。

 「このあたりの雰囲気がすきなので、このあたりに住みたいです。」車の助手席から景色を眺めていた私が言う。「まだ部屋をひとつもみていないじゃないですか。」運転してくれている不動産屋さんが笑う。なだらかな山、たんぼ、広い川、コンビニもみあたらない。道を歩く人は全員老人。地元香川県を思い起こさせるようなまったり感。部屋をみるまえから、このあたりに住む自分の姿が想像できるような気がした。結局わたしはその日のうちに、契約をきめる。その部屋は、少し予算オーバーだったのだが、たまたま家主さんがアパート近くをうろついていて、この部屋に住みたいけど予算オーバーなんです、と話すと、家賃を割引してくれた。その時の家主さんのセリフがカッコよかった。「ここに、住みたいのか?なら、しかたねえな。払えるだけ払ってくれたらいいよ。」

 引っ越しの日、友達に引っ越し手伝いを頼んだ。車を借りようかという話もした。引っ越しとはそういうものだから。でも、実際、部屋に移動するというときになって、スーツケースひとつぶんの荷物しか物がないことに気がつく。そりゃそうだ。私はスーツケースひとつで生活をしてきたミニマリスト。友達に手伝ってもらうことがないやと電話をして、一人でスーツケースをもって電車にのる。空港に行くときと一緒だなと思う。スーツケースひとつをもって、知らない場所へいく。でも、今回は特別だ。だって私は自分の部屋にむかっているのだから。

こうして私は、住みたいと思った場所、住みたいと思った部屋に、住むことになった。職場が近いわけでもない、知り合いも誰一人いない、何も知らない場所。ここに住む理由は、ない。これを縁と呼んでもいいですか?縁と呼ばせてもらいましょう。

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かきざき まりこ

かきざき まりこ

香川県出身。旅人ダンサー。
音楽を聴いては踊りだしてしまう幼少期。
高校までオリンピックを目指して中国人コーチのもと新体操に没頭。
大学でダンスに出会い雷に打たれるほどの衝撃をうける。
大学卒業後にBATSHEVA舞踊団(イスラエル)入団。
三年間のイスラエル生活後、タフさとラフさをみにつけ、LEV舞踊団に入団。世界中の大劇場をまわり、踊る生活。

最近東京のすみっこに部屋を借りる。
世界の大劇場と東京の小さな部屋がつながっていく日々の記録です。

Reviewed by
松渕さいこ

イスラエル帰りのダンサー、かきざき まりこさんの連載が今回から始まる。最初の回は、彼女自身の東京での「アパート探し」のお話。なんて「アパートメント」に相応しい題材なのだろう。

ただ、東京に住もうって考えたとき、果たして高尾山は第一候補になり得るのだろうか。もともと田舎育ちの私には考えられない。だって、「東京」って感じ、しないもの。そんな私の所感を他所に、彼女は手際良く、直感でアパートを契約する。生まれ育った彼女の故郷、香川を思い浮かべながら、真っ直ぐに。

知り合いもいない、職場は遠いと言うように、そこを選ぶ「べき」理由はない。でもそこには何となく育った場所に近い景色があるのだろう。地元の風景は彼女にとって、世界中どこにいてもすぐにつながることのできる強力なパワースポットなのかもしれない、と思った。長い間日本を離れてダンスを踊ってきた彼女が自分の部屋をもつことになったときに、東京の真ん中ではない、静かでおおらかな場所を選んだことが面白く、不思議だった。私が想像する、彼女の人生のあるダンスの世界はとてつもなく刺激的。ツアーで訪れるたくさんの国や地域の文化に触れて、いろんな個性的な人たちと出会ってきているはずなのだから、田舎での暮らしはきっと退屈してしまうと余計な心配をした。

だけど彼女は本当に軽やかだ。人の関心や想像の関係のない、静かで夜はとっぷりと暗くなるような場所を暮らしの基地に選んだ。都心で仕事があってそこに帰ると、どんなに安らいだ気持ちになるんだろう。帰るという習慣は、無意識に1日という時間やある出来事、ある世界と自分という存在のあいだに境界線を引いていく。知らぬ間に強く心に作用していく。

彼女がその土地を選んだ時点で、それはとても強い縁が招いた出来事だと思う。縁のない出会いはないもの。あるのは縁の強弱だ。そのことを彼女はとてもよく知っている気がする。

「帰る」感覚が日々得られることは彼女にとってそれこそ旅に出掛けるみたいにわくわくすることなのかもしれない、と想像してみたりした。

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