こんにちは。
そにっくなーす a.k.a. ひのはらみめいです。
精神科看護師を楽しんでいる自称文学少女です。
みなさんは
憧れている人っているでしょうか。
妬ましい人っているでしょうか。
アニメにもなった筒井康隆の人気小説『パプリカ』の中で、
主人公の美人サイコセラピスト・千葉敦子に対し、妄想に取りつかれた後輩セラピストの柿本信枝さんが
『美人だからって調子乗んな』(意訳)
とぶん殴るシーンがあります。
美人、いけめん、金持ち、元気な人、才能がある人、など恵まれて見える人は、時折こういう遭わんでもいい憂き目にあうことがあります。
自身が恵まれていない、劣っているという気持ちでいっぱいになったひと(そういう気持ちは、精神疾患の患者であるかどうかに関わらず、多かれ少なかれ誰にでもあるものですね。診断を受けていないひとでも、不安に囚われた時、妄想に取り憑かれた患者のような言動・思考になることがありますね)からみたら、恵まれて見えるひとは嫉妬の対象になるということです。
今回はそんなお話をします。
病院に勤めていたころ、健康な人になりたいから治療を辞めたいと訴えるかたがよくいました。薬を飲んだり自分で注射をしたり通院したりしていると、その行動のたびに自分が病気だということを否が応にも自覚させられる。朝昼晩の薬を飲むたびに自覚させられるので1週間に30回近くは病気のことを思い出して落ち込むということでした。
健康になるために治療をしているのだけれど、健康になるための行動が自分の病気を再認識させてしまう。
病気が長期にわたる場合、精神疾患に限らずあらゆる障害において、この認識は生じます。
殊に精神疾患のかたは、世の中をうようよしているそこらの人たち(=いわゆる『健常者』)は、どこも悪くなくて痛くなくていつも元気で頭もいつもスッキリしててスーパーパーフェクトなんだという、健常者超人説を信じ込んでいる人がとても多いです。
(と、精神医療の大家の中井久夫先生もおっしゃっています)そして中には、いわゆる健常者に対して強い憧れと嫉妬を持ってらっしゃる人もいます。健康だからどーにかなるんだろ、我々の苦しみなんぞわからんだろう、悩みなんかどうせないんだろう、というようにですね。
しかも若い看護師だというとさらにその超人イメージは増すらしく、あちこちの痛み、生理の重さ、気圧変動による不調、むしば、内臓疾患、調子悪い日は何もできない、など見た目でわからぬ問題点をぽろっと共有するとちょっとびっくりされたあと、安心してくださったりなどします。
ファナティックな憧れは怖いものです。
人ごみの中、自分だけが重い荷物を背負わされていたり、自分だけが足りないものを持っていると思いながら日々を過ごすとしたら、それは病気や困難のつらさに要らぬ拍車をかけてしまいます。
美人だってたまたま顔がそういう形だっていうだけで、人から勝手なイメージをもたらされたり期待されたりして苦しかったり、下痢したり、鼻くそだって出ますよね。例えがアレなのでアレですけど。
健常者は超人でもなく能力者でもなく、ましてやヒーローなんかではない、
そう気づくことから、彼らの社会参加は始まっていくのかなという気がしています。
ファナティックな憧れを薄め消し去るために必要なのはナマの対話がいちばん。
そしていろんな対話を楽しむために、わたしは看護師として文化的教養を深めたいなあ、とか思っているところです。
たとえ話が多くてわかりにくかったかもしれませんが。
筒井康隆『パプリカ』はめちゃくちゃいいですよ。
患者を寝かして夢の中に入り込んで、潜在意識にこびりついたトラウマをあぶりだすわけです。
夢に入るためのマシンをめぐっての研究と攻防、夢探偵パプリカのチャーミングさ、狂ってく人々、コラージュみたいな夢世界。
精神分析って今やってるとこあるのかなあと思いますが、夢から精神を分析するみたいなのは結構興味あります。
(わたくし、フロイトやユングはうすーく知ってる程度で、難しいのであんまり手をつけてないです。)
次回は、詩を書くときの話や中動態の話でもできたらいいなあ。読書追いつくかなあ。
それでは。
fin