19年くらい前、(だいぶ前ですね。)ビューティフルライフというドラマがありました。しがない女子中学生だったわたしは毎週かかさず見てたんですね、ビューティフルライフ。その中で、どうしても印象に残るシーンがあって。物語中盤で、なにかいさかいが起こり、解決に向かい、キムタクが常盤貴子の車椅子を足でクルッとまわして正面から抱きしめて、抱きしめられた常盤貴子が「ねえ柊二、こんなに抱き合っていてもどんなことを考えているのかわからないし、どんな顔をしているのか見えないね。」みたいなことを言う場面です(うろ覚えですが)。そのセリフをテレビの前で聞いていて、妙に納得してしまって。たしかに、抱き合うだけでは何もわからないし、物理的に顔、見えないな。って。常盤貴子、冷静だなって。
そのとき以来、抱きしめるという行為になんとなくコミュニケーションとして不足を感じてしまい、疑念を抱くようになりました。そして最近になって、ふと、クリンチっていう言葉を知ったんです。クリンチ。クリンチは、格闘技の技の名前で、相手に抱きつくことで、相手の動きを牽制することだそうです。いま戦っている敵と言えど、抱きしめられたらちょっと嬉しいじゃないですか。なのに牽制されちゃうなんて。わたしは、クリンチという言葉から、いつの日かの常盤貴子の姿を思いました。
恋人にせよ家族にせよ、対象を抱きしめることは、それをどんなに愛情を持っておこなったとしても、短い時間ですが相手の動きをすっかりとめてしまうことでもあって。求め合いながらも牽制しあっているのかな人間は、とか思うと愛情の表現っていうのはなんか、ややこしいですよね。