うちはお母さんが結構ひとりごと多くて自然とわたしもひとりごとしゃべるようになっちゃったんですけど、ひとりごとってしゃべると頭の中整理できるじゃないですか。迷い的なものが口に出すととりあえず確信に変わる、みたいな。「次はあれやんないと」とか「あーそっか、これこうだった」とか。
中学生くらいのときに、まあ中学くらいってみんなそうだと思うんですけど、勉強とか友達関係とか部活とかのいろいろがキャパをこえちゃってあーもうやだなーってときがあったんですね。それまではひとりごとですませてたことがすませられなくなっちゃったんです。
そのときに、ひとりごとなのにひとりごとに相手を求めるようになったんですね。
現実に人としゃべるんじゃだめで、あくまでひとりごとの中に、もう一人相手が欲しかったんです。普通に実際に誰かとしゃべると予想しない答えが返ってきて余計落ち込むことが多々あるし。
最初は林さんでした。中ニのとき他のクラスに林さんっていう妙に達観した女の子がいて、林さんになにかを相談するといつも理にかなった答えがユーモアとともに返ってくるんです。なので、ひとりごとを言うときに、脳内に林さんを想像するようにしたんです。頭の中の林さんの回答に応じる形でひとりごとを言うと、ひとりごととしてひとりごとを言うよりも、考えが上手に整理されることに気づきました。
それ以来、わたしのひとりごとはすっかり誰かの会話に答える形式です。ときに、相手はお母さんであり、職場の渡邉さんであり、次の日プレゼンする相手の人だったりします。あの人だったら、きっとこう言うだろうな、っていうのを考えて、それに答える形で言葉を口にだすとずいぶん考えがまとまります。あくまで、あの人だったら、っていうのはわたしの想像なので、現実におんなじことをその人にしゃべってみても違う回答が返ってくることのほうが多いですけど。
ただ、はたから見ると一人なのに目に見えない誰かとしゃべってる人なので、外では絶対やらないです。お風呂か、部屋で一人のときです。職場でみんな外出して一人のときに、渡邉さんを想像してしゃべっていたら、一緒にはたらいてる松本さんが急に帰ってきてかなり気まずい思いをしました。
自分の中に設定した他者は、あくまで自分なんですけど、それでも、主観的になりすぎる自分を防ぐ効果が多少あります。もうちょっと現実でもうまくしゃべれれば良いのですが、そっちはあんまり上達しないまま、この変な癖に依存して毎日を送ってます。