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2F/当番ノート

彼女とあいみょんと私

当番ノート 第45期

cover
今年に入って大事な仕事の兼ね合いで19歳の女の子と知り合った。一歩間違ったら娘でもおかしくない気さえしてしまう程、私からしたら生まれてきた時代も生きてきた次元もまるで違う彼女は、周りの大人達から、ありのままを大切にされてきたであろう育ちの良いお嬢さんで、とても好感を持てたのだけど、さすがに10代の女の子との共通項は中々みつけづらく……
そんな時に私がよくする質問が「好きなアーティストってなに?」なんだけれど、その質問をした途端、彼女の声が分かりやすく跳ねた。

「あいみょん です。歌詞が超いいから。」

そう言われた瞬間、彼女とうまくやる為にはまず あいみょんだ。と確信した。その直後「じゃ、あいみょんの曲沢山覚えるから、今度一緒にカラオケで歌おう」なんて約束までしてしまった。この時点で、私はあいみょんの曲を一曲しか知らない分際で、ただただ彼女の笑顔が見たいが為に自分に無謀な課題を課し、その時は責任感だけで乗り切るつもりでいた。いつもみたいに。私は大人なんだと。

こんな安易なきっかけからすぐ、あいみょんのアルバムをダウンロードして、朝 昼 晩 場所も時間も決めず、タイミングを作っては彼女の為に耳からあいみょんを注入していたのだけど、彼女の詞の世界は、愛だの恋だのにちゃんと唾を吐いたり、涎を垂らしていて凄く爽快であり、リアルで、言葉が迂闊に刺さると抜けなくなりがちだ。しかも、若者だけじゃなく いい歳した私にも「ねぇ!聴いて!」って腕を引っ張って揺さぶり、曲の中に連れて行こうとする音と、世界観がある。私自身、音楽の好き嫌いは曲や音で感じる方が多くて、曲が流れてきた時に 脳みそや身体が反応するかしないかが重要だから、歌詞というのは割と二の次にしがちだったのだけれど、19歳の彼女とのこんなきっかけが始まりで、私はあいみょんの歌詞の世界に片脚からそっと浸かってゆっくり肩まで沈めた。身体があいみょんの歌でふやけ始めた頃には、生活の中でふと口ずさんでいたし、「恋をしたから」を聴いてキュッと息が何度か止まった。「マリーゴールド」は彼女とカラオケで歌う為に1番に覚えたけど、必死に覚え過ぎて早押しクイズのイントロで誰より早く反応する自信すらある。と、こんな具合で、私は急性あいみょん中毒に見事にかかったわけなんだけれど、何故か1番耳に残ったのは「2人だけの国」という曲で。

多分なんだけれど、この歌は、美しいのに報いが無い愛の歌で。
なんかもうそう感じてしまって。それは決して正解ではないけれど、まじまじと しつこく しつこく。ずっと聴いていた曲の1つ。

曲の中に何度と繰り返される
ナンマイダ
ナンマイダ
という、無機質な南無阿弥陀仏

恋愛の歌にカテゴライズされるはずのこの曲は、まるでお経のように始まりご愁傷様感が否めない。愛し合う男女の痛々しさすら想像する。

歌詞の中の2人の関係性を、恋人と言わず「運命共同体同士」と表現したり、「現実逃避の最終回 」という歌詞からも、健康的な関係と少し離れた2人の不条理さみたいなものを匂わせたりする。サビの歌詞では

「間違いなんて思ってないわ この人生」
「これくらいの痛みなんてもう慣れているし」

と恋愛ソングなしからぬ綺麗事の裏側をストンと曲にのせてくる。

ひと昔前、時代の流れと流行りに則って、周りの女の子達が大ヒットした曲にあやかって、会いたくて震えたり、代わり映えしない明日を欲しがる中、意固地な私はソレに流されまいとグリグリのRockを聴いて1人完全無欠のロケンロー気取りをしていた。音楽は、音を楽しむ方が好き。それは今も変わらないんだけれど

不思議なの

私にとっても

この曲の中の「2人だけの国」は

天国だとおもえたんだよ。

きいて。
『2人だけの国』-あいみょん

花

東京生まれ東京育ち。言葉はナマモノなので美味しい味付けはしてありません。

Reviewed by
落 雅季子

麦わらの帽子のあたしのこと、揺れるマリーゴールドよりもっと何か良い、別のものに似てるって言ってよ。ちゃんと見てよ。そんなこと言っちゃいそうな花さんだけど、菅田将暉featあいみょんの『キスだけで』はめっちゃ良いって言うと思うよ。今日からLINEミュージックで配信になってて、MVもYoutubeで見られる。きっと19歳の彼女も、こんな関係の歌に憧れたりするんだろうね。ひりひりした、心の奥の湿って揺らぐ場所が、まだどこだか分からなくても。

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