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2F/当番ノート

自分について書き記すこと、31年間の忘却の痕跡を拾い集めて。

当番ノート 第46期

わたしは文章を書くことが苦手なのかもしれない。というと、研究者として執筆を普段から行なっているのに、何を言うと思うだろう。

正確に言うと、自分のことについてじっくりと書き記すことが苦手だと思うのだ。SNS時代、自分の経験を語り、自分にある種のブランド性を付与していく人が影響力を持つ。それを羨ましいとも思いながらも、積極的にできない(と思っている)。

とは言えど、インターネット上には自撮り写真もメンヘラ感あるSNS投稿も、ミーハー精神で出演した全国放送のテレビの情報も残っている。反射的に自分の断片を放り投げることは、不思議と平気だったりする。SNSでの近況報告、仕事の告知、ちょっとした愚痴や病みの吐露、もはや身体化された行為なのかもしれない。
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でもこうして自分の半生を振り返ること、自分自身の経験や感情、日常をじっくりと観察し、ひとつのまとまりをもった文章として綴ることには抵抗がある。なぜなら、わたしは“恥ずかしい”ことを繰り返し、それを忘れることで日々を歩んでいると思うから。

恥という感情はわたしのなかで最も強度をもつ。大昔にしでかした失敗、恥ずかしかった気持ち、それが今でも突発的に湧き上がってしまう日がある。仕事からの帰り道は、その日に会った人たちとの会話を思い出し、もっと違うことを言えばよかったとか後悔ばかりする。わたしの恥ずかしいと思う気持ちは、関わる人たちみんな、直接ではなく例え画面越しだとしても、すべてのひとに良い印象と与えたい、関係を保ちたい、そんな感情と表裏一体なのだろう。

自分の振る舞い、自分の語り、自分の文筆、また新しい恥を作り出してしまうのではないかと思うと恐ろしくもある。そして自分自身の過去を振り返ることは、忘却した恥を掘り起こす作業のような気もする。

忘却の痕跡を辿ること、それは途切れてしまった人間関係を辿ることでもある。すれ違ってしまった恋人だった相手、嫌われてしまった友達だった相手も、一夜限りで終わってしまった、挨拶だけで終わってしまった関係の可能性の欠片たちも、勝手に反応を想像しているインターネットの向こう側にいる人も。機嫌を伺いすぎてウザったい性格だと言われたこともある。また、あえて自由気ままに振舞って後悔を重ねたこともある。いつだって嫌われ者な自分のイメージを払拭できない。

正直、哀れだなと思う。それでも今、この文章を読んでくれているあなたにも、過去になってしまった人たちにも、どう思われてもいいとは思えない、それがわたしの弱さだ。

でも、今日から2ヶ月、自分自身についての文章を書いてみようと思ったのには2つの理由がある。

1つは、ここがアパートメント、わたしの部屋と名付けられた場所だから。ここには沢山の人たちの語りが漂っている。

自分自身を深く深く掘り下げて書くこと、それが何を意味するのか、今は答えがない。誰が興味を持ってくれるのかもわからないし、誰に向けて言葉を紡いでいるのかもわからない、“上手”に書けるかもわからない。そんな文章をわたしは書いたことがない。他の人より出来が良く書かなきゃいけない、他人にも意味あるものを書かなきゃいけない。そんな気持ちを一度、手離してみて書き記してみること。わたしがこれからも書き物を生業のひとつとしていくためには、大切な経験になるような気がしている。

たくさんの語りのなかのひとつとして、あなたの部屋だよと用意された場所でなら、なんだか書けるような気がした。

2つめの理由は、恥しいこと、恥ずかしかったことを無理やりちぎり取った痕だらけの自分自身を最近、なんとなく前よりも受け入れられるようになってきた気がしているからだ。それはきっと、過去の積み重ねの末に出来上がったわたしに寄り添ってくれる人たち(と猫たち)が傍らにいるからかもしれない。31年間、勝手に抱いてきた他人への気負い。恥ずかしい自分。そんなわたしが初めて実感できた居場所があるからこそ、自己嫌悪で頭のなかをいっぱいにしてしまうのをやめて、もっと大切なものを感じられるようになりたい。

そう、わたしは日常の些細な幸せで満たされる自分になりたいんだ。恥の忘却の痕跡を拾い集めて文章を紡いでいくことは、そのためのイニシエーションのように今は考えている。

誰かに届けるためではないこんなエゴイスティックな文章、あなたは怒るかもしれない。そっと画面を閉じるかもしれない。
それでも書いてみてもいいだろうか。ここはそういう場所だと信じて、おもいっきり私的な文章を書くことを自分に許してあげてみたい。あなたには申し訳ないのだけれど。

藤嶋 陽子

藤嶋 陽子

研究者。
文化社会学・ファッション研究。
株式会社ZOZOテクノロジーズ(ZOZO研究所)・所属。東京大学学際情報学府博士過程・在籍。
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1988年山梨生まれ。フランス文学を学んだ後、ロンドン芸術大学セントラルセントマーチンズにてファッションデザインを学ぶ。帰国後はファッションにおける価値をつくるメカニズムに興味を持ち、研究としてファッションと向き合うように。現在は、ファッション領域での人工知能普及をめぐる議論や最先端テクノロジー研究開発にも携わるように。
26歳で35kgの大幅減量を経験、自己像や容姿との戦いは終わらない。猫2匹と同居中。

Reviewed by
藤坂鹿

自分について書き記すことは、きっととてもむずかしい。どうしたって書きすぎるか、下記足りないことばかり。自分がいて、それを眺める自分がいて、それを表す自分がいて、それを読む自分がいる。もしかしたら、もっと別の自分もいるのかもしれない。何人もの自分の見えているもの、聞こえているものを手に寄せ集めて、また、「わたし」は創られ始める。

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