2019年10月。今日から、アパートメントで連載をさせていただくことになった。
「何ができるだろう」と考えたとき、
自由に過ごせるこの場所だからこそ、「言葉の拡張」をしてみようかな、と思った。
月曜日の夜。きっとみんなくたくたで、ちょっとの安堵と一緒に帰路についているだろう。
うつくしいものや、おかしいものを見て、感じて、ときには考えて、
ほんの少しだけ、明日からの活力にしてもらえるようなものになったらいいと思う。
頭で考えるより、シャワーを浴びるように言葉を染み込ませる瞬間があったっていいはずだ。
「言葉で表現できること」なんていうのは、ひどく限られている、と思う。
人間は不便だ。
感じたことや考えたことのありのままを誰かに共有することは絶対にできない。
いろんなものを削ぎ落として、精査して、整理して、
そうして一般化された「言葉」の姿を借りて、中身を届け合う。
すべては感情の断片。すべては思想の断片。
すべてはあなたの断片。わたしの断片。時間の断片。
言葉は不便だ。
それでも、わたしは言葉が好きだ。
言葉を持つ人間でいてよかった、と思う。
だって、“言葉を使ってまでも伝えたいこと”を伝えるために、
わたしたちは言葉を持ったのだろうと思うから。
こんなに切実さの詰まった愛おしい存在が、ほかにあるだろうか。
けれど、言葉は本来硬質なものでなくていいとも思う。
もっと軟体で、なめらかで、
いろいろなものに膨らんでいく芯となれるもの。
あるいはきっと、ちいさなちいさな種。
だからこそ、「言葉」を使ういろいろな表現を、
このアパートメントの中では綴ってみたい。
全8回の中で、言葉でできることにたくさん挑戦しよう。
そうはいっても週一回の更新だから、
あまり時間をかけて作ることもできないのが現実だろう。
何をしようか。
今もまだ考えながら、
とにかく言葉を愛でる1ヶ月にしてみようと
それだけを決めて、初秋のさみしさを吸い込んでいる。
▼ 言葉の拡張 #1 深海
【 言葉 / 映像 / 朗読 】
「言葉の拡張」では、さまざまな表現手法を行き来しながら、
言葉というものの拡張を実験的に試みていこうと思います。
第一弾は、言葉と、映像と、朗読。
活字だけと、音や動画がついたものと、どのような変化が在るでしょうか。
あるいは、何も変化はないでしょうか?
どうぞイヤホンをつけながら、
目を閉じたり開いたり、自分の感覚の違いに意識を向けてご鑑賞ください。
どこにもいけない毎日を
僕らは漫然と過ごして生きている
何者かになりたいようで
何者でもないことに安堵して
ひどく無力で
嘆かわしく
それでいて確かな希望のある
暗闇
世界というものの始まりが
朝だけではないことを知る人よ
どうかそのまま
深い海の中を往くように
僕らの呼吸を確かめあおう
届かなくても
必ずここで出会うことこそ
10/3の深夜、ふと思いついてスタジオを予約した。
セルフポートレートでも撮りながら内容を考えようとしていたら、
先日開催した「初対面同士がチームを組み、6時間でショートムービーを作る」という
イベントに参加してくださっていたカメラマンさんから連絡があった。
次の日、急遽乃木坂のスタジオで二度目ましてをした。
スタジオの予約時間も短い。
映像に映るのは初めてだ。
何をしようか。まずはわたしの頭の中を伝えるところから、即興的に撮影は始まった。
———PLAYERS
text/model/narration
中西須瑞化(藤宮ニア)
movie/edit
村上岳