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2F/当番ノート

言葉の拡張 #0埋葬

当番ノート 第47期

(以下、文字起こしでさえない概要のようなもの)

こんばんは、藤宮ニアこと中西須瑞化です。
月曜日の夜、みなさん1日お疲れ様でした。今はお家でゆっくりされている時でしょうか。それとも、仕事終わりの帰り道だったりするのでしょうか。

今日でわたしのアパートメントの連載も終了です。
もし、ここまで見てくれている方がいたら、本当にありがとうございます。
正直言うと、最後は何をしようかなと考えている間にあっという間に日曜日が過ぎていました。今これ、実は月曜日の深夜二時です(笑)。最悪です。
で、最後はやっぱり、自分の声でちゃんとお伝えしていこうかなと。いうことで、まさかのラジオ…とまでもいかない、フリートーク形式みたいなものでやっていこうかなと思っています。

今回、この連載のお声がけをいただいてからの経緯については前回の連載でちょこっと書かかせていただいたんですが、その時に「言葉の拡張」を思いついたのは、夏からずっと「言葉の不自由さ」や「言葉の限界」について考えさせられていたからなんだと思っています。

みなさんのなかに、今年の夏、「海獣の子供」という映画が公開されていたのを知っていますか?観にいったと言う方もいるかもしれないですね。

わたしは「海獣の子供」自体は二回みて、それと同時に公開されていたトゥレップというドキュメンタリー作品もみました。海洋学者の方や、海中写真を撮っているアーティストの方などがそれぞれ海や海の生き物について語るシーンがあるのですが、「言葉ってなんて無力なんだろう」っていうことを散々考えさせられた作品でした。

くじらは、自分たちが感じたことや考えたことを全て、彼らにしかわからないクジラの唄にのせて伝え合っているのだそうです。これは、言葉を持った人間には一生できない。
言葉をもってしまったがゆえに、人間はたくさんの感情や感覚を取りこぼさないと生きていけなくなってしまったのかもしれない。

わたしは小さい頃から、頭の中がいっぱいになった時に文章を書いていました。
その行為はいつも何かに追い立てられて焦って、慌ただしいものだったんですね。書きながら、「あぁこぼれていってしまう」というような感覚が常にあって、泣きそうになりながら書いていました。ぜんぶを書きつけられないことがわかって、どうにか少しでも多くを残したいのにできなくて、言葉がうまれるそばから死んでいってしまうのを感じて、怖くて悲しくて仕方がなかった。

本当に大切なものは覚えているものだっていうの、よく聞くじゃないですか。
確かになとも思うけれど、でもあれって、絶対嘘じゃんとも思うんですよね。
だって、「本当に大切なもの」なんて、私たちはわかっちゃいないと思うんです。少なくともわたしにはわからない。今大切じゃないと感じてもいつかは大切だと気づくかもしれない。

そう考えると、「言葉にならずにこぼれていってしまうもの」がもったいなくて仕方がなかったんです。貧乏性だったんですかね。
だから、言葉というものには、言葉になっているものだけじゃない言葉が潜んでいるのではないかと思うんです。その一つができあがるときに消えてしまった言葉たちが、そこには隠れているんじゃないのかなって。

そういうことを思いながら言葉について考える時、宇宙の、星の巡りみたいなものを思い出します。あとは命の循環とか。

「星の死ぬ時の音」は698.45ヘルツで、ファの音なんだそうです。
ものすごい爆発をして星は死ぬわけですけど、その後にそのかけらがチラチラと散って、宇宙だったり地球だったりその他の星だったりの何かになるわけじゃないですか。
言葉もそれと同じで、目に見えているのはかけらの一個でも、その前には無数の死があるというか、そんな感じがするんですよね。

今回の連載は「言葉を起点に膨らます」みたいなことが多くなったんですけれど、本当はそういう、無数の死に目を向けるみたいな行為だったのかもしれないなと今思ったりもしています。

月曜の夜に聴くような話じゃないですかね、これ。まぁ最後だし、いいですかね。

世の中には本当にたくさんの言葉が溢れているんですけれど、その向こうにはもっともっともっと、それこそ星の数以上の、言葉になれなかったものがあるんだなぁと思います。

昔、わたしは「言葉の埋葬」をしているんだなという意識だったんですが、やっぱりわたしにとって書くことは、生きると死ぬのふたつを感じさせるものなんだと、今回の連載について振り返りつつ、これを作りながら今思いました。

言葉はいろんな想像の起点になる、というようなことを最初に書いた気がしますが、そうじゃなく、言葉はもともといろんなものがそぎ落とされた状態であるからこそ、そこから膨らませることができるものなのかもしれません。

まぁそんな感じで、長々喋ってるのでこの辺で終わりにします。
アパートメントの連載、また何かできたら楽しそうだなぁと思いつつ。

最後までお付き合いいただいた皆さん、毎週素敵なレビューをしてくださったゆきみさん、SNSナンパで声をかけてくれた鈴木さん、ありがとうございました。

たくさんの生まれてきた言葉たちと、生まれなかった言葉たちに愛を込めて。

中西須瑞化(藤宮ニア)

中西須瑞化(藤宮ニア)

1991年兵庫県生まれ。立命館大学卒業。
「生きる選択肢を示せる大人」になるため、フリーランスとしてさまざまな活動を試みる。PRもする文筆家・物語る人。
藤宮ニアの名前で小説執筆活動などもおこなう。

どんなに小さな声でも、何者でもない誰かでも、必ずその「想い」には意味がある。言葉の力で、人を生かすひとであり続けたい。

Reviewed by
藻(mo)

ーー「星の死ぬ時の音」は698.45ヘルツで、ファの音なんだそうです。

月曜AM2時ごろ。中西さんからメールが届く。今週の記事も上げました。たいてい寝てる間に届くその知らせを、朝開くのが楽しみだった。枕元におとされる手紙。今週は、どんな言葉の世界が広がっているのだろう。

言葉の拡張、というタイトルだけれどその実、言葉の無力さと、その無力さの中にある希望と、やっぱり無力さとを行ったり来たりする連載だった。その、中西さんの「用意されていない素直さ」が、2ヶ月かけてどんどん剥き出しになっていく感じが、とても好きだった。

星になれなかった言葉たち。
それを弔うというのだという中西さんの姿は、そうまさにこの写真のごとく、言葉の波に分けいっていくようで。

連載最終回は、#0。そして#1にもう一度。
月曜の夜が今日も終わる。

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