「言葉の拡張」として、おもむくままに続けてきた連載もあと二回で終わるらしい。あっという間だった。「週に一度何かを提出する」という行為自体がかなり久しぶりのもので、新卒すぐからフリーランスとして働いている身としては「一週間」の感覚さえ薄く、だから、毎度毎度ギリギリになって企画を捻り出しては提出するというひどい体たらくであった。
いつもは、PRなどの職業柄もあってか、こんな風に「何か」を作る際には入念に準備をおこなったり、企画を練りこんだりするようにしている。
「意図を持って作る」ことは大切だ。もちろん、「意思を持って作る」ことも。
けれど、この連載では、その部分はある程度手放していこうと思っていた。
今回は「言葉の拡張」をしたいと思った動機についてつらつらと書いてみようと思う。
わたしは「自由」が苦手だ。
「フリーランス」なんて言っているのに、自由は苦手なのだ。
幼い頃から、好きなことを肯定されない環境にいた。
基本的にピリついた空気の中で育ったわたしは、家族の顔色をうかがって過ごす中で次第に「自由」を求めなくなった。自由よりも、当時のわたしに必要なのは安全だったからだ。
そうしたこともあってか、いつからか「自由」と言われると何もできない人間になっていた。自由に絵を描いてと言われても、自由に感想文を書いてと言われても、結局頭のどこかで「大人たち(時に両親だったり先生だったりした)が喜ぶものや認めるもの」をつくるようになっていた。それはどんなに綺麗でもつまらない絵だったし、つまらない作文だった。わたしの心は少しも踊らなかった。夢中にもならなかった。
アパートメントでの当番(二ヶ月限定の連載)を打診いただいたとき、「完全に自由です」と言っていただいた時には正直「どうしよう」と躊躇った。ここで何をすればいいのかがわからなくて、さらには開始までの時間も短かったこともあり、ぐるぐるとしたままで手を上げるような形になってしまった。“ローディング中”のぐるぐるが、ずーっと鈍く続いているような感じだ。
けれど、手を上げてしまえば物事は動き出す。
どこかのタイミングで原稿を落とすこともあるんじゃないかと考えていたけれど、
なんとかギリギリ、今回までは大丈夫そうだ。
途中、数名のクリエイター/アーティストにもお声がけすることができた。こういう場所で、のびのびと自己表現をさせてもらえる機会というのはとても有難いなと思う。そういった機会をご一緒できる人が増えていたということも、このタイミングになってようやく気が付いた。人生は、ちゃんと動いていたようだ。
「誰かに評価されなくては発表してはならない」
「誰かに届けなければ/届かなければ創造してはならない」
無意識の奥にある、自分自身で築いてきた分厚い壁のようなものを、わたしは少しでもいいからここで壊したかったのかもしれない。
言葉と共に生きていくというのは、時に面倒ごとも多い。
それでも、どんなにか細い声でも、「ここにいるよ」と示すことに、罪などないと信じていたい。信じていよう。
わたしは、言葉は種になると信じている。
不自由でも、面倒でも、厄介でも、「言葉」にしかできない世界構築を、今はまだ諦めたくないなと思う。
最終回では何ができるのか。
今回はわたしもひとり考えながら、月曜日の夜を過ごしてみたい。