今年の誕生日で、30歳近くなろうとする私は、連載の最終話を「どうしようもなさ」というテーマで締めくくってみようと思う。どうしようもないものは、いかんともしがたい。
かつて女の子を好きだったことがあった。さながら村上春樹の小説に出てくるような恋で、嵐のように激しく、それゆえ怒り、泣き、笑った。
かつてのことを「いい思い出だった」と美談に仕立てあげられようともするのは、簡単なのだけれども、居心地が悪いような気もする。無理やり美しくしようとするならば、当時の彼女の「ほんとにそれだけだった?」と嘲笑するような声が聞こえてきそう。
学級閉鎖で出ることの叶わなかった体育祭に2人で潜り込んだこと、友人同士だと偽り彼女の家に泊まりに行ったこと、どうしても抑えきれない衝動により駅の公衆スペースで貪り合ったことも、駅の真ん中で怒鳴り合ったことも、興味本位でキスをして死ぬほど怒鳴られたことも、選択肢を持ち合わせていない私たちにはそうするより他なかったものだった。
人との関係性、とりわけ恋愛においては「正しい/清い」ところから、どうあがいても遠ざかってゆき、気づけば「世間」という島からえらく沖のほうに流されていることが多くある。
近頃、認めがたい衝動を、外野から”認めろ認めろ”と促されている。わかったわかった、降参です。といくと、コロリと坂道を転がるかのように衝動は抑えられなくなり、外野の声を聞くのは、もうできなくなっている。
自身ではいかんもしがたい深い承認欲求を満たすために、屈折した形で表出したコンプレックスが、相手のどうしようもないその屈折にカチッとはまったとき、気づけばもうそこは沼。
どうしようもなさとは不思議なもので、年を経るごとに徐々に深くなっていくんですよね。アレ、恋愛ってこういうもんだったっけ。
グズグズさを容認してしまったら、変わってしまった景色。起こってくる出来事により、別のステージに連れてこられたことを思い知らされる。特急列車の中で、深酒をしすぎてコントロールの効かなくなった頭、品川の駅の歩道橋で、気の向くままにパートナーに怒鳴り散らして、ばら撒いた愛。最初から意図してたわけないよ、そんなこと。
”LOVE”
衝動は今を生きるから、そのあとのことを予測しない、しね。