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3F/長期滞在者&more

『風景について 2 』終了しました

長期滞在者

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2015.3.3-3.8 ギャラリー・マゴット(大阪・四ツ橋)
カマウチヒデキ写真展『風景について 2 』より抜粋。

・・・・・・

一つの展示が終わったら、ああ自由の身だ、とか思う。
終わった展示の内容に引きずられることなく、何を撮ってもいいのだ。
何かしらの「まとまり」に対する整合性とか、全部ご破算になるのだ。
自由なのだ。
そして、その「自由」が一番やっかいで手強い相手なのだ。
なのだ。なのだ。なのだ。
自由だから嬉しい、とかではない。
自由と闘わなくちゃいけないのだ。
のだ。
強敵なのだ。

頑張ります。

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

ひとつの展示から自由の身となり、今再び来訪する自由と闘うという事。
もし、完全に塗りつぶせども、キャンバスのベースとなり、次作に奥行きをもたらすのだろう。次作にも期待が高まる。



以下、展示の個人的感想を少し書かせていただきます。



はなからぼんやりと目を落としている訳ではなくとも、見つめているうちに、どこか自分の視点が傾いているような、
どこかボワッとして、定かではないような部分がある事に気づく。

写るのは、現実に存在したものに違いないものたち。
ただしその存在時間は、一秒以下の瞬間のものかもしれないし、
可視化されるというよりは可触化されたような印象である超秒の、肉眼のみでは確認の出来ない時間の枠組み。

見ているうちに、音も少し 遠くなる。

さわさわとする、或いは、チリチリという捻髪音のように、時間経過の感覚を麻痺させる。
視覚による対岸の雑踏感。

この写真たちを前に、立たされる時間が 出会ったことの無いはずの風景がもたらす音。

遠くに聞こえていたと思った雑踏は、実は自分の奥底の思考の歯車を回す音であり、わたしのなかの音だったのかもしれない。 




と、そんな風にも思えてきたのでした。

やはり、展示会場での体感とは異なりますが、こうして画面上で写真をスクロールしながら見ていても、同じような体感が。
ふわふわと思考を漂わせられる感覚は気持ちよくて、会場ではひとの少ない平日を選び、つい長居してしまいました。

会場でご覧になれなかった方は特に!ご覧になられた方も今一度。
「カマウチワールド」是非、お楽しみ下さい。

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