入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

しずかに、ただそれだけ

当番ノート 第50期

たまには仕事の話をしてみよう。

療育施設で働いている。うちに通ってきている方は小学校に入学するまでの未就学児と呼ばれるお子さんたち。小さいと1歳から、大きいと6歳の就学直前、と年齢はさまざまである。

働き始めて3年目になる。彼らにとって最適な学びの環境を作り、よりよい成長を促すことが私の仕事。集団生活に沿うことで彼らが幸せになるなら適応のための練習をするし、時間管理や言葉の獲得を促したり、ボタンやお箸などの生活自立の練習のお手伝いをしたりしている。

お子さんが成長するために私たちが大切にしていることは、「好き」を中心に授業をつくること。私たち大人だってそうなように、好きなことだとやる気が出るから。工作が苦手でも、好きな電車の工作なら「やってみたい!」とメキメキ取り組めるんだ、あの子達。

お子さんは好きなものは少しづつ変わっていくから、好きなものを把握する情報収拾の機会はいつだって絶やさない。なぜそれが好きなのかを深掘りする。目を輝かせるその先にあるのはなにかな。その目の奥に宿るもの、響いているのはなにゆえかしら、とか。視線から、言葉から、遊び方から、いろんな角度から。

就職をしてから、自分の好きなものが、お子さんの好きなものに多いに影響されていくさまを、俯瞰しておもしろおかしく見つめている。

ひとつは電車、ひとつは記号、ひとつは恐竜。どれもこれも、これまでまったく関心のなかったものだけれども、今では恍惚とするほどに心が惹かれる瞬間がある。

たとえば電車。

駅に電車が止まっているとき、車内の窓から見える駅のホームの規則正しいさまを見つめて、ふう…とため息をつく瞬間がある。規則正しく線路の上を走っていくこと。線路以外の場所に飛び出ていかない安定感は、心を穏やかにさせる。また、駅のホームには、続くホームの平行線や、直線の柱が等間隔に並んでいること、鳴る発着音は、視覚的にも聴覚的にも規則正しい息づかいをもっている。線路、駅、線路、駅、線路、駅の順序が必ず守られていることも「善い」と感じる。

気がつけばプラレールの売り場で長いこと足を止めている。プラレールはいいものだ。自在に組み替えていくことのできる青い線路、「とうかいどう」と名前の書かれた駅、忠実に再現された電車のフォルム、踏切、トンネル、それらすべてが両手を広げて届く範囲に収まっているそのさまは、美しく、ひとつの世界を自分のものにできたような気持ちになる。

昔は思ってもみなかった、GWに開催されるはずだったプラレール博がコロナウィルスの影響で中止になったことをこれほど残念に感じるとは。

関わる子どもの数だけ「好き」と「その理由」があり、自分の「好き」と重なり合う瞬間には「おぉ、おぬしもか!」と心が踊る。彼らがその重なりを喜んでくれているかはわからないけれども、「好き」がつながり、共感の言葉をかけられることに拒否を示す子には、勤めてから2年とちょっと、今のところ出会ったことがない。

好きなものというのは、世界の見方に関わることだ。身のまわりにはたくさんのものがあり、なにげなく通り過ぎていた風景達をズームアップしてみることの豊かさを、子どもたちから教えてもらっている。

そういえば、ここ数日は、丸いドアノブを見つめる子のことが気になっている。その子は、授業が終わりドアを開けるときに、必ずドアノブを下から覗き込むんだ。表情こそ変わらないけれども、口をカパと開けて、食い入るように見つめるその視線。なんの変哲もない銀色のまんまるのドアノブ、気にしたこともなかったわそれ。

その見つめる5秒の時間を、静かに待っている間、「たぶん自分もちょっとしたら、気になるようになるんだろうな、このドアノブのこと」と考える。これまでもずっとそうだったから、予感は当たるんじゃないかと思っている。来週くらいには、これまで気にしたこともなかったドアノブを見つめる時間が増えるのでしょうねえ。

あたたかい バク

あたたかい バク

なぜだかどうして生きながらえている

Reviewed by
まどか

 人との出会いで、人は新しい興味を持つ機会を得れる。
 幼い時や学生の時はその影響は大人から貰う物が多かった。でも、それは一方通行の物ではなく、相手にも少なからずの影響を与えていたのかもしれない。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る