「やぁやぁ」
今日も自転車を走らせながら、珈琲店の前をやっちゃんが駆け抜けていく。
すぐ近くにある魚勝という歴史ある料亭で働く、妖精みたいなおじいちゃん。
通り過ぎるときに必ず手を振ってくれるので、こちらも手を振り返すのがお約束の日課だ。
やっちゃんはこの街の守り神のような存在で、毎日のように自転車で街中をぐるぐる走り回っている。
おそらくは仕事で駆け回っているのだが、自転車のカゴはいつも空だし、特に急いでいる様子もないので、何をしているのかは実際わからない。
もしかしたら、ただ風を感じているだけなのかもしれないし。
それでもやっちゃんは、今日も街を走り続ける。
そんな守り神のいるこの街には、節分の文化が残っていて、その日になると鬼がお店に訪ねてきてくれる。
このクオリティである。
そんな懐かしさもこの街を好きな理由の一つなのだけど、その時にやっちゃんは福の神役で鬼の後をついて回る。
やっちゃんのためにあるようなハマり役なのだが、着物に何故かお気に入りのキャップを斜め被りで合わせてしまう。
やっちゃんはお返しにお菓子をもらって、嬉しそうに帰っていった。
ある年の瀬の日に、やっちゃんが自転車から初めて降りて、お店の窓をコンコンとノックした。
「みてこれみて!」
差し出されたくしゃくしゃの紙には、年末の紅白歌合戦の全出場者リストが、やっちゃんの手書きで書かれていた。
今朝の新聞を見て、みんなにそれを知らせるために、わざわざ時間をかけて書き写して来てくれたのだ。
「あー五木ひろし!ここ坂本冬美!」
リストの中に知っている名前を見つけては、指を差しながら嬉しそうに教えてくれる。
やっちゃんは紅白歌合戦が楽しみで楽しみで仕方ないのだ。
「えぇと、これは…?」
やっちゃんの指がAKBという見慣れない文字列の上で止まり、不思議そうに首を傾げていた。
出場者の共有が終わると、やっちゃんは満足そうに手を振って、また自転車で街に繰り出していった。また次の誰かに伝えに行くのだろう。
やっちゃんのおかげで、街中の人がいつもより少しだけ、紅白歌合戦が楽しみになった。
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商店街で100年以上続く河野新聞の河野さんは、毎晩12時頃から仕事を始め、新聞の仕分けをした後に、夜が明ける前にバイクで配達に向かう。
なんと睡眠時間は、毎日3時間ほど。
「仕事が生きがいなのよ」
そんな暮らしをずっと積み重ねてきたから、この時間が人生で欠かせないものになっている。
今日もバイクを走らせ、まだ暗い街に新聞を届けている。
そんな河野さんとは、昨年つくった逗子の写真集のようなガイドブック「雑誌逗子」で、取材をしたご縁で良くしていただいている。
1年をかけて全てフィルムで逗子の街や人を撮りおろした、逗子がきっと好きになる雑誌。
その雑誌逗子の別ページで、河野さんのお孫さんが偶然写っていたという。それも、河野さんは全く気づかず、お友達が気づいて河野さんに教えてくれた。
「河野さん、この子お孫さんじゃない?」
「あら、ほんとだ。よく見たら孫だわこの子」
そこに写っていたのは、お祭りで浴衣を着て、恥ずかしそうにこちらを見る男の子。奇跡的に、河野さんとお孫さんが雑誌逗子で共演を果たしていたのだ。
孫の顔をずっと愛おしそうに見つめ、嬉しそうな河野さん。時代を超えてこんな場所で巡り会う2人に、こちらも心にじんわりと優しい気持ちが広がる。
「でも、よく10年も前の写真が残ってたわねぇ」
河野さんのその一言で、あっけなく感動のエピソードは無に消えた。いやいや河野さん、雑誌逗子の写真は去年全て撮りおろしたものです。
「あら、よく見たら孫じゃないじゃない」
孫の顔を見間違えてしまう河野さんは、軽快にケラケラと笑っていた。
こんな風に、この街ではいつでもみんな笑っている。長く街で生きてきた河野さんたちがつくってくれている、この街のゆるさが好きだ。
しかし、そんな河野さんも例外ではなく、最近のコロナの影響を受けているという。
「もう大変で困っちゃうのよ。配達にも行けないし」
河野新聞始まって以来かもしれない難しい状況を受けて、最近の河野新聞には筆で一筆、格言のようなもの書かれ飾られるようになった。
どういう意味なのか、こんなことが書かれている。
『おむすびは母の味』
今日も緩やかに街を走り続けるふたり。どこかで自転車とバイクがすれ違う。
やっちゃんも河野さんも、ただただ長生きしてね。