アブドゥッラーさんという友人がいる。30代前半のヨルダン人、男性。難民支援を行うNGOの職員で、ヨルダン国内でシリア難民の支援を行っている。
2011年のはじまり、「アラブの春」が中東全域に広がり、シリア国内でも反政府デモが始まった。同年5月にはシリアからヨルダンへの避難民が報告された。11月にアラブ連盟がシリアの加盟資格停止を決定すると、ヨルダン政府はシリアからの避難民を「難民」として認定するようになった。2018年2月時点では60万人近くのシリア難民がヨルダンで生活をしている。
友人の彼はシリア難民の就業支援を行っている。青年海外協力隊として活動する中で知り合って以来仲良くしてもらっている。先日は生まれたばかりの彼の娘さんを見せてもらった。
ある日彼とイスラム教の話題になった時、彼が私に言った。
「イスラム教を勉強したいならヨルダン人を見るな、本を読め」
国民の90%をイスラム教徒が占めるこの国で彼はいったい何を言っているのだと不思議に思ったが、続く彼の言葉で真意が分かった。
「神の教えを確りと守って生活しているヨルダン人は全人口の30%もいない」
なるほど。ヨルダンに来て半年以上が経ったが、ヨルダン人の行動については疑問に思うこともいくつかある。火が付いたままのタバコを道に投げ捨てる。タクシーの値段を釣り上げる。アジア人を指差して「コロナ」と叫ぶ。
このような行動がイスラム教では推奨されているのか聞いてみたところ、「そんなわけない」と一蹴された。
青年海外協力隊になるための訓練を日本で受けているとき、訓練担当者から「現地の文化に浸りなさい」と言われたことがある。
異文化を理解するためには「考えるな、感じろ」ということなのだろう。ヨルダンに来てから現地の文化に浸ろうと努めて半年が過ぎたが、現地に浸らない方がより冷静かつ謙虚に物事を捉えられるのかもしれない。
アメリカの文化人類学者「ルース・ベネティクト」は、第二次世界大戦中に戦時情報局の日本研究チームのリーダーとして、日本人の行動様式を徹底的に調べ上げた。戦時中は日本へ行くことが困難であったため、アメリカに住んでいる日本人や日系人のもとへ足を運んで話を聞き、日本について研究された過去の文献を調査し、自国や他国の文化と比較した。一連の研究成果は戦後にアメリカが日本を統治するために有用な情報を提供した。
2019年に「イスラム2.0 : SNSが変えた1400年の宗教観」を出版したイスラム教研究者の飯山先生はイスラム教徒では無いが、コーランやハディースなどのテキスト、イスラム教徒を対象とした世論調査や先行研究などを徹底的に調査し、西洋文化と比較することで、イスラム教徒の行動様式の本質を突き止めようと試みている。
ベネティクトにしても飯山先生にしても、行動の本質を明らかにするためには「感じる」よりも「調べる」・「考える」ことが重要であることを、著作を以って実証しているように思える。
「コーランを読めばいいのか」
「コーランは難しいから、イスラム教について日本語で書かれた本を読んで、その内容を俺に報告するように」
コーランとはイスラム教の聖典のこと。日本語訳も出版されているが、まずは日本人の研究者がイスラム教に関して書いた本から読み始めなさいというのが、彼からの宿題である。
<参考資料>
「ヨルダンによるシリア難民雇用政策を歓迎、グランディ国連難民高等弁務官」
UNHCR日本 2018年2月18日
https://www.unhcr.org/jp/18440-ws-180220.html
「ヨルダンにおけるシリア難民受入の展開」
-外交戦略としての国際レジームへの接近をめぐってー
今井静|日本国際政治学会編『国際政治』第175号(2014年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaiseiji/2014/178/2014_178_44/_pdf