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2F/当番ノート

アトリエのおじいちゃん先生

当番ノート 第51期

そのアトリエを見つけたのは、偶然だった。

いや、もしかしたら直感的に今の自分に合う環境を嗅ぎ分けて、選び抜いていたのかもしれない。






東京  絵画教室 で検索すると、都内に数校展開しているような中規模な教室から、個人の画家が自宅で開いているような小規模な教室まで、色々な教室が数多く存在していた。


その中で最初に見学に行った教室は、

ホームページの様子からちょっとおしゃれっぽくて、初心者でもふらっと訪れやすそうな雰囲気だった。

期待に胸を膨らませて行ったが、時間割もカリキュラムもきっちりと決まっていて、

毎週この曜日この時間に来て、最初は全員しばらく石膏デッサンと言われた。

興味のあった油絵は早くても半年後と言われて、なんだか決められた枠組みの中で通わなければならない環境に、学校みたいな窮屈さを感じた。


なんとなく自分は個人で伸び伸びとやっているような所が合っているんじゃないかなぁと考えながら、

地方の農家民宿をあてどなく探していた時のように、今度は東京各地に点在する教室の写真をパソコンを開いてぼんやりと眺めていた。

その中で、母が昔暮らしたことがあるという、中央線沿いの昔ながらの下町らしさが残る街のアトリエの写真が目についた。

どうやら画家の個人宅で開いているらしく、先日訪れた教室のようなおしゃれで洗練された雰囲気はなく、

自宅のこじんまりとした一室で描いているようだった。


何よりも、ホームページを開いてまず驚いた。

絵画教室のホームページには、教室の紹介文やら時間割がまず載っていることが多いのだが、

そこのサイトには、生徒たちの絵が一面に並んでいた。


しかもその絵というのが、よく見るような写実的な静物画だけではなく、

大胆な色使いをしている風景画や

何がモチーフかわからないような不思議な絵だったりして、

でもそれぞれの絵が生き生きとしていて、なんとなく気になった。


「描く人の描きたい、創りたいものを一番尊重してくれるアトリエです。」

書かれていた生徒の言葉に、

自分の中で行き先を探していたアンテナがピンと立った。


早速電話をかけてみると、

電話口にはのんびりした感じのおじいさんが出た。

その人が先生らしく、体験をしてみたいと言うと、

「いいですよぉ、いつがいいですかぁ。」

と驚くほど抜けたしゃべり方をする人だった。

でも、話していて、どこかほっと安心するような空気感があった。


「ただ、うちのアトリエは少し変わっているかもしれませんねぇ。

まぁ来てみて、アトリエに飾っている生徒の絵を見てみてください。」

と言われた。

私は、はい。ホームページを拝見してそんな感じがして気になったので、お電話しましたと答えると、

おじいさんは、ふふふと笑った。

私もくすっと笑った。


それが、東京で通うことになるアトリエの、おじいちゃん先生との出会いだった。

おじいちゃん先生は、基本的に絵の指導はしなかった。

最低限描くための画材の使い方や備品の場所とかを教えてくれただけで、

準備ができると、早速「さぁ描きたいように描いてごらん」と言って、

二階のご自分のアトリエに篭り、ご自身も絵を描いていた。


自分のペースで自由に描き、今日はこれくらいで帰ろうかなと思ったら、先生を呼ぶ。

こうしたらもっと面白くなるかもね、とか

いつも前向きなアドバイスをくれて、

他の生徒の絵も見せてくれたりした。


でも基本的に絵の話はそこそこで、いつも色んな方向へ話が広がった。

離島のシェアアトリエみたいな所で暮らしながら気ままに絵を描いている生徒がいる話とか、

先生宅にみかんを送ってくれる地方の親戚の地域に、農業と音楽をしながら生活をしている若者がいる話とか。

時には、海外における日本の絵の評価についてや日本の絵のこれから、グローバル社会についてまで話題が広がった。


先生と話していると、視点の高さや物事の捉え方の幅広さに驚かされた。

社会や経済を俯瞰して見て、

そこで捉えて感じたことを表現する手段の一つとして、絵が選ばれたという感じだった。


私は身近に芸術分野を生業にしている人というのがいなかったので、表現分野で生きている人への見方が変わった。

あぁ、ここまで色々なことを幅広く深く考えて、現実世界の行き先を考えているのだと。

そして、表現は、それを踏まえたものなのだと。

なんだか安心も、した。


そして先生は、どんな絵に対しても面白さを見出してくれた。

特に常識や枠組みのようなものから外れれば外れるほど、喜んでくれていたような気がする。

私が好きなように色を塗り足しているのを見て、

「うん。どんどん自由にやってくださいねぇ」とわくわくしたように言われて、私も一緒にわくわくした。


そんな風にして、初めて触れる油絵の具に試行錯誤しながらも、

京都の里山での体験は一枚のキャンバスにおさまった。

おじいちゃん先生のもと、伸び伸びとしたこのアトリエで絵をスタートできたからこそ、

自分が描きたいものを描いていく楽しさや

絵の具を重ねるたびに変化していく面白さ

何よりも、自分の感性にしたがって物創りをする素晴らしさを教えてもらえた気がする。


そして、絵に集中している時間や、先生のいるアトリエで過ごす時間がすごく特別で、

これまで行ったことのない次元へと惹き寄せられていっている感じがした。


アトリエから帰る時、私はいつもふわふわとして、でも熱いものが自分の真ん中あたりにあって、

日頃目の前の生活に追われたり悩んでいることなど、どうでもよくなっているのだった。



そんなアトリエ通いが面白くて仕方ない半ば、

世の中では外出自粛のお達しが出て、しばらく通えなくなった。

そして、私の北鎌倉への移住もその頃と重なった。

北鎌倉からアトリエには、簡単に通えなくなる。

でも、自宅近くで絵を描けるスペースを借りられることになり、

落ち着くまでは北鎌倉で描いていくことにした。



引っ越しが落ち着いた頃、先生に電話をして報告したら、

「えぇ、いつの間に引っ越したの!?」と驚かれて、随分と笑っていた。

そして、禅とアートのつながりに深い関心を寄せている先生なので、禅文化が根付く鎌倉を随分と羨ましがられた。

今度必ず遊びに行きますからねぇ、とまたわくわくした調子で言われた。


はて、今度は鎌倉で先生とどんな話をすることになるやら。

今から先生が鎌倉に遊びに来ることが楽しみで仕方ない。

yuka

yuka

3年前、鎌倉への憧れから、当番ノートで鎌倉旅について綴りました。
そして今、山と緑の多い北鎌倉で暮らしはじめました。
今回は鎌倉に移り住むまでのこと、北鎌倉での暮らしなどについて書いていきたいと思います。

2017年当番ノート『群青色の街』
https://apartment-home.net/author/anny/

Reviewed by
中西須瑞化(藤宮ニア)

> おじいさんは、ふふふと笑った。

運命とか、そういうものを信じてみたくなる。
「劇的な何か」ではない日常の中にも、実はそういうことがあったりする。

私たちは毎日の中で、そんな小さな奇跡を積み重ねて生きているんだと思う。
「現実世界の行き先」について、私は、あなたは、どんな風に考えているだろう。

yukaさんが見つけた小さなアトリエ。
この記事のおかげで大人気になっちゃうんじゃないかなぁなんて考えながら、ひっそりとこっそりと、今度教えてもらおうなんて思っているレビュワーです。

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